樺沢のシカゴ日記
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シカゴの街中
花や緑が多く美しい町並みである


Vol.5 「樺沢、実験用ラットになる」

 1週間が経つのが早い。また、週末の金曜日となった。
 遊びの話ばかりしていると、遊ぶためにシカゴに来たかと思われるので、仕事の話もしておこう。
 今日は実験が成功した。シカゴに来てから、新しい実験手技を習っている。最初、いくつかの問題点があり、どうも汚いデータしか出なかったのだが、今日は極めて美しいデータが得られた。これで、次のステップへ進める。私の指導医も「ベリー、グッド」と誉めてくれた。彼は、「来週からは、新しいプロジェクトをスタートしよう。詳しくは、また月曜に打ち合わせをしようと」と言った。
 今はまだ、15時30分である。来週の実験の準備をしようと思っていたが、次の実験内容がわからなくては、準備も出来ない。アメリカの合理主義的な解釈で理解すると、「やることもないのに残っていてもしょうがない。もう帰って良い」ということになる。ということで、今日は実験も成功したことだし、15時30分で帰らせていただく。
 「やはり仕事をしていないじゃないか」という突っ込みは入れないでいただきたい。これは、上司の命令に等しいのだから。
 アメリカの人たちは、金曜の午後ともなると、非常にやる気がなくなる。2週前の金曜日。事務から書類ができしだいすぐに持ってこいと言われていた書類があったので、金曜の14時頃に書類を持って行ったら、「月曜日にまた来い」と言われた。とりあえず、受け取っておいてくれてもいいのでは? と思うが、アメリカでは金曜の午後になると、ウィークエンドのお休みモードに入ってしまって、何か新しいことに着手するのを嫌うのだ。
 私も早くアメリカ式のやり方に慣れなくてはいけない。
 さて、今日は妙に暑い。17時すぎに家内とショッピングに出かける予定だったが、私が早く帰りすぎてしまったために、まだ出かかける準備ができていないという。最初の予定通り、17時に出かけるのだと言い張る。
 せっかく早く帰ってきたというのに、1時間以上も暇な時間ができてしまった。これは、もったいない。何か有意義に使う方法はないのか? 
 そういえば、このアパートにはプールがあった。なんと、私はプールつきのゴージャスなアパートに住んでいたのだ。家賃はやや高いものの、それほど法外な値段ではない。札幌の2LDKマンションの家賃と同じくらいだ。それで、プールつきなのだから、安いと言わねばなるまい。
 先週の週末にプール開きをしました、という案内が出ていたのを思い出した。海水パンツをはいて準備万端でプールに行ったけど、まだやっていなかったりしたら、バカみたいだ。予定通りに進まないのがアメリカ式だと、だいぶ学習効果が上がっている。
 まずは、プールがやっているのか、様子だけ見に行くことにした。子供たちが二人、水をかけ合って遊んでいる。それを見守る母親。老女がゆったりと平泳ぎで泳いでいる。プールの中には3人もの人がいた。これは、私も行かねばなるまい。
 すぐに部屋に戻り海パンをはいて準備OK。プールに戻る。
 運動するのは久しぶりだ。ここは、準備体操を入念にしておかないと、足をつったりしても大変である。ということで、きちんとストレッチをする。
 その前に、深さをチェックする必要がある。外国のプールというのは、最初は浅いが、徐々に深くなっているという場合が多い。どの辺から、足がつかなくなるかを理解しておかないと、危険だ。左端の方では、子供たちが遊んでいる。かなり浅いようだ。水深がプールサイドに書かれている。
 左端の深さは5フィート(90センチ)と書かれている。遊んでいる子供の身長から比べて、そんなに深いことはありえない。これは、満杯の水位にした時のの深さだな、と察する。プール中盤まで来て、深さは7フィートだ。プール半分で2フィートしか深くなっていない。この割合で行くと、プールの右端は4フィート(120センチ)深くなっているから、2メートルを超えて足がつかない。危険だ。2/3の所くらいまでは大丈夫そうだな、と私の明晰な頭脳は一瞬のうちに計算する。
 相変わらず、子供たちは遊んでいる。元気だ。水をかけ合って戯れている。老女はプールサイドで読書をしている。
 早く泳ぎたいという気持ちもあって、すぐに、プールにつかる。今日の気温はかなり高い。27、8度位だろうか。しかし、昨日はそんなに暑くなかったせいか、水温はかなり低い。ヒヤリとする。なんといっても、まだ6月である。
 ああ、冷たい冷たい。一番はじの浅いところで、つま先立ちをして、水温に体を慣らしていく。心臓麻痺でもおこしたら大変だからな。
 子供たちは、あいかわらず水を掛け合っている。その水の掛け合いが、こころなしか激しくなった気がした。おい、少しずつこっちに来るぞ。俺に水をかけるな。心臓麻痺になったらどうする。
 水しぶきが私の方まで、とんでくる。なぜ、そんなに私の方に来るのだ。そんな、私のことが好きなのか? 最初は私と子供の距離は5〜6メートルはあったが、今は2メートルしかない。
「おい、やめろ。冷たいぞ。このクソがき」
 と言いたいところだが、この状況において、その言葉がすぐには英語では出てこない。
「いいかげんにしろ!!  人の迷惑も考えろ!!」 しょうがないので、心の中で絶叫する。
 この大きな25メートルプールの中には三人しかいない。子供二人と私の距離が2メートルしか離れていないのは明らかに変だ。
 私の方から離れれば良いと思うかもしれないが、それもできない。私は今、はじの遠泳用のレーンにいる。そこは2レーンの広さしかない。明らかに私のいる方に向かって、子供たちは迫ってきているのだ。
 無邪気な顔をしやがって。ふざけたふりをして、俺に水をかけて困らせようという作戦か。考えが被害的になる。子供たちは無我夢中になって遊んでいただけか、私を困らせようとイタズラ心をだしたのかは、不明である。
 この明らかに不自然なシュチエーション。
 さすがに見守っていたお母さんが立ち上がって、「向こうの方で遊びなさい」と、私の方から離れるように指示を出した。ああ、助かった。助かった。
 そんなことをしているうちに、体は水の冷たさに慣れてきた。肩慣らし3-4メートルほど泳いでみる。よし。泳ぎ方は忘れていない。当たり前だ。
 私は運動は苦手であるが、泳ぎは普通に出来る。
 いくぞ、25メートル。
 スタートした。水を切って進む。グイグイ進む。心地よい。
 もう、半分まで来た。しかし、もう疲れてきた。ちょっと頑張りすぎたようだ。2/3ほどまで来た。これ以上は、深くて危険な区域に差しかかる。
「最後まで泳ぎきれるのか、お前は。本当に大丈夫か。足がつかないと大変なことになるぞ」、と自問自答する。別に無理25メートルを一機に泳ぎきることはない。まだ1回目の泳ぎである。ここは休んでおいた方が良いだろう。と、判断して立って休むことに。
 「うわっ!!」
 足がつかない。水中に飲み込まれていく。それでも足は付かない。水深は190センチ以上はある。まずい。溺れる。手をバタつかせる。助けてくれー。
 樺沢紫苑、シカゴで死す。
 洒落にならない。私の人生が走馬灯のように頭をかけ抜けていく。でも、走馬灯って何だ。
 私の人生ではない。1週間前に同僚が書いた新しい論文が受理されたので、その論文を読ませてもらったが、それを思い出した。
 強制水泳モデルのラット脳を使った研究であった。強制水泳モデルと何か。ラットを深い水槽に入れる。溺れそうになったラットは、必死で四肢をバタバタと動かす。何とか浮いている。しかし、何分もたつと、疲れてきてあきらめてしまう。しかし、またしばらくすると、バタバタやりだす。15分の間に、どれだけ水面上に動かないで浮いているかを測定して、それを無動時間と呼ぶ。無動時間が長いラットは、うつ病のモデルとされるのだ。
 何と残酷な実験。いやいや、しかし強制水泳モデルは抗うつ薬の開発には不可欠な実験モデルである。無動時間が短縮されるということは、抗うつ効果があると判定される。最近発売されている抗うつ薬は、必ず強制水泳モデルでの評価も行っている。
 残酷どうこうよりも、あきらめやすい、生への執着が乏しい、疲れやすいラットを、ラットのうつ病状態と判断することがどうなのよ? 
と、思う人もいるかもしれない。全くその通りだ。私もそう思う。ラットを泳がせている研究者も半信半疑なのだが、実際に抗うつ薬を投与すると無動時間が半分くらいまで短縮するのだから不思議なものだ。まあ、それは良い。
 俺は、溺れそうになった瞬間に、強制水泳モデルのラットを思い出したのだ。
「俺は強制水泳モデルラットだ♪ まるで強制水泳モデルラットだ♪」(大槻ケンヂ「元祖 高木ブー伝説」の節で)
 字余り。
 私は、強制水泳モデルラットの気持ちを非常によく理解した。

 別に、水を飲んでしまったわけではないので、冷静さを取り戻し、普通のクロール泳法にもどり、体勢を立て直す。何とか端まで到達し、急死に一生を得た。とりあえず、休止だ。いや、休憩だ。
 プールサイドに上がって水深を見ると、15フィートと書かれている。4メートル50センチだ。水は満杯ではないので、実際は4メートルくらいか? 足が付くはずがない。なんという深さ。シンクロナイズドスイミングでもやれというのか? アパートのプールで4メートルもの水深が必要な理由を言え!! そう毒付きたいところだが、端まで行って水深を確認しなかった、私が悪かったようだ。
 このプールは真ん中までは等差級数的に深さが変化しているが、それ以降は等比級数的に深くなっている。わかりやすく言えば、放物線のように変化している。まだわからない? 突如として、どえら〜く深くなっているということだ。実に危険なプールだ。
 さて、気を取り直したところで、再びプールへ戻る。さて、この危険なプールをどのように攻略しようか? 私の現在のへなちょこ体力では50メートルを一機に泳ぎきるのは無理だろう。とはいえ、ある程度まとめて泳がなければダイエットの効果は得られまい。
 時として先ほどのような誤算を招くが、おおむね明晰な私の頭脳は考えた。深い方から泳ぎ始めればいいじゃないか。私は、水深4メートルの側から、水深1メートルの側に向かって泳ぐこととした。これなら、疲れた頃には安心して足を付くことができる。
 よし、レッツ・ゴー。25メートルを一機に泳ぎきった。俺の泳力もまんざらじゃない。しかし、休養は必要。次の25メートルに備えて、しばらく立って休んでいた。
 しかし、子供たちは元気だ。まだ無邪気に騒ぎ続けている。このプールは、端のに2レーンは、私のように泳ぎ達者な人のために遠泳用レーンとして。残りの部分は、浅いところまでの半分が、子供のお遊びスペースとして区切られている。当然、子供たちは、浅いところで遊んでいる。
 と思ったら、子供たちが徐々に深いところに向かっている。これは危なくないか。子供は遊びに夢中だ。
 さらに深い方へ向かっていく子供たち。
 「おい、危ないって」
 子供用スペースの境界を越えて深い方に入って行ってしまった。
 「溺れる!!」
 さすがに、見守っていたお母さんも気付いた。
 「そっちは、危ないから戻ってきなさい」
 先ほど、私にあれほど水をかけておきながら、私の存在に気付かなかった子供たちだ。母親の呼びかけも、耳に入らないらしい。私が溺れそうになった、2/3あたりにまでさしかかろうとしている。
 「危ないから戻りなさい」お母さんの声も大きくなる。しかし、母親はなぜか助けに行こうとはしない。
 「お前、母親なんだから、助けに行けよ。まずいって」。
 あと、子供たちを助けにいけのは? 老女は、あいかわらず読書だ。子供たちを助けに行けるのは俺しかいないぞ。子供たちを助けないと・・・。
 「キャシャーンがやらねば誰がやる」
 いや、「樺沢がやらねば誰がやる」
 そう思い、泳ぎだそうとした瞬間、私の頭脳は異変を察知した。
 子供たちは、既に2/3のあたりにいる。私が足が付かなかったあたりに。なぜ、子供たちは大丈夫だ? 何と、子供たちを良く見ると、立ち泳ぎをしているではないか。それも、とても上手に。心配させやがって。
 母親が「戻ってきなさい」としつこく叫んでいるので、平泳ぎに切り替えて4メートルの深さの端まで泳ぎきってしまった。そこから、上がって、母親の元へ。この子供たち、相当の泳力だ。私以上に泳ぎが上手かもしれない。母親が助けに行かなかったのも、納得する。
 しかし、人をハラハラさせるガキどもだ。
 子供のことは無視して、泳ぎに専念。片道を5本も泳いだぞ。
 しかし、のべ何分泳いだだろうか?
 30分以上連続して運動しないと、脂肪は燃焼されない。そんな、ことは知っている。しかし、30分以上も泳ぎ続けるのは、私の泳力では不可能だ。これだけ、苦労したのに全くダイエットには貢献していないとは。少し、泳ぐ距離を増やしていこう。毎日でも泳げるのだから。
 ということで、日向ぼっこ休憩。なんだか、休憩が多いなあ。
 それにしても、週明けの実験の打ち合わせで、指導医は何と言うか?
 「強制水泳ラット脳を使っ実験を始めろ」
 そう言うに違いない。
 私は既に、強制水泳ラットの気持ちを理解している。このことは、来週からの実験に、何らかの形で大きく役立つはずだ。やはり、仕事を早く切り上げて帰ってきてのは大正解だった。
 金曜の昼下がり、かわいらしい子供たちと有意義な時間を過ごせた私は非常に満足である。       (2004年6月12日)
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