樺沢のシカゴ日記
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「樺沢、運命の輪を見る」

ようやく、テレビが届いた。
 実に、ネットで注文してから、24日ぶりのことである。もう待ちくたびれた。テレビと一緒にテレビ台も注文したのだが、テレビ台は10日ほどで届いた。これは早かった。だからテレビが届かないのが、余計心配になった。
 私のアパートでは、配達時不在の場合は、荷物保管庫があって、そこで預かってくれる。それ自体は非常にありがたいシステムである。しかし、どうもこのアパートには独身者が多いらしく、保管庫には常に保管庫一杯の荷物が置かれている。30〜40個はあるだろう。ドアマンが荷物を引き渡してくれるのだが、彼らは間違わないで引渡し業務をしているのだろうか? 大変疑問である。ひょっとして、私のテレビはテレビ台と一緒に配達されたにもかかわらず、誰か別な人が持っていってしまったのではないか? そんな疑念が捨てられない。
 「既に荷物は発送した。遅くとも、6月11日までには届く」とメールで連絡が来た。しかし、6月11日になっても一向に荷物は届かない。
 やはり・・・。私の疑念は膨らむばかり。アメリカ人はどうも信用ならない。テレビが来てないかどうか保管庫をチェックさせてもらうことにした。保管庫にはない。テレビはでかいので見逃すということはない。
 私のアパートは双子のように同じようなアパートが向き合って立っている。つまり、部屋番号1001号は、「A棟」と「B棟」の二つがある。「A棟」と「B棟」は番地が違うので、番地が正確に書かれていれば誤配達はないはずだが・・・。
 しかし、アメリカ人は何をやらかすかわからん。かなり、疑心暗鬼だ。私は「B棟」の住人。私と同じ部屋番号の「A棟」の住人が、私のテレビを見ている姿が、ありありと頭に浮かぶ。
「ちくしょー、それは俺のテレビだぞ。」
 同じ部屋番号の住人に殴り込みをかけるか? その前に、本当に発送したかのどうか、それと配達済みなのかどうかを、カスタマーサービスに問い合わせるのが先だ。とはいっても、電話は億劫だ。もう、電話恐怖症だ。とりあえず、来週まで待ってみよう。
 翌週の月曜日。メールの案内の期日から遅れること3日後。ようやく、テレビは到着した。
 本当に、ホッとした。
 ごめんなさい。ドアマンの人。A棟の住人の人。疑ってしまって。全て、配達会社のせいですから。
 気が付くと、アメリカに来て7週間というもの、テレビが全くない生活をしていたことになる。日本にいる時は、テレビというのは生活に不可欠なアイテムに思えるが、実際はそうではなかった。ニュースはインターネットで見られる。テレビがなくて生きて行けないということは、全くない。このままなくてもいいような気もしてくるが、私の英語のヒアリング能力向上のためには、テレビは必要だろう。現在の私の仕事は、黙々と一人で実験すること。一日の中で英語を話したり聞いたりしている時間というのは、今の生活ではせいぜい30分くらいだ。この時間は、英会話学校に通い、車の中ではヒアリングテープを聴き、必死に勉強していた日本にいるときよりも、少ないかもしれない。これじゃ、英語が上達するはずがない。
 それにしても、アメリカはチャンネル数が多い。40〜50もあるのか。もちろん、ケーブルテレビではない。地上波だけ。数えるのも面倒なほどだ。しかし、おもしろそうな番組は、そんなに多くない。通販チャンネルや、TVガイド(プログラム紹介)、スペイン語専用、教会のお説教専門チャンネルとか、おおよそ見たくないチャンネルがたくさんある。結局見るのは、ほとんど全国ネットのメジャーなチャンネルとなる。
 ちなみに、アメリカの新聞にはテレビ欄というのはない。日曜版の新聞を買うと、一週間分の番組表がついている。道新の「オフタイム」のようなものだ。チャンネル数が多いので、小冊子みたいになっている。それ以外は、スーパーなどで売っている「TVガイド」を買うことになる。
 しかし、アメリカのテレビ番組表というのは見づらい。なぜなら、番組のタイトル名しか書かれていない。内容が全く分からない。これじゃ、どんな番組なのか、想像もつかない。いや、このタイトルから、想像するしかないのだ。「TVガイド」は多少詳しいが、アメリカ版オフタイムは本当にタイトルしか書いていないので困る。全く使えない。
 私の新テレビで初めに見た番組は「ホイール・オブ・フォーチュン(運命の輪)」だ。と言っても、誰も笑ってくれないんだろうなあ・・・。約30年前からやっている長寿クイズ番組。「クイズ・ミリオネア」と形式はだいぶ違うが、似たようなものだと思って欲しい。私はなぜか、今までアメリカに旅行で来た時なども、お約束のように「ホイール・オブ・フォーチュン」を見てしまう。
 二人ペアが三組出場する。質問に正解するとルーレット(ホイール・オブ・フォーチュン)を回して、その金額をゲットする。ありがちなクイズ番組。例によって、最後に大きな賞金を獲得するのは、1組だけ。1組のグループは1万ドル以上の賞金を手にする。しかし、他の二組は賞金が100ドルくらいになってしまう。
 1万ドルをゲットして喜ぶ出場者の笑顔よりも、賞金が100ドルに目減りして苦笑いする出場者の表情を見るのが好きだ。
「何て、性格の悪い奴だ」、と思うかもしれない。
 しかしあなたも、「開運 なんでも鑑定団」で、100万円で買った掛け軸の評価額が「1000円」だったのを見て、おもしろがっていないか? 気分としては似たようなものであるが、私が「ホイール・オブ・フォーチュン」を見るのには別な理由もある。
 これがアメリカだからである。アメリカン・ドリームの影には、たくさんの敗者がいる。マスコミは、「アメリカン・ドリーム」を獲得した成功者だけをクローズアップし、アメリカはチャンスの国であるとアピールする。しかし、それは虚構だ。大金を手にできるのは、一部の者だけ。残りは敗者だ。無数の敗者と少ない成功者によって成立しているアメリカ社会。このクイズ番組「ホイール・オブ・フォーチュン」には、アメリカの社会構造が凝縮されている。
 「ホイール・オブ・フォーチュン」の様な番組は、ある種の「アメリカン・ドリームのアピール」という社会宣伝の意味を持っている。そこに多くの国民が夢(アメリカン・ドリーム)をたくし、勝者に感情移入することで、その間だけでも自分が敗者であることを忘れることができる。あるいは、自分もいつかはアメリカン・ドリームを手に入れられるのでは、という非現実的な願望をリアルなものとして感じることができる。アメリカ社会において、必要不可欠な装置。だからこそ「ホイール・オブ・フォーチュン」は、何十年も続いている長寿番組として君臨している。
 「ホイール・オブ・フォーチュン」、これは映画「マトリックス」の機械につながれた人間が、仮想現実の夢を見せられているのと何ら変わらない。
 "This is the real world." (これが本当の世界だ!!)
 「マトリックス」のセリフ。仮想現実の世界は虚構。機械につながれた本当の姿の人間を、モーフィアスがネオに見せるシーンである。
現実を直視することを避け、アメリカン・ドリームの幻想の中で心地よく生活する。それが、幸福なのか、不幸なのかは分からない。
 しかし、我々はリアルワールドを簡単に直視することができる。「ホイール・オブ・フォーチュン」の、賞金100ドルとなった出場者が、リアルな現実だ。だから私は、賞金100ドルとなった出場者を見るのが好きだ。

 「ホイール・オブ・フォーチュン」を見ながら、アメリカ社会について考えるのは、私くらいのものだろう。「もっと普通に楽しめよ」 そんな突っ込みも聞こえてきそうだが、これが樺沢流の楽しみ方なのだから、しかたがない。      
 (2004年6月15日)
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