樺沢のシカゴ日記
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ゴスペル・フェスティバル


「樺沢、ジーザスおばさんを見る 」

 シカゴはイベントが多い。毎週のように、大きなイベントが開催される。シカゴ市が主催するイベントだけで10以上もある。「ゴスペル・フェスティバル」「ブルース・フェスティバル」「ジャズ・フェスティバル」等、音楽のイベントが多い。
すごいのは、これらのイベントが全て無料ということだ。全米から一流アーティストを招き、金曜から日曜まで、午前中をのぞいて、ぶっ続けでコンサートが開かれる。それが、何と無料。日本だとフリーパスに1万円はとられるだろう。
 たくさん人が集まりすぎて、前の方では見られないのではないか? あるいは、何万人も集まって、大変な混乱状態、あるいは超盛り上がってるのか? こちらのビッグイベントは、どんな調子なのか予想もつかない。 
 さて、今週は「ゴスペル・フェスティバル」だ。あまり音楽には造詣が深くない私だが、とりあえず無料なので行ってみることに。
 それと、「プリンターズロウ・ブックフェア」というのが、同じ日に開催されている。「ゴスペル・フェスティバル」の前に、まず「ブックフェア」に行くことに。というか私の主たる目的は「ブックフェア」で、家内の主たる楽しみは「ゴスペル・フェス」なのだ。
 「プリンターズロウ・ブックフェア」は、本屋がたくさん出展する本の祭りである。会場が実に広い。ダウンタウンのかなり大きな通りを4ブロックほど閉鎖して、そこでイベントをやってしまおうというのだ。札幌で言えば、4丁目の歩行者天国みたいな感じで、大通りからススキノまで全て書店が出店している、とイメージしてもらえば良いだろう。「インド・フェスティバル」と同様に、テントでの出店。全部で100以上のブースが出ていることは明白。全てを数えることもできない。
さて,端から一軒ずつ見ていく。ほとんどが古本屋だ。新刊の店もある。著者が来てサイン会をやっているところも多い。料理本のブースでは、実際に著者の料理人が来て実演をしたりしている。何の関係があるのかわからないが、オレンジやガムを無料でくばっていたりする。とりあえず、もらっておく。「本」といっても、催しは多彩だ。
 とにかくすごい規模。全部で何万冊くらい、並んでいるのか。10万冊くらいか。一軒千冊、100軒出ているとすれば、10万冊だ。図書館1つ分くらいの本が出店されている。全てを見ることは不可能。小説、ノンフィクション、童話・絵本、写真、雑誌など店ごとに得意ジャンルがある。自分の興味のあるジャンルを集中してチェック。そうでないのは、パスするしかない。
 料理関係の本、宗教、歴史などの本をチェックした。アメリカ人は整理が下手だ。だいたいのジャンル分けがされているが、整理がいいかげんで見づらい。客も客で、よくこの中から自分の好みの本を探せているなあ、と感心する。
 ブラブラ歩いていると、3時間ほどの時間がアッというまに過ぎた。
 まずい。家内の機嫌が悪化している。そろそろ、「ゴスペル・フェスティバル」へ向かわねば。歩いて行けない距離ではないが、歩くと20分以上はかかりそうなので、タクシーで行くことに。
 さて、ここに「ゴスペル・フェスティバル」の公式チラシがある。会場は、「グラント・パーク」と書かれている。タクシー運転手に「グラント・パークまで」と言うと、「グラント・パークのどこか?」と聞き返される。「ゴスペル・フェスティバルの会場まで」と言い換えるが、「だから、グラント・パークのどこら辺か?」と聞き返してくる。
 そんなもの、私が知っているはずがない。これから行くのだから。
タクシー運転手だから知っていると思って、わざわざタクシーに乗ったのに知らないのかよ。
「とりあえず、グラント・パークのあたりまでやってくれ。後は自分で探すから」と言うと、ようやくメーターを下ろして走り出す。
 非常に親切な運転手だ。
 別に嫌味ではない。
 なぜかって? だいたい、アメリカのタクーシー運転手はかなり危険だ。すぐに、儲けようといろいろな悪巧みを考える。だいたいこういう場合は、メーターを倒してから、いろいろと聞いてきたりするのが常套手段だ。時間稼ぎだ。そうして、きちんと行く場所がわからないと、現場で右往左往させられて(向こうは意図的にしている可能性もある)、長い距離を走るのである。今のところぼったくられたことはないが、せこい手段を使って、金を稼ごうとする目に何度かあっている。慣れない日本人だと思われると、特にやばい。ガイドブックには、「夜は電車は危険なので、タクシーが安全」と書かれているが、タクシーも安全とは言えない。全然別な場所に連れられていっても、こちらの発音が悪いとでも言われればどうしょうもない。道を間違えていないか、今どこを走っているか、常に通りの名前をチェックしておく必要がある。
 さて、この運転手の対応は随分とぶっきらぼうであったが、時間稼ぎもしようとしなかったし、目的地がハッキリわからないということを、出発の前に告げているので、とても正直だ。タクシー運転手の鏡のような存在だ。いつもより、50セントも余計にチップをはずんでしまった。
 さて、「グラント・パークのあたり」でおろしてもらうが、遠くにステージが見えている。ちょうど、良いところで降ろしてもらえた。それにしても、不親切なチラシだ。会場は「グラント・パーク」しか書いていない。「グラント・パーク」は、大通り公園みたいなもので、端から端までは1キロ以上はある。それなのに、「グラント・パーク」しか書いていないのだ。普通は「大通公園、西5丁目会場」とか書くでしょう。もっと、詳しく書けよ。
 何か、以前にこれと似た体験をしたことがあるような気がする。デシャ・ヴューだろうか。まあいい。
 会場へ向かって歩く。あれっ。ゴスペルが聞こえないぞ。それに、人もまばらだ。予想された混雑は、一体どこに・・・。プログラムでは、16時半まで予定が入っているようだ。今の時間は16時。どうやら、予定より30分早く終了してしまったのか? しかし、少し離れたところにある小さいステージから、音楽が聞こえてきた。この時間帯は、どうやら別な小ステージでやっていたようだ。まずは、そちらで鑑賞。
これがゴスペルか? 男性シンガーが歌っている。あまり、典型的なゴスペルって感じでもない。やっぱり、太った黒人のおばさんが出てこなきゃ、ゴスペルじゃない。とりあえず、まあまあの盛り上がりだ。しかし、こちらのステージも30分ほどで終了。次のメインのステージは、17時からだ。とりあえず、30分の空き時間。
 今日は随分と暑い。日本のイベント同様に、フードの店がたくさん出ている。さて、ドリンクでも買おうか。店も空いているし。と思い、ドリンクを注文しようと思うが、現金は通用しない。ここでも、現金はダメかい。向こうの売り場で、金券を買わないと飲み物も買えないのだ。じゃあ金券を買おうかと思ったら、そこには50人くらいの行列ができていた。どうりで、フードの引き換えスペースには行列ができていないはずだ。
 この行列を見て、即あきらめモードに入る。しかし、もう少しフードスペースを歩いてみる。別な一画にも、おいしそうな店が並んでいた。どうやら、先ほどの金券スペースはオフィシャル・スポンサーの一つのペプシが仕切っていた場所のようだ。こちらの一画は、現金でも買えるぞ。アイスだ。今の気分はアイスだ。突然、食欲がわく。
 アイスの列に並ぶ。アイスを注文しようと思うが、どの客もおいしそうな食べ物を注文しているではないか。温かい細いひも状のパンケーキの上にアイスが乗っている。アイスは溶けてくるが、それをソースのようにして食べるのだ。

 「ファネル・ケーキ・アラモード」と言うらしい。真似して、それを注文。おー、結構いけるな。でも、これと似た食べものをどこかで食べた気がする。デジャ・ヴューか。いや、違う。インド・フェスティバルで食べた、サモサ・シズラーと妙に似ている。
 そういえば、悪夢を思い出した。「突発的油噴出ジャケット汚し事件」だ。同じ轍はふむまい。しかし、このパンケーキは十分に油がきれており、噴出の危険はなさそうだ。いやいや、そういう油断した時ほど危険なのだ。
 しかし、今回は大丈夫であった。ちなみに、インドフェスから帰宅してすぐに、石鹸でジャケットを洗ったところ、なんと油汚れが跡形もなくとれたのだ。クリーニングに出すという危機を見事に回避でき、ハッピーな一日で終わったふことを追記しておく。
 パンケーキを食べながら、17時からのステージを見るための場所とりへと向かう。

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ファネル・ケーキ・アラモード

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ちなみに
サモサ・シズラー再び
似ている・・・

 それにしても、会場に来ている人の9割は黒人である。ゴスペルは黒人の文化であることは承知であるが、シカゴ市主催の「ゴスペル・フェスティバル」という市民の祭りなのであるから、白人も見に来るのかと思いきや、ほとんど来ていないのが現実である。
 人種間の壁、文化の壁というのは意外に厚いものだと感じた。
 ステージの直近は、コンサート会場のようにイス席になっている。後ろの芝生では、みなキャンプ用のイスか敷物を持参で、鑑賞に来ている。クーラーに飲み物食べ物持参の人も少なくない。皆、慣れたものだ。昼12時から夜21時過ぎまでずっとやっている。みんな、長期戦の構えで聞きに来ているのだ。
 会場にはかなりの人が来ている。多分一万人以上。しかし、バカみたいに混んだ感じはしない。日本で同じイベントを無料でやったら、何万人集まるだろうか? 大変なパニックになることは間違いない。意外とアメリカ人は冷めているのか? 敷物で席をとっているのは、日本の花見のようだが、妙に隣の人との間に余裕があるのだ。コンサートだというのに、動けないほどびっしり詰めて座るわけでもない。この辺のスペースのとり方が、アメリカ的だなと思った。
 一生懸命音楽を聴いている人。一緒に歌いだす人。踊りだす人。ひたすら、食べ続ける人。昼寝をしている人。楽しみ方は、人それぞれである。アメリカ人は熱狂的ですごい盛上がりになるかと思っていたが、必ずしもそうではない。真剣にミュージックを楽しもうという人は、前のイス席に陣取っているらしく、芝生の人たちはのんびりとフェスティバル全体を楽しむというスタンスだ。
 アメリカ人は、人それぞれだ
 さて、いよいよ太った黒人女性のシンガーが登場した。曲もいかにもゴスペルっぽいのになって、会場は大いに沸く。皆が知っている歌らしく、シンガーの声よりも、客の声の方がでかいくらいだ。
 私のすぐ後ろの席の女性が、興奮状態になった。
「ジーザス、ハレルーヤ。ジーザス、ハレルーヤ。」
 連呼しながら、大きな動作でダンスを続ける。そのおばさんの隣の人たちは、先ほど帰ったようで、混雑した人の中でポカリと芝生の空間が空いている。まるで、「ジーザス、ハレルーヤ」おばさんのステージでもあるかのように。そのせいもあって、彼女のダンスはやたらと目立つ。衆人はそれを見守る。曲の盛り上がりとともに、「ジーザス、ハレルーヤ」の声がでかくなっている。大丈夫か、このおばさん。
 曲はエンディングへと向かう。
 しかし、「ジーザス、ハレルーヤ」おばさんのダンスは踊らない。
 そして、曲は終わった。
 何とおばさんは、「ジーザス、ハレルーヤ」を連呼しながら、さらに踊り続けている。
「曲があってもなくても、同じかよ」
 思わず突っ込みを入れたくなる。ほとんど曲など聴いておらず、自分の世界に入ってしまっている。そして1分ほどして、ようやく我に帰った。
 さて、しばしのインターバルの後、シンガーが次の曲を歌いだした。
 そういえば、後ろが静かだ。おかしい。さっきと違う。
 後ろを振り向いてみると、「ジーザス、ハレルーヤ」おばさんは、キヤンプ用のイスにドップリと腰掛けていた。悠然とうちわで顔を扇ぎながらくつろいでいたのだ。
「おい、一曲だけかよ」
 またもや、心の中で突っ込みを入れる。先ほど激しく踊り過ぎたようで、かなり疲労したようだ。すっかり、休憩タイムに入っていた。まあ、楽しみ方は人それぞれ。いいじゃないか。とは思う。
 音楽について疎い私も、この雰囲気は大いに楽しめた。しかし、音楽よりも人物観察が楽しかったりする。まあ、これも私なりの楽しみ方だ。来週は、「ブルース・フェスティバル」だ。今度は、敷物持参でいくか。まさか、「ジーザス、ハレルーヤ」おばさん、来週も来てないよな。(2004年6月15日)
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