樺沢のシカゴ日記
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「恐怖の床屋体験」

 誰でも嫌な事というのは、後回しにしたいものである。しかし、もう限界だ。
 アメリカに来て既に、7週間がたつ。最後に床屋に行ったのは、渡米の数日前であるから、かれこれ2ヶ月もの間、床屋に行っていない。普通は1ヶ月1回はいくから、かなり異例なことである。
 日本にいても全く新しい床屋に行く時は、不安だろう。変な風にされたどうしようと誰でも心配だ。ましてや、アメリカである。初めての床屋というのは、相当に不安である。
 少し不安を和らげようと思い、「アメリカの床屋」で検索してみた。
「アメリカの床屋は下手だ」
「トラ刈りになったというヒトもいたりして・・・」
「アメリカの床屋はひどいです。基本的に職人とかいうものがいない気がします。プロ意識もないように感じます」
「アメリカの床屋で納得のいく髪型に切ってもらうのは至難の業である」
 しまった。とんでもない、恐怖の経験談ばかりが載っている。検索しなければよかった。余計不安は強まる。
 アメリカの床屋では苦労するだろうことを見越して、渡米直前に床屋に行っておいたのだが、そろそろ限界である。これ以上切らないと、江口洋介に間違えられてしまう。
 ああ、その心配はないか。
 アメリカで江口洋介を知っている人など、ほとんどいないだろうから・・・。
 最近、結構暑くなっているし、この長い髪の毛はかなり不快になっている。ついに行くしかないのか・・・。
 いつも行く、スーパーのならびに床屋があった。そこに行くことにする。店の前まで行く。
 中の様子を見ながら、さりげなく通り過ぎて見る。まず、ここは本当に床屋なのかを確認しなくては・・・。美容室に入ってしまったら恥ずかしすぎる。
 中をのぞくと女性の客が二人する。何・・・。ここは、美容室か? 
 床屋ではないのか? 
 店名は、「スーパーカット」だ。あまりにも、ベタな店名。店名は、鑑別の手助けにはならない。
 まて。奥の方に男性がいた。美容室兼理容室ということか?
 入り口を注意して見る。「Men, women, and children」と書かれている。どうやら大丈夫のようだ。
「さて、中に入ろうか」と思った瞬間、黒人の女性が店内に入っていった。
「先を越された」
 これで、待ち時間が30分以上も余計にかかってしまうではないか。躊躇している余裕はない。私の戸惑いは吹っ切れた。
 その女性に続いて中に入る。受付で名前を聞いて、順番を登録してもらっている。それを真似て、同じように順番待ちヲする。5分ほどして30歳くらいの男性が入ってきた。結構客は来ている。変な店ではないようだ。と、自分を安心させようと試みる。
 しかし、一体何と注文すればいいのだ? 日本だと、「大体適当に」とか「いつもの感じで」とかで通じてしまう。以心伝心の文化は本当にありがたい。アメリカで「適当に」とか言ったら、本当に適当にやりそうで恐ろしい。モヒカン狩りにされたとしても文句は言えない。「適当と言ったじゃないか」と言われればそれまでである。とはいえ、髪の切り方を事細かに注文できるだけの語学力は今の私にはない。
 こんな時は、「アメリカで困らないための本」が役に立つ。これには、単に銀行口座の開き方とかソーシャルセキュリティー番号の取得の仕方が書かれているだけでなく、実際に窓口に行ったときに何と言えばいいのかが、具体的に英文の例で書かれているのだ。これは、使える本だ。この本なしでは、今までのアメリカ生活を乗り切れなかったと言っても過言ではない。これから、アメリカに留学する人は必携である。
 実は、理容室での注文の仕方もこの本には載っているのだ!! 
 ラッキー。
 しかし、改めて読み直してみると、文例は1パターンしかのっていない。
「耳の上まで切って、後は切りそろえてください」
 まあ、この表現で良いとしよう。
 さて、私の名前が呼ばれた。ついに順番が来たぞ。
 床屋の台とか、鏡の感じとかは日本とあまり変わらない。まず席につくと、シャンブーをするかしないか、尋ねられた。よし、ものは経験だ。$3余計にかかるが、ここはチャレンジしてみるとするか。「イエス」と答える。
「シャンプーは、カットの前にしますか? 後にしますか?」
 そんなの、洗髪はカットの前にするに決まっているだろう。おかしなことを言いやがる。「前」と答えると、シャンプーの台に案内された。
日本の理容室では前にかがんで洗髪するところが多いが、ここは後ろに倒れる感じである。首を固定する部分が小さすぎないか? 首の固定が妙に悪い。首に力を入れていないと、首の骨が折れそうだ。
 洗髪が始まる。シャンプーをつけて、こすっている。普通だ。やはり、日本人ほど器用ではないし、日本のように頭皮を気持ちよくマッサージをしてはくれない。頭皮よりも、主に、髪を中心に洗っている。結構、丁寧だ。時間をかけて洗っている。そのせいか、首の筋肉が疲れてきた。かなり限界に近づいているが、まだ洗髪は続いている。
 うー、苦しい。
 店員の力が髪に入り、後へのけ反りが強まる。
 このままで、頚椎が折れてしまうぞ。助けてくれー。
 半身付随になる。シカゴまで来て、半身不随になるとは・・・。
 俺は、こんなことのためにシカゴに来たわけじゃないぞ。
 いや、待て。半身不随ではないぞ。頚椎完全断裂だと、両手両足の全麻痺じゃないか。私は医者だというのに、こんな基本的なことも分からなくなっていた。
 そんなことを考えている間に、洗髪は終了した。
 助かった。命拾いをした。
 もともと不安な状態だっただけに、ついつい想像力が豊かになりすぎてしまった。今考えると、ただ首が疲れて、痛かったというだけの話だ。
 しかし、次なる関門が待っている。注文をしなくてはいけない。
 さて、「どうしますか?」と聞かれた。
「耳の上まで切って、後は切りそろえてください」と、本に書いてあったように言ってみる。とりあえず、通じたようだ。
 続いて、バリカンを持って「ナンバー6で良いか?」と聞いてきた。何のことか分からない。安易に「イエス」と言うと、大変なことになりかねない。ここは、慎重に行きたい。
 とりあえず聞き返す。ベラベラベラと何か言っている。しかし、聞き取れない。
 バリカンの刃の号数のことか? そんなもの、俺が知るか!! 俺は床屋じゃないぞ。
 しかし、安易に「イエス」とは言えない。念のため、もう一度聞き返す。やっぱり分からない。しょうがないので、「イエス」と言ってしまった。大丈夫か? 
 これが後々、大変なことにつながらなければ良いが・・・。
 「この店は初めてですか?」と聞かれたので、「そうだ」と答える。「前に床屋に行ったのはいつか?」と聞くので、「2ヶ月前」だと答える。
 なるほど、やはりプロは違う。前に床屋に行った時期から、だいたい普段の髪の長さを推測しようということか。
 さて、バリカンを持って刈り始めた。耳の周囲をザクザク切り落としていく。おい、待て。それは、切りすぎじゃないか・・・。
 3センチくらいの長さの髪が、バラバラと床に落ちていく。これは、どうみても切りすぎた。
 「この近くに住んでいるのか?」「車で来たのか? バスで来たのか?」床屋でよくある、世間話トークだ。俺には、そんなことを話している余裕はないぞ!!  しかし、立て続けに質問をしてくる。そんなことどうでもいいだろう。
 油断して、トークに引き込まれている間に、髪の毛がザクザクと落ちていく。
「しまった」
 待て。待ってくれ。
 ひょっとして・・・「ナンバー6」というのは、六分刈のことだったのか? 
 まずい。六分刈にされてしまう。
 さすがに、焦って「ちょっと短かすぎないか!!」と、抗議をする。
 「大丈夫。問題ない」と全く請合わない。
 引き続きザクザク髪は切られる。
 これは危険だ。
 もう一度「短すぎる」と抗議するが、「ハンサムにしてやるから大丈夫だ」と言う。
 もう、あらかたバリカンは終わっている。後は、任せるしかない。
「どこから来た?」「これが、アメリカで初めての床屋か?」
 まだ質問するのか? もういい加減にしてくれ。
 その後、ハサミで整えて、最後に生え際を小さいバリカンで切って、ドライヤーで整えて終了。30分かからず終了。顔そりはなしだ。
 果たしてどんな髪形になっているのか。耳の周りが妙にスースーしているぞ。
 しかし、眼鏡なしでは、全く見えない。
 おそる、おそる。眼鏡をかける。
「おっ、意外に良いじゃん」。
 いつもの自分の髪型よりは、やや短めであったが、夏も近いことでサッパリとして、十分満足な出来である。
 バリカンでザクザク切られていたが、それは単に2ヶ月も床屋に行っていなかったせいで、髪が相当に伸びていたからだ。また、こちらはバリカン8割、ハサミ2割くらいで、ほとんどがバリカン頼り。ハサミは仕上げの調整程度にしか使わない。日本だと、ハサミ8割、バリカン2割くらいだろう。そのせいで、バリカンで切る髪の量が多かったわけだ。
 このくらいの切り具合が、「ナンバー6だ」と最後に説明してくれた。なるほど、ためになる。これは全米に津通用するものか、この店のオリジナルの設定なのかは分からない。多分、後者であろう。だから、「この店は初めてか?」と聞いていたのだ。謎が解けた。
 次回からは注文が簡単そうだ。いや待て。本当はもうちょっと長めが良かったのだ。もう一段階くらい、長い方がいい。その場合は、「ナンバー7」なのだろうか? いや、「ナンバー7」は、「ナンバー6」よりも長いのか、短いのか? わからん。これ以上短くされるとかなり厳しいぞ。とりあえず、次回も「ナンバー6」でいこう。
 とりあえず、床屋恐怖症はクリアされた。次回からは、安心して注文もできる。
 散髪料金は、$14.95だった。洗髪なしでは、$3安く、$11.95。
 たいしたサービスもない代わり、値段は安い。
 待て。今、この文章を書いていて重要なことを思い出した。
 しまった!!  チップを払うの忘れた!!  
 アメリカでは、飲食店同様、床屋でもチップを払うのだ。
 あまりに、緊張していたせいか、すっかりチップを払い忘れていた。
 店員は、次回、行くときまでそれを覚えているだろうか?
「英語の分からない、チップを払わなかった失礼な日本人だな。
おかしな髪型にしてやれ!!」
 まさか、そんなこと、考えないだろうな・・・。
 私の床屋への恐怖感は、しばらく続きそうである。
 (2004年6月21日)

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