エクソシスト ビギニング 完全解読編


エクソシスト ビギニング
 Exorcist  The Biginning
 完全解読編 

 

<ネタバレあり>
ラストシーンを含め、映画のストーリーの詳細が書かれています。まだ、映画を見ていない人は、決して読まないでください。
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 「エクソシスト ビギニング」は、典型的なハリウッド映画である。
 つまり、ハリウッド映画の三つの悪役、「ローマ帝国」、「ナチス」、「イギリス」。その全て登場している。

 「EB」には、いろいろなテーマが含まれているが、この三つの観点から解読を始めるのが、分りやすいだろう。

(1)ローマ帝国について

 ファーストシーンの死体が累々と重なるシーン。
 

 少しわかりずらいが、この死体はローマ帝国の兵士である。
 このシーンの兵士の鎧に、PとXを合わせたシンボルが見られる。これは、古代ギリシャ語のX(Chi)とP(Ro)を組み合わせたものであり「Chi - Ro(チィロー)」と読む。
 「Chi - Ro」とは、「キリスト」を意味する。  
 キリスト教を国教としたローマ帝国は、この「Chi - Ro」のシンボルを、盾や鎧などに使用していたのである(図1)。
 
 つまり、これらの死体の山は、ローマ帝国の兵士である、ということが説明されている。

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図1 ローマ兵の盾
「Chi - Ro」のシンボル

 これだけでは、「ローマ帝国=悪」ということにはならない。
 しかし、残虐なローマ帝国は、こうした皆殺し的な(自軍にも多大な犠牲者が出る)戦争を何度もしてきている。
 このファースト・シーンは、メリン神父の夢(イメージ)のようだが、ローマ帝国の持つネガティブなイメージを、映画的にうまく利用している。

 

「エクソシスト ビギニング」を理解するためのトリビア 

<<映画の舞台ケニアのトゥルカナは、人類の起源の場所である>>  90ヘエ

 さて、謎に満ちた教会の発掘現場は、ケニアのトゥルカナ地方にあった。
 なぜ、ケニア、そしてトゥルカナという聞いたこともない場所なのか?
 実は、トゥルカナでは、ホモ・ハビリスの人骨が発掘されている。このホモ・ハビリスとは、160-190万年前のものとされ、世界で発見されている最も古い人骨の一つである。
 すなわち、トゥルカナは「人類の起源」の場所、といえるのだ。
 「エクソシスト ビギニング」で描かれるのは、「悪魔の起源」である。つまり、悪魔は人間の誕生とともに生まれた、ということがこの「トゥルカナ」の設定によって、示されていると思われる。

(2) ナチス/ユダヤ問題について

 ナチスドイツ、そしてヒトラーといえば、悪役の定番。
 しかし、この映画のナチスは、他の映画と比較しても、とんでもない絶対悪として登場していると言えよう。

 私の家内が、映画を見た後に言った。
 「悪魔よりも、ナチスの方がよっぽど怖い」
 全く、正しい指摘である。
 というか、正しくそうした印象を狙っているのだろう。

 メリン神父が神父を辞めるきっかけとなった事件。

 ナチス占領下のオランダ。ナチス兵士が殺害される。
 ユダヤ人が犯人と、勝手に決めつけるナチス将校。
 ナチス将校は、見せしめのために「この中から10人を殺す。殺す者はお前が選べ」とメリン神父に言う。
 それを拒否する、メリン。
 一番若くて、可愛らしい少女を撃ち殺すナチス将校。
 どうしょうもないメリン。
 また、子供を殺そうするナチス。
 しょうがなく、年老いたユダヤ人を指差すメリン。

 凄いシーンである。
 こんなことが、実際に行なわれたかどうかは不明であるが、
「ナチスとはとんでもないことをする!!」と怒りがこみ上げてくる。
 ナチスが「エクソシスト ビギニング」では絶対悪として描かれていることは、説明するまでもない。

 夢に登場する、殺されたユダヤ人の少女。
 「エクソシスト ビギニング」には、もう一人ユダヤ人が登場している。赤十字の病院で働く女医サラである。

 数字の刺青。これは、ナチスの強制収容所に入れられていたユダヤ人が、識別のためにつけられた刺青であり、彼女が強制収容所の生き残りであることを示す。

 映画を見ていて、サラとこう名前にピンと来た人がいれば、かなりのものだ。 

 族長アブラハムの妻がサラである。

 アブラハムを知らない人も多いだろうが、アブラハムはユダヤの族長。ユダヤ人の信仰の父とあがめられる。その妻サラは、年老いて子供イサクをみごもる。アブラハムとサラの子供たちの祖先が、現在のユダヤ人ということになる。。
 したがって、このサラという存在は、ユダヤ人の代表的な存在、「ユダヤ人そのものの象徴」、そんな雰囲気の意味合いが込められているだろう。

 ユダヤ人女医サラ。そして、メリンが見殺しにしてしまったユダヤ人の少女。
 この二人のユダヤ人女性が、メリンの頭の中でオーバーラップしていく。
 実際、悪魔との対決の最中に、サラの顔が、少女の顔に変化する描写もある。

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ユダヤ人の女医
サラ

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Jan Provost
「アブラハム、サラと天使」
右端の老女がサラ


 二人のユダヤ人女性。
 「サラ=悪魔の犠牲者
 そして、「少女=ナチスの犠牲者
 二人がオーバーラップ描写から、「サラ=少女」
 この方程式の答えは、「ナチス=悪魔」である。

 ナチスは悪魔的に悪い奴だ、ということ。

 さて、ユダヤ人のサラが、悪魔パズズに憑依される。
 その意味は何か?
 悪魔の犠牲者。
 ホロコーストの被害者。差別、弾圧の被害者。
 ユダヤ人に関する一つのイメージ。それは、「被害者」ということ。

 悪魔に憑依されたサラは、ナチスに迫害され、悪魔にも蹂躙された。夫は自殺し、サラ自身も最後には死んでしまう。踏んだり蹴ったりである。
 これほど悲惨な映画の登場人物も珍しい。

 サラはユダヤ人の象徴。
 そして、「被害者」。
 
 「被害者としてのユダヤ人」、これが「エクソシスト ビギニング」には描かれている。

「エクソシスト ビギニング」を理解するためのトリビア 

<<「ジョセフ」という名前の人物は聖書に三人出てくる>>
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 劇中ではジョゼフと発音されているようだが、表記はJoseph。一般的には、ヨセフと読まれることの方が多い。
 このヨセフは、聖書には三人登場する。

 旧約聖書、ヤコブの息子ヨセフ。
 新約聖書、イエスの父、大工のヨセフ。
 新約聖書、アリマタヤのヨセフ(イエスの遺体を引き取った人物)。

 実はヤコブの息子ヨセフは、上記のアブラハムとサラのひ孫にあたる。すなわち、ユダヤ人である。

 このジョセフ少年の名前の由来としては、非常に一般的なクリスチャン・ネームということで、「大工のヨセフ」を考えるのが妥当だろう。


(3) 反英描写について

 「エクソシスト ビギニング」の舞台は、第二次大戦直後のケニア。
 ケニアはイギリスによって植民地化されており、イギリス軍が駐屯する。これは実際のケニアもそうで、1961年までイギリスの植民地であった。
 イギリス軍少佐は、原住民の文化を保護しようという気など、さらさらない。あるのは、力による支配である。
 
 原住民は、発掘をやめさせるべく、何度も警告を発してきた。
 
 教会の十字架を逆さにしたのは、悪魔のしわざではなく、おそらく原住民の警告だろう。そして、アル中の男を生贄にささげたのも。

 しかし、イギリス側、キリスト教側は、その警告を無視し、発掘を続ける。

 ついには、イギリス兵と原住民の全面衝突。
 イギリス兵士は、原住民を皆殺しにしようとする。
 しかし、原住民の逆襲を受けて、双方が全滅。
 
 ケニアを植民地化し、武力による支配を強行するイギリスは、大きな「悪」として描かれる。

 (4) イギリス植民地主義とキリスト教に対する批判

 さて、パズズの大きな像がキリスト教会の下にあった。
 パズズが自分で像を作るはずがないから、人間が作ったということだろう。それも、教会よりも古い時代。ということは、原住民が作ったということになろう。

 原住民は、パズズを崇めていた。
 あるいは、パズズを怖れていた。
 原住民が地下洞窟のパズズ像を作ったのは、第一作で出てきた「悪を制するには悪を」という原理に基づき、パズズの像によってパズズの力を封じるということだったのだろう。
 パズズは、原住民にとっての土地神とも言える。

 神(唯一神でない多神教の神)は、その土地の守護者であり、時にタブーを犯したものには、懲罰を与える。教会の発掘を進めるイギリス人たちは、原住民たちにとっての神域を侵した。

 パズズは悪魔という設定だが、「全ての人間に災難を起こす絶対的な悪魔」とは描かれていない。
 なぜなら、最後のイギリス兵と原住民との殺し合いを除けば、原住民側から悪魔の被害者は出ていないのだから。

 今回の一連の事件で死んだ人、悪魔によって殺された人、あるいは不可解な死をとげた人たちを並べてみよう。

 「エクソシスト ビギニング」の死亡者リスト
・ ジョゼフの兄 
・ アル中の男 
・ 自殺したサラの夫
・ 自殺した少佐
・ フランシス神父
・ ジョゼフの父
・ サラ 
(クリスチャン)
(白人)

(イギリス人)
(クリスチャン)
(クリスチャン)
(ユダヤ人)

 全て、イギリス軍と教会関係者、すなわち西洋文化側の人たちである。「ちょっとまて、ジョゼフの兄と父は原住民だろう」と反論する人もいるだろう。しかし、ジョゼフとその家族は、キリスト教に改宗している。だから、名前は原住民の名前ではなく、クリスチャン・ネームである「ジョゼフ」なのである。つまり、ジョゼフの兄も父も、教会側、西洋文化側の人間である。

 この死亡者リストを見ると、ラストの修羅場(少佐により原住民の族長が殺される以降)を除けば、原住民側で死んだのは、流産した子供だけである。
 流産した子供は、あくまでもパズズからの警告の一つである。
 結局、パズズが暴走しイギリス兵を狂わせる最後の惨劇までは、パズズは原住民たちを一人も殺していない

 すなわち、パズズは土地神であって、原住民たちの土地を侵略し、彼らのもともとの土着の宗教、習俗を踏みにじる西洋文化を持ち込もうとした人間たちに、天罰をくらわした。それだけではないのか?

侵略者(イギリス、キリスト教)と
侵略者に反対する者(パズズ)
 どちらが悪か?

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悪魔の犠牲者
ジョセフとサラ
二人の共通点は・・・


 「エクソシスト ビギニング」では、このようにイギリスによる植民地政策、そしてキリスト教のミッションという名を借りた精神的侵略。
 途上国への西洋文化の侵略に対する批判が暗に描かれている。
 
 植民地主義に対する批判に関しては、少佐の悪役ぶりからみて、ほとんどの人は同意するだろう。しかし、キリスト教について批判的かどうかは、多少意見は分かれるかもしれない。

 しかし、原住民たちは、イギリス兵のみならず、教会に対しも反感を抱いていてたのは事実だ。そうでなむけば、逆さ十字架という最も反キリスト的な象徴を用いて警告をしないだろう。

 キリスト教は、偶像崇拝を禁止している。
 GOD以外を崇拝するものは、全て邪教であり、土地神や自然神などは邪教の神=悪魔ということになる。

 これは映画だけの話ではない。
 そもそもパズズは、バビロニア神話の風の魔人である。
 つまり、パズズは古代バビロニアにおいては、悪魔ではなく神だった

 パズズについて

 「エクソシスト ビギニング」の悪魔パズズのイメージとして、ハエとウジが多用されている。悪魔とハエといえば、「蝿の王」と呼ばれる、ベルゼブブを思い出す。パズズには、ベルゼブブのイメージがオーバーラップして描かれている。ベルゼブブは、キリスト教的には魔神の君主であり、サタンに次ぐ悪魔の二番目の実力者とも言われる。
 しかし、もともとのベルゼブブは、カナンの民がもっとも崇拝した神であった。シリア、ペリシテ人の間では、蝿を殺す神として信仰されていた。

 ベルゼブブについて
 
 つまり、パズズもベルゼブブも、もともとは異民族の間では、「神」として崇拝されていた。しかし、キリスト教から言えば、「God」以外の神は存在しない。全て、悪魔なのだ。
 異教徒の側からみれば、失礼な解釈であるが、これは歴史的な事実である。

 劇中のパズズは、現実のパズズとは、異なるものと考えた方がよさそうだ。しかし、キリスト教は異民族の神を悪魔よばわりしてきた、という歴史的事実だけは、劇中にも採用されている、ということだ。

 

「エクソシスト ビギニング」を理解するためのトリビア 

<<パズズ像のデザインは、実在のパズズ像と同じである>>
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パズズ像
ルーブル美術館所蔵
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パズズ頭像
大英博物館所蔵
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パズズ像
「エクソシスト 
ビギニング」
劇中

 劇中の写真と実際のパズズ像をよく見比べて欲しい。
 全く同じであることがわかる。

 

「エクソシスト ビギニング」を理解するためのトリビア 

<<「エクソシスト」でパズズが、イラクで発掘をしていたのは、パズズとバビロニアが関係あるからである>> 70ヘエ

 「エクソシスト」のオープニング、メリン神父はイラクの遺跡で発掘をしている。そして、そこでパズズの頭像を発掘する。
 でも、なぜイラクなの?
 上記の、もともとの(歴史上の)パズズは「バビロニア神話の風の魔人である」。
 古代都市バビロンは、現在のイラク、バグダッドま北100キロあたりにあったとされる。だから、イラクなのである。
 
 「エクソシスト ビギニング」の冒頭で古物収集家から見せられたパズズの頭像と、「エクソシスト」でメリンが発掘した頭像は、ほぼ同じ形をしている。メリンが頭像を発掘したときの驚きの表情。
それが、「エクソシスト ビギニング」で説明されているというわけだ。


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「エクソシスト ビギニング」を理解するためのトリビア 

<<イギリス軍によるケニア人虐殺は実際にあった>>
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 劇中、イギリス軍が抵抗するケニア人を皆殺しにするシーンがあるが、これはマウマウ団の反乱、を下敷きにした設定ではないだろうか。マウマウ団とは、ケニア最大の民族キクユ人を主体に、1950年代初めにケニアで反英国植民地武力闘争を担った秘密結社。ゲリラ戦術を展開したが、英軍の鎮圧で数万人が死亡したとされる。
 (5)本当の悪は何か?

「エクソシスト ビギニング」が我々に突きつけるテーマ。
 「悪」って、何? という疑問だ。


 罪なきユダヤ人を殺すナチス。
 勝手に侵略しておいて、服従しないからといって住民を虐殺するイギリス軍。
 
 悪魔より人間の方がよっぽど悪い!!
 
 誰でも、そう思う。
 多分それが、「エクソシスト ビギニング」のテーマだろう。
 
 つまり、「エクソシスト ビギニング」において、「悪魔=悪」ではないのだ。パズズは侵略者に対して制裁を加える。原住民の守護神であって、決して悪ではない。
 悪魔は、人間が持つ「悪」を引き出し、増幅するだけ。
 
 たとえば、ジョゼフに悪魔がとりついた瞬間。
 ジョゼフのヘラを取り上げた兄に、狂犬が襲いかかる。
 これは、ジョゼフの中に目覚めた、怒り、あるいは殺意を、悪魔が野犬をつかって体現しただけのこと。
 ジョゼフが、兄に対して怒りを抱かなければ、悪魔も勝手に少年にとり憑くことは出来ない、そういう描写だ。

 少佐の原住民の族長を射殺したことがきっかけで、イギリス軍と原住民の殺し合いへと発展する。イギリス兵が同士討ちをしていたことから、悪魔によって狂わされていたのかもしれない。
 しかし、もともと人間の中にあった、猜疑心や残虐性が、悪魔によって引き出されたに過ぎないのだ。

 聖書における悪魔も、別に直接人の命を奪うようなことはしない。
 例えば、エデンの園でエヴァ(イブ)を誘惑した蛇(悪魔)。
 イエスを高い山に連れて行き「もしあなたがひれ伏して私を拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」と誘惑する悪魔。
 人間の心の弱い部分に心理攻撃を加えるのが悪魔である。

 悪いのは「悪魔」ではなく、人間が持つ「悪」なのである。

(6) 神は存在するのか?

 ナチス将校はメリン神父に言う。
 
 「もう、ここに神などいない」
  God is not here, today.

 いるはずがない。いればこんな悲劇はおきない。
 そういうかのごとく、あざ笑うナチスたち。

 そして、同じ質問が繰り返される。
 サラにとり憑いたパズズは言う。

 「もう、ここに神などいない」  

 当然、メリンは神をいると信じている。
 いや、待てよ。
 ナチスの事件以来、メリンは神を信じられなくなったのだ。 
 だから、神父を辞めた。

 メリンが、このケニアの地を訪れたのも、最初は悪魔払いのためではない。遺跡の調査、聖遺物の発見が目的である。

 しかし、そこで少年が、悪魔に憑かれる(?)。この時点でも、まだメリンは「悪魔祓いをしよう」という決断には達しない。
 彼が、「悪魔祓いをしよう」と決意したのは、おそらくサラが悪魔に憑かれたとわかった時ではないか? 
 パズズの神殿の中で、悪魔と闘わなければサラの身が危険だ、ということで、悪魔祓いをせざるを得なくなる。
「悪魔祓いをする」とは、すなわち「神の力を借りて悪魔祓いを行なう」ということなのだが、悪魔祓いを始めた時点では、信仰を回復していたとは言い難い。回復する動機が描かれていないし。
 悪魔祓いという行為を通して、神の存在、神の力を感じることで、信仰を回復していった、と見るべきだろう。

 さて、悪魔祓いの結果、パズズはサラから去る。
 神の勝利である。
 
 しかし、サラは死んでしまう。
 そして、外に出たメリンは驚愕する。
 イギリス兵と原住民の死体の山。

 ここに、神は本当に存在するのか?

 (7)  ラストシーンの解釈
 

 さて、ラスト・シーン。広場のようなところで、古物収集家と会うメリン。
 この場所はバチカンである

 「私はメリン<神父>だ」と力強く言う。
 信仰を回復し、神父に復帰したという力強い宣言。

 そして、サンピエトロ広場からサンピエトロ寺院へ向かって歩いていく。多くの人は、「メリンは神父に戻った」それを表現する描写であると考える。

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バチカンの
サンピエトロ広場と
サンピエトロ寺院
(劇中に登場)


 しかし、そう考えるには、あまりにも不自然である。
 バチカンの人口はわずかに800人程度。世界中の神父の99.9%は、バチカンにはいない。世界各国の教会にいるのである。
 したがって、普通なら、古物収集家と別れた後に、大きな教会へ入っていけば、それで済む話なのだ。

 メリンは、なぜバチカンに入っていったのか?
 一つは、バチカン内に悪魔払いを行なう神父がいる、という現実の事実にもとづいた描写という可能性がある。しかし、メリンはもともとエクソシストであったが、オランダの教会につとめる神父だった。
 「エクソシスト」においても、メリンはバチカンから派遣されるものの、バチカンにいたわけではなく、イラクで発掘をしていた。

 バチカンへと入るメリン。
 この描写の意図する所は何か?

 だいたいにして、バチカンって何?
 ローマ法王庁。世界のカトリック教会の総本山である。
 すなわち、バチカンはキリスト教の権威の象徴である。

 結局、メリン神父は、パズズを封印した洞窟を暴いたことでパズズを蘇らせてしまったことには気づいただろうが、その原因が自分たち(西洋文化側の人間)であるということには、思いも至ってないようだ。
 だから、彼は悪魔との対決に勝利した(と思い込み)、信仰をとりもどす。そして、バチカンという権威のもとに戻る。
 こんな天邪鬼的な解釈もできなくはない。

 「悪魔が追い払われキリスト教の完全なる勝利」という解釈が普通だろう。
 いや、キリスト教の完全なる勝利だからこそ、問題なのである。
 パズズの成敗によって、侵略者による土着文化の完全なる破壊。キリスト教による主教支配の確立。
 侵略者は、自らが加害者であることにすら気付いていない。


(8) 「エクソシスト ビギニング」は反キリスト映画か?

 さて、ラストシーンを解釈する前に、そもそも「エクソシスト ビギニング」でキリスト教が、どう描かれていたいたかを、検証してみよう。

 ケニアの奥地で理想に燃え熱心に布教活動をしていたフランシス神父が登場する。異教徒、邪教を崇拝する未開人をキリスト教徒にすることは、イエスの素晴らしい教えを知らせるといいうこと。キリスト教的には素晴らしい行為とされる。
 
 しかし、改宗した男は幸せそうだが、他の原住民にとっては、ちっともありがたくないようだ。原住民にとっては、イギリス兵もカトリック伝道師も同じに見えていただろう。

 クリスチャンには失礼ではあるが、実際こうした侵略者に足並みをそろえるかのように、キリスト教は南米やアフリカなど未開の地への布教活動を行なってきた。イギリス兵が軍事的侵略であるとするならば、キリスト教は精神的侵略ということになる。

 逆さ十字架。究極の反キリストイメージ。
 しかし、これは悪魔パズズの出現を予感させる、視覚イメージであって、反キリストそのものを表現したかったわけではない。とは思うが、「エクソシスト ビギニング」に登場するキリスト教には、ポジティブなイメージは一つもない。

 例えば、ファースト・シーンのローマ兵の死体。なぜ、鎧に「キリスト」の文字が書かれているのだ? 一応、この兵士がロ−マ兵だと説明するという意味はある。
 でもあなたは、ローマ兵だとわっただろうか?
 それを説明するのなら、もっと別なわかりやすい表現があるはずではないか。「パッション」のローマ兵のような典型的なローマ兵の鎧を着ていれば、もっと多くの人が分っただろう。

 結局、皆殺しをするローマ兵、イエスを十字架にかけたローマ兵の胸に、「キリスト」と書かれていること。
 これ自体が、反キリスト描写ではないのか?
 
 例えば、パズズを祀った洞窟の上に、キリスト教会を建築。
 その目的は、パズズの封印。

 下 原住民の土地神パズズ
 上 キリスト教会

 これが何を象徴するだろうか?
 
 キリスト教会による土着宗教の抑圧、ではないのか?

 メリンはどういう人物だったか?
 
 酒を飲み、女人禁制を破り、墓を暴く。

 戒律破りのオンパレード。
 この時点では、確かに「神父」ではないが、これってどうよ?

 冒頭部で、メリンは昼間から酒を飲むシーンがある。それ以降は特に飲まないのに。このシーンの意味をよく考えてみよう。

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墓を掘り起こすメリン
「お前、それどももと神父か!!」
という突っ込みも、あながち間違いではないかも?

 酒を飲み、タバコを吸い、自殺した。 「エクソシスト」第一作のカラス神父にオーバラップする描写である。

「悪魔(ルシファー)の世界支配」の伝説の話がある。

 しかし、この映画の中で実際に世界を支配しようとするのは、

「ナチスの世界支配」
「イギリス植民地主義による世界支配」
「キリスト教の布教による精神的な世界支配」


の三つである。

 この三つが「悪魔の世界支配」と同列に扱われている。

 この「悪魔による世界支配」の方程式を解いてみよう。
 答は、
「悪魔(ルシファー)=ナチス=イギリス=キリスト教」
ということになる。
 キリスト教が、ナチスやイギリスと同列?
 これは私の単なる、計算違いだろうか? 

 このように、「エクソシスト ビギニング」のキリスト教にプラスのイメージは存在しない。

 しかし、反論する人はいるだろう。
 最後には、悪魔は追い払われる。
 これは神、キリスト教の勝利を意味するだろう、と。

 では、私もこれに反論しよう。
 果たして、パズズはエクソシズムの儀式によって、追い払われたのだろうか?

 悪魔は追い払われた、しかし、結局サラは死ぬ。
 転倒して頭を強打したため。

 しかし、これは順序が逆ではないのか?

 彼女が死んだ。
 だから、そのとき彼女に憑依していた悪魔は駆逐された。
 「エクソシスト」第一作で、カラス神父がその<死>によって悪魔を駆逐したのと同じように!!

「しかし、一瞬正気にもどったサラが十字架を握り締めるという描写が入っているじゃないか。やはり、悪魔祓いは成功した。神の勝利だ」とまた、反論が来るだろう。

 確かに十字架を握るシーンは、信仰の勝利、キリスト教の勝利を象徴する。   普通なら。

 しかし、あなたは忘れている。

 サラが<ユダヤ人>だということを。

 クリスチャンでもない、異教徒の彼女が十字架を握ることに、
一体何の意味があるのか?

 キリスト教の賛美? むしろ逆じゃないのか? 

 謎は深まるばかりだ。 

 (9) 結 語

 「エクソシスト」第一作のラストシーン。

 悪魔は追い払われるが、カラス神父は転落して死亡。
 悪魔の勝利とも見られるし、カラス神父の善意の勝利とも読める。
 どちらの解釈も可能なように、映画は作られている。

 そして、「エクソシスト ビギニング」も同じである。

 「悪魔は駆逐され、メリンは信仰を回復した。
 キリスト教の勝利である」というポジティブな見方。
 そして、「もう、ここに神などいない」というネガティブな見方。

 あなたは、どっちだ?

 

「エクソシスト ビギニング」を楽しむための資料集

エクソシスト ディレクターズカット版 DVD
税込価格:1575円 

 特典として収録されている、フリードキン監督の音声解説は必見である。「エクソシスト」のテーマに関する言葉は「なるほど」と唸られる。さらに、一シーンにどれだけの情報が盛り込まれ、表現されているのか。映画とはどう見ればいいのか? そんな映画学的にも興味をそそられる解説である。
 もちろん、まずは作品を楽しんで欲しい。
 「エクソシスト」は、樺沢の生涯ベスト20に入る作品である。 
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悪魔の系譜
著者:J・B・ラッセル 大滝 啓裕 出版社:青土社
税込価格:2854円

 悪魔の誕生からその広がりまでを、古代から現代にいたるままで、神話・宗教・文学・歴史・心理学や、社会的背景などから克明にあとづけた悪魔学の決定版。著者のラッセルは、カリフォルニア大学・歴史学科教授。「悪魔」について、本物の知識を身につけたい人にお薦め。最後には、アウシュビッツや広島の悪魔性らついても言及され、人間が持つ「悪」に収斂していくあたりは、「エクソシスト ビギニング」にも通じる。
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エクソシスト
著者:ウィリアム・ピーター・ブラッティ/宇野利泰
出版社:東京創元社
税込価格:1029円
 第一作「エクソシスト」の原作。557ページと、読み応え十分。当然、映画に含まれていない部分も多く、特にカラス神父が悩み苦しむ部部が興味深い。これを読めば、「エクソシスト」はホラー映画ではなく、人間の心の闇を描いた文芸作品であるということがおわかりいただけるだろう。文句なしの傑作である。
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エクソシストとの対話
著者:島村菜津 出版社:小学館
税込価格:1575円
 バチカン内に実在するというエクソシストの実態。現実の悪魔払いの現実を描いたノンフィクション。21世紀国際ノンフィクション大賞優秀作。
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憑依の精神病理―現代における憑依の臨床
著者:大宮司 信  出版社:星和書店
税込価格:2804円


 憑依現象について、精神医学的に詳細に記した医学書です。憑依とは何かに始まり、治療にいたるまで、憑依のあらゆる側面がもらさず記載されています。精神科医が憑依について勉強するための本ですが、憑依についての専門的な知識をどうしても知りたいという人には、専門書の中では最もわかりやすく、最もまとまっている一冊だと思われます。


悪魔くん千年王国
著者:水木 しげる 出版社:ちくま文庫
税込価格:1050円

 「エクソシスト ビギニング」とは直接の関係はない。
 しかし、水木しげるの熱烈なファンである私にとって、「悪魔」でまず連想するものといえば、「悪魔くん」なのだ。とはいえ、このマンガはバカにできない。テレビ版「くな」とは全く異なる。極めて深いテーマ。聖書を背景とした世界観。水木しげるの最高傑作にして、樺沢の座右の書でもある。「悪魔(くん)=キリスト」という図式は、「エクソシスト ビギニング」にも通じるものがある。究極の点描画など絵的にも凄いものがある。大人が読んでおもしろいマンガである。 

 

「エクソシスト ビギニング」を理解するためのトリビア 

<<メリン神父がオランダの教会にいたという設定には、ちょっとした意味がある>> 40ヘエ

 メリン神父が神父を辞めることになった痛い体験の場は、オランダという設定である。
 ナチスといえば、ドイツ。
 なぜ、ドイツでなくオランダに設定されているのか?

 メリン神父の生まれ故郷がオランダだから。一見するともっともらしいが、カトリックの神父であれば、故郷と違う場所の教会につとめている神父も大勢いる。

 ドイツといえば、宗教改革のカルビン、ルターを生んだ国、すなわちプロテスタントの国である。
 実際には、プロテスタント40%、カトリック35%(現在)で、ドイツ南部にはカトリックも少なくないのだが、プロテスタントが多いというイメージが強い。特に映画に登場するドイツ人、ドイツ系アメリカ人は、たいていプロテスタテントとして出てくる。

 したがって、カトリックのメリン神父が二次大戦中にドイツにいたとなると、「どうして、カトリックの神父がドイツに?」と疑問を抱くアメリカ人も出てくるだろう。
 実際にドイツには大戦中もカトリックの神父はいただろうが、どうしても「ドイツ人=プロテスタント」というステレオタイプのイメージが強い。
 したがって、比較的カトリック人口の多いオランダ(カトリック33%、プロテスタント22%:現在)、を舞台とした方が、観客にはすんなり受け入れられる。そうした配慮から、多分ドイツではなく、わざわざオランダという設定が使われているのではないだろうか。

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
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