メルマガで配信したバージョンには、いくつかの誤りが含まれていたため、
DVDの発売にもない、考察の詳細を加筆訂正しました。
 (2005年4月11日) 

追加考察号を更新しました。(2005年4月11日)
一問一答編を更新しました。(2005年4月11日)

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       シカゴ発 映画の精神医学
           
  ●「ソウ」完全解読特別号●最終号   2004年11月28日発行  
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          2485部
  発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html
   
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<警告>         <警告>           <警告>

 この号は、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 

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    【 目 次 】
■1 はじめに
■2 完全なる解読 アダムの全て 〜 「ソウ」の全て
■3 結語  
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1  はじめに
───────────────────────────────── 
 ついに、「最終号」となりました。
 
 あなたは、もう気付きましたか?
 驚愕のラストに・・・。

 前号では、相当ヒントを出しましたので、何名かの読者は何とか自力で気付かれた
ようです。
 
 なお、今号が「最終号」ですが、細かい謎についての補足説明、読者の仮説などを
紹介する号を、さらに発行する予定があります。

 「ソウ」完全解読特別号に対する感想。こんな自説があるぞ、というメールをお待ち
しています。

 それでは、最終解読を始めましよう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 完全なる解読 
───────────────────────────────── 
┌──────────────────┐
   アダムの全て 〜 「ソウ」の全て
└──────────────────┘ 

■ アダムがゲームの犠牲者に選ばれた理由

 アダムがゲームの犠牲者に選ばれた理由がわからない。
 あるいは説明されていない。

 こうした疑問を持った人も多いだろう。
 確かに、ハッキリとは説明されていない。

 アダムはカメラマンである。金で人のプライバシーを売る。盗撮が彼の仕事だ。
 あまり誉められた人間ではないようだが、ジグソーのゲームの犠牲者の条件、
「命の大切さを知らない者」には、当てはまってない。
 
 不思議だ。おかしい。
 掲示板ではこぞって、この点を指摘し、「ソウ」がダメな映画だと言う。
 本当か?

 「アダムがゲームの犠牲者に選ばれた理由」こそが、「ソウ」最大の謎である。
 そして、ラストシーンの本当のドンデン返しを気付かせる、最大のヒントなのに・・・。


■ アダムはゲームのプレーヤーではない

 「アダムが助かる条件は何だったのか?」

 この質問も、とても多い。
 でも、これは映画をよく見ればわかる。

 アダムはゲームの主人公(プレーヤー)ではない。
 したがって、助かる条件は、設定されていないのである。
 
 主人公(プレーヤー)は、あくまでもゴードンなのである。
 つまり、アダムはゲームの駒にしかすぎない。ゴードンの妻子もそうだ。
 鍵を飲まされて腹を割かれた男もそうである。

 アダムがゲームのプレーヤーでない根拠。

 それは、アマンダやゴードンのテープには、「ゲーム」という言葉が用いられている。

 "I want to play a game." である。

 しかし、アダムのメッセージには、このキメゼリフも「game」という単語も、一言も使われ
ていない。
 したがって、彼はゲームの参加者ではない。
 単なる構成要素であって、駒なのである。

 だから、ゲームの駒には、「命の大切さを知らない者」という条件に当てはまる必要も
ないし、クリアして救われる条件も設定されていない。

 とりあえず、これが「アダムが助かる条件は何だったのか?」に対する表向きの答。
 でも、本当は別な「裏の答」がある。


■ アダムの生存条件は示されていない

 アダムへのテープメッセージの全文が、オフィシャル・サイトのスペシャル映像に入っている。
 その字幕を採録しよう。

 「おはようアダム。この地下室でお前は死ぬ。お前はいつも物陰に身を潜め、他人の
生活を覗いている。だが"覗き屋"は、鏡の中に何を見るか? 私に言わせれば、今の
お前の姿は、怒りと恐怖が混じりひたすら哀れだ。お前は今日自分の死を見るか、
うまく逃げ出すか・・・」
 
 この最後の一文。
「お前は今日自分の死を見るか、うまく逃げ出すか・・・」
 これが入っているので、多くの日本の観客は、アダムもゲームに巻き込まれたと勘違い
したのだろう。
 この一文は誤訳である。原文では、そんなことは全く言っていない。

 原文では
"So you are going to watch yourself dying today, or watch something about it."
 である(私のヒアリングなので、多分厳密に正確ではないかも・・・)。
 
 "watch something about it"がどうしたら、「うまく逃げ出す」になるか全くわからない。

 私の拙訳では、 「お前は今日、自分の死にいく姿を見るか、それに関する何かを
見るかだ」
 「about it」の「it」が何を指すのか、はっきりは分からない。

 この文の前に、「だが"覗き屋"は、鏡の中に何を見るか?」と言っている。
 すなわち、この最後の文には「鏡の中に」が省略されているのではないか・・・。

 すなわち、「お前は今日(鏡の中に)、自分の死に行く姿を見るか、それとも何かを見る
だろう」

 つまり、「何か」とは何か?
 もう、おわかりだろう?
 ビテオカメラである。
 
 わかりやすく、言い換えよう。
 「鏡を見てもそこに見えるのは、お前の死に行く姿か、ビデオカメラだけだ」
 
 だいたにして、テープの最初に言っている。
 「この地下室でお前は死ぬ」と。
 
 このアダムへのメッセージは、アダムへの死刑宣告である。

 アダムは最初から死ぬことが決まっていた。
 したがって、生きる条件など示されるはずかない。

※「it」の意味は、別な解釈もありうるだろう。


■ 「アダム」の名前が示すもの
 
 アダムはゲームのコマである。
 彼が、犠牲者に選ばれた理由など、説明される必要はないのだ。

 それでも、どうしてもアダムがゲームに巻き込まれた理由を知りたいと言うなら教えよう。
 彼が罰されるだけの罪を犯していることを説明すればいいわけだ。

 簡単である。象徴的な解釈である。
 彼の名前、アダムがそれを示している。

 アダムとエヴァ(イブ)の話である。
 イブは神の禁止を破り、禁断の果実を食べてしまう。そして、楽園を追放される。
 この失楽園のエピソードは、何を意味していたのか?
 人間は生まれながらにして、原罪を背負っているということだ。

 つまり、アダムという名前のこの人物は、罪を背負っているのである。
 納得できない?

 では、もう少し説明しよう。我々、人間はアダムとイブの子孫である。
 つまり、この「ソウ」のアダムは、我々、観客の代表として、この密室に送り込まれている。
 
 「ソウ」はアダムを起点にして始まる。
 アダムが溺れそうになって、ハッとするところから始まり、同じ部屋にゴードンがいることに
気付く。我々観客は、最初アダムの視点におかれていてたのである。
 これが、アダムが観客の代表という、根拠である。

 アダムは、命を粗末にしていない。罪も犯していない。本当だろうか?

 この問いかけは、あなたがあなた自身にすべき問いかけなのである。

 あなたは、本当に命を粗末にしていませんか?
 命の大切さ、健康の大切さを理解していますか?
 
 「ソウ」のテーマである。

 それが、「アダム=人間=観客」という図式を使って、我々に問いかけてくるのである。


■ ダイアンの部屋の蛇

 アダムは「アダムとイブのアダムである」。 
 
 こんなことを言えば、そんなの偶然に決まっている、という反論も出る。
 しかし、偶然の場合の方が少ない。
 欧米人は、アダムと言えばアダムとイブのアダムを思い出すに決まっているわけだから、
その連想を避けたいのなら別な名前をつけるべぎた。

 アダムのネーミングが偶然でない証拠がある。

 ダイアンの寝室。
 ベッドフレームのところに、長い蛇のヌイグルミが飾られている。

 蛇のヌイグルミなんて見たことがあるだろうか?

 監督が、小道具係りに言って準備させないと、たまたま蛇のヌイグルミがおかれている
ということなど、ありえないのだ。
 言うまでもなく、イブを誘惑した悪魔の化身である「蛇」である。

 いうなれば、「悪魔の誘惑」だ。

 アダムに、毒タバコを吸わせれば、すぐにゲームは終わるぞ・・・。
 そんな、ジグソウの悪魔のような誘惑を思い出す。


■ 壁に耳あり、障子に目あり

 アダムがターゲットに選ばれたのはなぜ?
 こんな象徴的な理由では、まだ納得できない?
 
 それでは、もう一つ証拠を示そう。
 映画のテーマからのアプローチである。

 「ソウ」の第一のテーマは何だったか?

 命の大切さである。命を粗末にしてはいけない。
 五体満足、健康であることがどれほど大切か・・・、ということである。
 しかし、これはテーマの半分でしかないと、「VOL2」で説明した。

 多くの人は、見逃しているかもしれないが、「ソウ」にはもう一つ重要なテーマがある。
 一言で言えば、「壁に耳あり、障子に目あり」ということだ。

 どこで誰が聞いているか、誰が見ているか分りません。
 不用意な発言、不用意な行動は注意しましょうね、・・・という、まさに諺どおりの教訓
が示されている。


■ 8回繰り返される、もう一つのテーマ

 まず一つ目。
 ベッドで寝ているジョンの前で、ジョンが寝ていると思い、ゴードンは「患者」「患者」とジョン
を人間扱いしない発言をしてしまう。
 こうした配慮不足の発言(おそらく以前からあった)が、ゴードンがジグソウ(ジョン)に狙われる
原因となった。 こんなことを言わなければ、そして真摯にジョンに対応していれば、ひどい目
にあうことはなかった。

 二つ目。ゴードンは浮気をしていた。それをアダムのカメラは、捉えていた。
 ゴードンの浮気はバレていた。どこで、誰が見ているかわかりませんよ、ということだ。
 他にもゴードンの行動の全てをアダムは、写真に撮っていた。

 三つ目。シャワー室のゴードンとアダム。鏡を割ると、そこには監視カメラが・・・。
 監視カメラの映像を見ていたゼップは言う。
 「おお、見えるぞ」
 どこで、誰が見ているかわかりませんよ、ということだ。

 四つ目。ゲームの現場に残されたビデオを解析するタップ刑事。
 その執念によって、火災警報がなっている、小さな音に気付く。そして、ジグソウの
隠れ家を発見する。
 ささいな音でも聞き逃さずに、聞いている人がいましたよ、という描写である(壁に耳あり)。
 
 五つ目。ゴードンの娘が誰か人の気配がするので眠れないという。周りを探したふりを
して娘を安心させるゴードン。しかし、クローゼットにはゼップが潜んでいたのだ!! 
 ゴードンが、きちんと探していれば、全く違った展開になっただろうに・・・。
 どこに、誰がいて、何を見ているのかわかりませんよ、ということだ。
 
 六つ目。アダムが偶然に撮ったゴードンの家の窓の写真。そこには、タップの顔が
写っていた。この写真によって、タップが事件に関与していることに、ゴードンは気付く。
 どこで、誰が見ているかわかりませんよ、ということだ。

 七つ目。ジグソウ逮捕に狂ったようになったタップは、ゴードンの家のそばにアパートを
借りて、監視カメラでゴードンの家を24時間監視していた(どこで、誰が見ているかわからない)。
 窓から、ゼップが顔を見せたとき、タップは言う。
 「私は見ているぞ」と。
 そして、ゴードンの家からの銃声を聞き、ゴードンの家へ助けに向かう。
 どこで、誰が聞いているかわかりませんよ、ということだ。
 
 八つ目。ゴードンとアダムの間にあった死体。彼こそがジグソウで、ゴードンとアダムの
やり取りを、包み隠さず聞いていたのである。

 このように、「壁に耳あり、障子に目あり」のテーマは最低八回は繰り返されている。

 
 この八つのうち最初の七つは、死人の復活。死体がジクソウであってゲームを見ていた
(聞いていた?)という、オチに対する伏線とも言える。
 「死体が起き上がるオチは唐突」という指摘もあるが、以上のように「壁に耳あり、障子に
目あり」のテーマは七回もしつこく繰り返されており、「唐突」という指摘は全く当てはまらない。
 映画的にみれば、「死体がジグソウであった」というオチはむしろ必然であろう。


■ アダムが盗撮写真家である必然性

 さて、これだけを理解した上で、アダムの職業を思い出して欲しい。
 いろいろな人のプライバシーを盗撮して金を稼ぐ。盗撮写真家である。
 アダムは、まさに「障子の目」を商売とする男である。

 「ソウ」における、「壁に耳あり、障子に目あり」のテーマから考えれば、アダムの盗撮写真家
という設定は、不可欠であった。

 「命の大切さ」のテーマのために作られたキャラクターは、命を扱う「医師」ゴードン。
 「壁に耳あり、障子に目あり」のテーマのために作られたはキャラクターは、「盗撮カメラマン」
アダム。

 ゴードンとアダムがゲームの参加者に選ばれた理由は、「ソウ」の二つのテーマからみれば
必然なのである。

 しかし、まだあなたは疑問が解けないはずだ。

 「アダムが盗撮商売の男だからゲームに選ばれた」と言うのなら、他の同じ職業の男でも
よかったじゃないか?
 たしかに、そうかもしれない。

 あるいは、アダムという名前。
 それは、彼が何か「罪」を持っている暗示であるともとれる。

 アダムは、「罪」を犯していなかったか?
 犯している。
 大変な罪を。

 
■ アダム△△説根拠1 第2の犠牲者マークの写真を撮ったのは誰だ?

 ゲームの二人目の犠牲者マークのくだりである。
 マークの焼死シーン。
 そのとき、マークが街中を歩いている白黒写真の映像が挿入される。

 そのときの映像とは、マークを物陰から、何者かが連続写真で撮影するというものだ。
 カシャ、カシャ、カシャというシャッターの連続音とともに、画面が白黒になって、写真の
スチールが連続で映し出される。
 
 一回見ただけではわからない。
 しかし二回見ると誰でも気付く。
 この映像と同じものが、後のシーンで出てくることを・・・。

 この写真を撮ったのは誰か? 

 この物影からの写真撮影シーン。
 
 もう、おわかりだろう。
 アダムが物陰から、ゴードンを撮影する映像とほとんど同じなのである。
 
 例の法則。一度あることは、二度ある。
 それは、過去にもさかのぼる。

 マークの写真を撮影していたのは、アダムではないのか?
 というか、映画的な解釈では、アダム以外にはありえないのだ。

 アダムは、ゲームが起きる以前に、マークの写真を撮っていた。
 
 つまり、アダムはジグソウの共犯者だった。

 
■ それって、鑑識写真じゃないの?

 ポールの時も、マークの時も、死体のアップ。定規と一緒にとられた証拠品が、写真スチール
形式で、つぎつぎと映し出される。これは、鑑識写真のイメージである。

 マークの連続写真というのは、鑑識写真じゃないのか?

 それは違う。
 これは、二回見てわかったが、鑑識写真の時のシャッター音と連続写真のシャッター音が違う
のである。
 
 マークの連続写真のシャッター音は、ゴードンの連続写真のシャッター音と同じである。
 それに、なぜ鑑識写真が、事件にさかのぼった写真で登場するのか? ありえない。

 鑑識写真は、「アダムがマークの写真を撮っていたこと」を観客にわかりずらくするためのダミー
である。このダミーが入らないと、「アダムがマークの写真を撮っていたこと」が歴然としすぎて
つまらなくなる。

 映画的な事実。


■ ジグソウは語る

 マークへのジグソウのテープの言葉に注意しょう。
「マーク、君は病気だそうだが、写真では元気そうに見えるな」と言っている。
 つまり、ジグソウはマークの写真を見たということ。

 映像で示される、マークのモノクロ写真である。

 この写真は、誰が撮ったのか? 
 当然、ジグソウ本人ではない。
 自分で物陰から見ていたのなら、「写真では」という言う必要はないから。

 写真を撮ったのは、アダム以外には考えられない。

 アダムは、マークの写真を撮っていた。

 さて、アダムはジグソウの共犯者でないか?
 そう思って映画を見直せば、いたるところにその証拠を見出すことができる。
 それを列挙しよう。


■ アダム共犯説根拠2 協力者の必要性

 「ソウ」のよくある疑問。
 「自殺常習者ポールや、薬物常習者アマンダの情報をジクソウをどこから得ていたのか?」
 「病気であったジグソウが、そんな情報収集している体力と時間的余裕があったのか?」

 あるいは、カミソリワイヤーの仕掛け。引火性ジェルの部屋。
 こんな大がかりな仕掛けを、一人で準備できるのか?

 ジグソウの隠れ家での逃亡シーン。
 ラストシーンの立ち上がった後の歩き方。
 彼が、ピンピンと歩き回れないことは、映像的に説明されている。

 つまり、誰かを使って、ゲームの犠牲者を調べさせていた、あるいはゲームを手伝わせ
ていた、と考えるのが自然だ。
 しかし、それは劇中では説明されていないと思った。ほとんどの観客は。

 アダムである。

 ジグソウはアダムを使い、ゲームのターゲットの調査をさせていた。

 例の法則。アダムはマークの写真を撮っていた。
 すなわち、ポールやアマンダの写真を撮っていたかもしれない。


■ アダム共犯説根拠3 協力者の存在が暗示されている

 ジグソウが使う、腹話術人形。
 非常に印象的である。
 しかし、この腹話術人形の象徴的意味は何なのか?
 
 ジグソウは、人形を操っていた。
 例の法則。他にも、誰かを操っているのではないか?

 すなわち、誰か共犯者がいることを、腹話術人形は暗示してる。

■ アダム共犯説根拠4 ホテルにかかってきた電話
 

 ゴードンがホテルの部屋に入って行き、女性と会う。
 そのとき、ジグソウからゴードンに電話がかかってくる。

 この、ジグソウの行動はおかしい。
 部屋番号が分らないと、部屋にまで電話をかけることはできない。
 さすがに、部屋の前まで行かないと、部屋番号まではわからないだろう。
 また、いつゴードンが部屋に入ったのかも、見ていないとわからない。
 非常に絶妙なタイミングで電話がかかっくるわけだから。

 ゴードンがホテルの部屋に入っていくのを見ていたのはアダムである。
 しかし、なぜかそれをジグソウは知っていた。
 どうしてだろうか?    

 アダムが、ジグソウに連絡したから。
 そうとしか、考えられないのではないか?

 この直後、ジグソウは ゴードンを拉致するわけだが、ジグソウはずいぶんと怪しげないでたちであった。こんな格好で、ホテル内をうろつくことは、さすがに出来ないのではないかと思う。 

 つまり、「ホテルの部屋への電話」は、観客にアダムとジグソウのつながり を示すための、大きな伏線ではないか、ということだ。


■ タップ刑事が、わざわざアダムを雇った理由

 ジクソウとアダムはグルだった。
 しかし、アダム共犯説において、非常に大きな疑問が浮かぶ。

 ジグソウが手先として使っていたアダム。そのアダムに、タップ刑事がゴードン調査の依頼を
出したことが、あまりにもご都合主義的である、ということだ。
 
 これは、偶然ではない。偶然のはずがない。

 タップは警察を辞めてまで、単身で捜査を進めていた。
 そして、ゴードンが事件に密接な関係があることは、つきとめていた。

 なにより、ジョンの隠れ家(マネキン工場)は、そのまま証拠保全できたのである。 

 アダムの撮った写真が残っていたかもしれない。
 あるいは、アダムの連絡先があったかも・・・。

 タップは、ジグソウとアダムに何がしかの関係があるかもしれないと、疑ってもおかしくない。

 一番おかしいのは、刑事だったタップが、ゴードンの身辺を調べさせるのに、高い報酬を払って
アダムを雇ったことである。
 自分で調べれば済むことだ。

 尾行はお手の物。タップはゴードンに面が割れているとはいっても、プロなのだから気づかれ
ずに尾行することはたやすいだろう。
 なにより、彼は警察を辞めた。一回200ドルという高額な報酬まで払って、アダムを雇うのは
二重におかしい。
 
 この疑問についても、アダム共犯説は、明快な答を与えている。

 タップ刑事は、ジクソウの隠れ家から、ジグソウとアダムの関係性に気付く。
 何とかアダムに近づいて、少しでも情報やジクソウにつながるヒントを得たい。
 アダムは、金さえだせば、何でも写真に収める男。
 ゴードンの調査を依頼すれば、ホイホイと飛びつくに違いない。
 自分はゴードン宅を監視しなくてはいけないから、ゴードンの身辺調査、交友関係の調査
などもできて一石二鳥である。

 かくして、タップはアダムに仕事を依頼した。


■ ジグソウが、アダムとタップの関係を知ったら?

 もし、アダムがジグソウ事件を追う刑事タップに会って、何やら書類らしきものを渡している
ことをジグソウが知ったらどう思うだろうか

 「こいつ、裏切りやがった」

 そう思うに違いない。
 タップがジクソウを追っている刑事だとは、多分アダムは知らなかっただろう。
 しかし、いくらアダムが言い訳しても、タップと会った事実は変わらない。
 
 タップがもと刑事だと、アダムは知らなかった。
 それを知ったのは、ゴードンに指摘された瞬間。
 この瞬間に、アダムの表情は固まる。

 自分は、ジグソウを裏切っていてた。
 それに気付いた。
 自分が、ここに監禁される理由を、その瞬間にアダムは理解し、放心状態になったのでは
ないか?

 暗闇から、ダニー・グローバーが登場し、最後にアップになるシーン。
 それを衝撃的に描く。
 
 しかし、このシーンはおかしい。
 観客のほとんどは、アダムが「首を切られた黒人の男」と言った瞬間に、それがタップ刑事
だとわかったはず。
 こんな、セーセーショナルな説明映像を見て始めて、「あっ、タップだったのか」と気付いた
人は、ほとんどいないだろう。
 
 このセンセーションは、観客を驚かせるための演出ではない。

 アダムの心の驚きを、映像として表現しているのである。


■ アダム共犯説根拠5 アダムがジクソウと共犯だった一級証拠

 「あくまでも状況証拠じゃないか。
 樺沢の言う、一級証拠を出してみろ。」

 じゃあ、お出ししましょう。

 家族監禁の写真の隠していたアダムに激怒したゴードン。
 アダムとゴードンが言い合うシーンである。


 ゴードンは言う。

 「写真の依頼主が我々をここに」
 アダムは答える。「多分」

 これが全てである。
 アダムの写真の依頼主は、一見したタップをさしているかのようだが、そうではない。
 マークの写真を依頼していたのは、ジグソウである。
 観客を目くらまししつつ、種明かしをしているのである。
 そして、それに続くセリフも重要である。

 「お前は何か知っている。俺は何も知らない」とムキになるアダム。
 それに対して、ゴードンは言う。
 「お前こそ犯人とグルだ」

 アダムと犯人はグルである。

 第一級証拠である、セリフできちんと説明されている。

 ゴードンは大声で叫んでいる(映画的強調)。

 アダムは、ジグソウの共犯。
 と、ゴードンは疑っている。

 もちろん、これはゴードンの憶測に過ぎない。
 しかし、これが「伏線」というものである。
 これこそ、「伏線」の最も効果的な使い方。
 お手本のようなものだ。

 あくまでも、ゴードンの推測であるが、ラストで明かされる衝撃的な事実
「アダムは犯人とグル」であることを暗示しているのである。

■ アダム共犯説根拠6 心理学的根拠

 「お前は何か知っている。俺は何も知らない。」
 このアダムの、ムキになる態度もヒントだ。

 これは、心理学的に「否認」という。
 人間は、本当に正しいことをズバリ指摘されてしまった場合は、それを否定するのである。
 それも、大切な事実であればあるほど、図星であればあるほど、否認は強くなる。
 
 自分がジクソウとグルであることをゴードンに知られると、まず殺されるだろう。
 絶対に隠さなくてはいけない秘密。

 その最も重要な秘密を、ゴードンに知られそうになる。
 ムキになって否定する。
 これは当然である。

 このシーンを心理学的に見れば、アダムのセリフ「俺は何も知らない」は嘘であり、
「俺は全て知っている」だから認めないで否認している、とわかる。

 
■ アダム共犯説根拠7 「アダムは嘘つきだから、信用しないで」が示唆すること
 
 妻アリソンは、携帯で「アダムを信用しないで」とゴードンに言う。
 これは、ゼップに言わされたセリフ。もちろん、ジグソウの指示によってだろう。

 なぜ、こんなことを言わされたのか?

 二人の間に疑心暗鬼を起こさせるため。
 そう考えられる。

 結果としてゴードンは、アダムが自分を盗撮していた事実を知る。
 でも、それは大したことではなかった。

 ゴードンは、それに対して激怒するでもない。
 意外と、たいしたことではなかった。

 それに、別に「嘘」ではない。
 盗撮している事実を言わなかっただけだ。

 アダムは嘘をついている。
 それって、ゴードンを盗撮したことを隠していたことだけか?
 別にあるのではないか?

 「アダムは嘘つき」である。

 彼は、まだ嘘をついている。

 アダムは、「ゴードン」の盗撮以上のことをしていたことが、暗に示されている。


■ アダム共犯説根拠8  なぜ、脚本家リー・ワネルがアダムを演じているのか?

 アダムを演じた俳優は、「ソウ」の脚本を書いたリー・ワネルである。
 彼は、俳優ではない。ど素人だ。
 なんで、こんな重要な役を、素人俳優であるワネルが演じているのか?

 単なる出たがりだから。
 予算がほとんどなかったので、彼が出演することで俳優の出演料をカットした。
 多分ほとんどの人は、こんな理解だろう。

 しかし、違う。
 ワン監督はインタビューで言っている。
 「リー・ワネルがアダム役をやることは、最初から決まっていた」と。

 なぜ、出ずっぱりの重要な役を、ど素人が演じることが、最初から決まっていたのだろう?
 
 脚本家というのは、その登場人物の心理を最もわかっている。
 自分で、人物を作り上げて、ストーリーを書くのだから、当然である。

 アダムのリアクションの全ては、自分はジグソウと通じていて、彼の事件について知っている、
そして、そのことは絶対にゴードンに知られてはいけない、
という原則のもとになされている。

 極めて複雑な感情であり、普通の役者だとそこまで脚本を読んで、役を理解するのは
大変である。

 そして、「アダムとジグソウは共犯」という事実は、観客に簡単に悟られてもいけないし、
全くわからないほど地味に演じてもいけないのだ。

 アダム役には、そこまで微妙な演技が要求されている。
 脚本を一番理解しているワネルが演じるのが、一番良いのである。


■ 明らかになる全ての謎 

 だいたいにして、アダムは、最初から挙動不審だ。
 その行動と言動が全ておかしい。

 しかし、ジクソウとアダムは共犯。つまり、アダムが事件の共犯であり、事件の詳細について
知っていた、という前提で映画を見直すと、「ソウ」批判論者が指摘する疑問と矛盾の
ほとんどが、見事に解決する。

 ワネルの演技は大根なのか?
 それとも、完璧な演技をしているのか、最初から見てみよう。
 
■ 1 Tシャツめくり

 まず、アダムはライトがついて、自分が監禁されたとわかった。
 記憶が呆然としているのか、しばらく考えている。
 そして、何かを思い出したような感じで、自分のTシャツをめくりあげて、自分の腹を見た。
 かなり、変な行動である。

 彼は言う、「腎臓は大丈夫か?」と。
 「変な奴だ」と観客は感じた。

 しかし、アダムがジグソウ事件について知っていたとしたら?

 例の法則。
 Tシャツをめくりあげて腹を見せるシーンは、この映画の中で他に1箇所しかない。
 当然、何かが重ね合わせれて描かれているはず。

 麻薬常習者アマンダ。その前に倒れる男の腹には、大きな「?」がマジックで書かれていた。
 アダムはそれを知っていた。

 自分は、ジクゾウのゲームに組み入れられた。
 しかし、プレーヤーではないはず。命を粗末にはしていないから。
 すると、ゲームの補助の駒。鍵を飲まされた男と同じだ!!
 
 とすれば、腹に何か文字が書かれているのでは?
 あわてて、Tシャツをめくり、何も書かれていないことにホッとするのだ。


■ 2 ただの時計に驚愕する?

 室内を観察したゴードンは、新しい時計を見つける。
 それを見たアダム。

 驚愕の表情を浮かべる。

 おかしな、リアクションだ。
 なぜ、新品の時計が壁にかかっているだけで驚くのだろう?

 ジグソウは、タイムリミットのあるゲームを仕掛ける。
 アダムはそれを知っていた。
 
 ただ、監禁されただけでは、ジグソウが犯人かどうかまでは、断定はできない。
 しかし、時計を見た瞬間に、七割の疑いが、九割の疑いに変わる。
 「俺は、ジグソウのゲームに組み込まれたのか・・・」
 時計を見た瞬間に、アダムは驚愕の表情を浮かべるのである。

 
■ 3 テープを先に発見したのは、どっちだ?

 かなりキレていて冷静さを失っていたアダム。
 比較的冷静に、状況を分析しようとしていたゴードン。
 テープを先に発見したのはどっちだ?

 普通なら、冷静なゴードンが、テープを発見するはず。
 しかし、キレまくっていた、アダムが先にテープを発見したのだ。
 おかしくないか?

 時計に驚いた後だ。おもむろにポケットを探りだした。
 彼は、ジクソウの犯罪パータンを知っていたのだ。

 つまり、時計を見て、自分がジクソウのゲームに巻き込まれたと、強く疑った。
 ジグソウはテープでメッセージを伝える。
 それを思い出して、ポケットのテープを探ったのである。
 
 テープを見た瞬間のアダムの表情。
 またもや驚きの表情。そして、身体が小刻みに震えている。
 なぜ、テープを見た瞬間に、「恐怖」の表情を浮かべる?
 普通なら、テープを聞いてからだろう。
 
 一方、ゴードンは、「何だこれ?」という懐疑の表情である。
 これが、普通のリアクションである。

 テープを見た瞬間、自分がジグソウのゲームに組み入れられたかもしれないという疑念は、
10割の核心へと変わった。
 だから、アダムは驚き、体が震えだした。
 

■ 4 テープを聞きはじめただけで、恐怖で硬直したアダム

 テープを聞いている時のアダムのリアクションも変だ。
 テープを聞き終って、自分が殺されるだろうことを何とか理解して、恐怖の表情を浮かべ
なくてはいけない。
 しかし、テープの再生が始まった瞬間にアダムは、恐怖の表情になっている。
 リアクションが早すぎる。

 内容に恐怖したのではない。
 声に聞き覚えがあった。
 テープを聴いた瞬間、それがジグソウの声だとわかったから、恐怖したのである。
 

■ 5 執拗にテレコを渡さなかったアダム
 
 テレコを投げてよこせというゴードンに対して、執拗に断るアダム。
 壊れたら困るから、テープを投げろ、と。
 これも、不自然すぎるリアクションだ。

 なぜなら、再生が終わったあとは、テレコをゴードン思いっきり投げているから・・・。
 彼の行動は矛盾している。
 それは、映画がダメだからではなく、そこに謎が隠されているからである。
 
 なぜ、アダムはテレコを渡さなかったか?
 それは、アダムにとって、大変困る事実がテープで流れそうになった場合、
再生を止められるようにである。 
 
 そして、「大変困る事実」というのは、彼が「ゴードンを盗撮していた」ということではない。
 もっと重要な事実である。

 すなわち、彼がジグソウの共犯者であるという事実。
 もしそんなことが、テープで流れてしまったら? 
 
 ゴードンの良心はふっきれる。
 ジグソウ事件の共犯者なら、殺しても良心はいたまない。
 自分の妻子とどちらの命を選ぶか、考えるまでもない。

 ゴードンは躊躇なくアダムを殺すだろう。
 決して、テレコは渡せない。
 自分の命を守るために。
 
 実際彼はテレコの再生中、いつでも再生を止められるように、ボタンに指をかけている。


■ 6 「同室の男アダムを殺せ」 しかし、冷静なアダム

 ゴードンのテープを再生する。
 六時までに、アダムを殺さないと、娘と妻を殺すという。

 あなたが、アダムの立場ならどう思う?
 「俺は殺される」と思うはずだ。「大変だ」と。
 娘を殺されるくらいなら、見ず知らずの男を殺した方がいいに決まっている。
 
 この瞬間に、驚愕の表情が来るはずだ。
 しかし、ゴードンのテープでは、「KILL ADAM」と言っているのに、アダムの反応は
全く変化がない。 おかしすぎる。 

 しかし、これも共犯説によって説明されている。 
 
 アダムは自分がゲームの駒にされたことに気付いた。
 彼はTシャツをめくった時に、自分が鍵を飲まされた男と同じ立場にいることを悟った。
 だから、、「KILL ADAM」という言葉を聞いても、「やっぱりそうか」と当たり前の事実を
確認したに過ぎない。
 したがって、驚かなかった。
 
 テープを聞いてようやくゴードンは、ジグソウ事件のことを思い出す。
 気付くのが遅いが、記憶障害があったのでしょうがない。

 しかし、アダムはとっくに気付いているようだ。
 これは、ゴードンよりも、はるかに密接に、そしてより深くジグソウ事件に関わっていると
いう証拠である。


■ 7  蛍光塗料に気付いた、アダム

 アダムは、電気を消せと言った。
 蛍光塗料のトリックに気付いた。

 ここでも、気づいたのは、ゴードンではなく、アダムである。
 「x」の文字のヒントと「目を閉じろ」というヒントが、監禁写真の裏に書かれていた。
 しかし、それで気づいたのか?

 釣りで蛍光塗料を見たことがある、と説明するが何の説明にもなっていない。
 おかしすぎる。
 腹を見たときに、「腎臓は大丈夫か?」と言ったのと同じで、こじつけの説明である。

 なぜ、アダムが蛍光塗料について気付いたかは、直接は説明されない。
 
 これがこのシーンだけて完結するならわかるが、映画の後半ではゴードンが、なぜ電気を消せといったのか、なぜ蛍光塗料に気づいたのかを疑問に感じ、アダムを責めるのである。


 映画の文法では、反復は映画的な強調を示す
 アダムが、蛍光塗料に気付いたのには何か理由がある。
 それを映画的に示しているのである。

■ 8 マジックミラーに気付いたアダム

 さらに、マジックミラーの後ろにビデオがあることに気付いたのも、ゴードンではなく、
またまたアダムである。

 ガラスの破片を拾って、それがマジックミラーだと気付く。
 次の瞬間に、彼は石の破片を大きなミラーに投げつける。
 その時間差、わずか一秒未満。
 
 なぜ、鏡の後ろに何かあると気づいたのか?
 それも、一秒もかからずらに、気付いたのか?
 電光石火の頭の回転である。
 キレまくっているアダムが。
  
 アダムは、ジクゾウがどこかで見ているというパターンを知っていたのか・・・。
 事件の詳細を知っているからこそ、マジックミラーの破片だけで、そのうしろで見ているなと、
ピンときたのではないか。
 
 
■ アダムは、ジグソウの共犯者だった

 アダムは、ジグソウの共犯者だった。
 
 私が到達した答である。
 
 どこまで、アダムが計画に協力していたのかまでは説明されていない。

 ジグソウの依頼を受けて、ゴードンのみならず、マークたちゲームの犠牲者の盗撮、調査をしていたことは、映画的に十分示されている。

 アダムは事件の共犯者である。
 その事実は、絶対にゴードンに知られてはいけない。
 ゴードンの死に対する良心の呵責は、完全に吹っ切れるだろう。
 知られれば、そこでゴードンに殺されてゲームオーバーである。
 彼の「嘘」。不可解な行動と、ごまかしの理由である。
 彼の挙動が不信な理由である。

 アダムの行動はおかしい。
 矛盾だらけ。
 
 しかし、アダムがジグソウの共犯者だとすれば?
 その矛盾は、全て合理的に理解できる。 


■ アダムのいない模型

 マネキン工場にあった、シャワー室の模型。
 ジグソウがかなり前から、ゴードンをターゲットにしていことが、示される。

 この模型には、ゴードンと死体の二人しかいない。

 劇場で見たとき、そう思った。

 しかし、DVDの静止画で見たとき、画面の左下、バスタブのそばに黒い足がしっかりと映っている。

 読者から、「模型には、アダムがいる」という指摘を受けた?
 しかし、それは正しくない。

 画面に映るのは、バスタブの横の黒い足だけである。
 この足だけで、アダムであると特定できるか? できない。
 コードンやジクソウ(ジョン)の人形は、顔がそっくりに作られている。

 模型の中には、バスタブのそばに第3の人物がいる。
 しかし、それがアダムかどうかはわからない。

 なぜ、アダムの姿だけを隠すような巧妙なカットで、模型を映し出すのか。
 撮影現場でカメラマンは、言うはずだ。
「アダムがほとんかどうつっていないけど、いいんですか?」と。

 これは、第3の男の顔を見せない、という監督の演出意図に思える。

 少なくとも、このガサ入れの時点で、ゴードンのゲームについての計画ができあがっていたが、第3の男として誰が犠牲者となるのか。
 その男がアダムであると決められていた、とは言えない。
 
 前述のように私の説では、ガサ入れの後、タップがアダムにゴードンの盗撮依頼をする。
 タップの二股に激怒したジグソウが、アダムを第3の男として、ゴードンのゲームに参加させることにした。
 そう考えると、アダムがゲームに参加させられた理由が、説明できる。


■ バスタブに流れていく鍵

 映画のファーストシーン。暗くて良くわかりずらい。

 しかし、アダムの腕にバスタブの栓の鎖が絡みついていたと考えられる。
 
 その鎖は、元の部分が固定されていなかった。
 あとで、テレコをとる時に、アダムが栓をすぐにとってくる。 

 皆さんが入浴中にフロの栓を間違ってぬいてしまうことはあるかもしれない。
 それは、鎖が元の部分で固定されているから、足などが引っかかると栓が抜けるのである。

 しかし、このバスタブの栓は、元が固定されていない。
 つまり、普通なら、その鎖は水の底に沈んでいるのである。
 
 でも、そうではなかった。
 腕に引っかかっているのである。
 つまり、ジグソウがアダムの腕に鎖をからめていたということ。
 動けば必ず栓が抜けるようになっており、鍵を流さないようにするのは、あの状況では
ほとんどできないのである。
 
 アダムに助かる道は残されていなかった。

 鍵に気付けば助けてやるという意味ではない。
 アダムを絶望させるための心理攻撃のネタとして、最後にジョンはアダムにネタバラシした
のである。

 蘇ったジグソウは、アダムに言う。
 お前はゲームに勝った、と。

 この号の前半で書いた。
 アダムが助かる条件は、示されていないと。

 示されてはいないが、実はなかったわけではない。
 
 事件の共犯者である、アダムにだけはわかったのである。
 
 「6時までにゴードンに殺されないこと」
 ゴードンの勝利条件を裏返せば、これがアダムの生き残る道である。
 アダムは、それを理解したはずだ。

 アダムが、ゴードンに時間を教えたのは、6時数秒前。
 もう殺されないと、わかった瞬間である。

 そして、一見アダムの挙動不審と思える行動は、「自分がジグソウの共犯者で
あることを隠す」 という行動と考えれば、全ての辻褄が合うことは、前述したとおりである。

 そして、アダムは生き残った。
 無事、解放されるはず。
 アダムは、そう確信していた。

 しかし、鍵はバスタブに流された。
 そして、「ゲームオーバー」と言い、ジグソウはシャワー室を出て行く。

 「6時までにゴードンに殺されないこと」
 このゲームにアダムは勝利した。
 しかし、次の瞬間、お前の助かるすべはないと、地獄に突き落とされる。
 
 クモの糸につかまった。
 助かると確信した瞬間に、糸がプツンと切れて、再び地獄に落ちてしまった。
 天国から地獄への転落。

 死んだ思っていた男は、生き返った。そして、その男がジグソウだった。
 アダムはジグソウの共犯だった。
 六時まで生き残り、ゲームに勝利したと思ったアダムは、再び地獄に突き落とされる。
 アダムは生きるすべのない、「死のゲーム」をプレーさせられていた。
 この映画のテーマは「生の大切さ」であったはずが、最後の瞬間に「壁に耳ありの」の
テーマにとって変わられる。
  
 これが、本当のドンデン返しである。

 ワン監督の言う、たったひとつのラストシーン。

 それは、アダムが共犯であり、映画に描かれた全ての原則が180度転換するという、
驚愕のラストシーン。

 これが「ソウ」の本当の驚きである。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■5 結語
─────────────────────────────────  
 
 映画はおもしろい。

 これが映画である。

 映画の奥深さ。
 一本の映画にどれほどの情報量が詰まっているかを理解されただろうか?
 これが映画を見る、ということである。

 通常の映画であれば、その映画の持つ情報量の70-80%くらいは受け取ることが
できるだろうが、「ソウ」ではあなたは何%くらいを受け取っただろうか?
 
 映画とはこうみるのか。
 映画とは、こう考えるのか。
 映画とは、こう楽しむのか、ということを再発見できたのではないだろうか?

 この「ソウ」の一連の解読を通して、
「映画の本当の楽しさ」を理解していただければ、幸いである。

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■ 発行者: 樺沢紫苑
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 以下、追加考察号を更新しました。(2005年4月11日)
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       シカゴ発 映画の精神医学
          
  ●「ソウ」完全解読特別号●追加考察号   2004年12月19日発行  
   
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          3350部
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        <警告>         <警告>           <警告>

 この号は、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 

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    【 目 次 】
■1 お知らせ
■2 完全なる解読  ジョン=アダムの父親説を検証する
■3 読者からのお手紙
─────────────────────────────────
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1  はじめに
───────────────────────────────── 
 
 おまたせしました。
 
 まだ、納得いかん。あの説はどうなった。
 という人のために、「追加考察号」を発行いたします。

 とにかく「ソウ」という映画は、考えれば考えるほど、迷宮に入り込むような映画です。
 実は、そこが大きな魅力なのですが。 

 引き続き、みなさんの感想、ご意見、解読をお待ちしています。
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2   完全なる解読
─────────────────────────────────
┌─────────────────┐
   ジョン=アダムの父親説を検証する
└─────────────────┘  

■ 読者からの指摘

 マロヤさんから、以下のようなお手紙をいただきました。

 4号でアダムの謎の答えは自分で導き出した方がいいと書いてあったので、
ソウ完全解読最終号は読まずに12月1日に映画をもう一度見てきました。
 映画見てて、ゴードンが足を切る時にアダムが「俺にも家族がいるんだ。全然会って
はないけど。」って言ってたので、アダムはジョンの息子か孫かなと思いました。
 だから見舞いにも来ないアダムを恨んでたのかと思いました。
 だからジョンも顔を隠してたのかなと思ったりしました。
 そうなるとジョンに扉を閉められて最後にアダムが叫ぶ言葉も「ダーッド!」って
叫んでるように聞こえました。
 やった!分かった!って思って帰ってメールを見てみたら、不正解でガクってきちゃ
いましたけど・・・。やっぱりまだまだですね。

 他にも何通か、同様の説が寄せられています。
 私のところにに来たメールだけで数通あるのですから、多くの方がこの説を思い浮かべた
と思います。

 私は、「完全解読」ということばを使っていますが、あくまでも「完全解読」に挑戦している
わけで、この映画に明快な答というのは一つもないのではないかと、思っています。
 私の「アダム共犯説」に関しても、いくつかの論理的弱点を持っています。

 「ソウ」の楽しみ方は、このようにいろいろ可能性について、みんなと議論するということ
ではないでしょうか?
 これだけ、議論できちゃう映画って滅多にないですから。

 ということで、「ジョン=アダムの父親」説について検証したいと思います。

■ 十分にありえる説

 「ジョン=アダムの父親」説に関しては、私も考えた。
 しかしながら、結局、私の中では、棄却した説である。
 その根拠は、それを示唆する伏線が足りない、少ないからである。
 これが正解です、と断言するには証拠不十分なのだ。
 しかしながら、それを否定する根拠も見当たらないわけで、可能性としてはありえる説で
あると思っている。

 「ジョン=アダムの父親」説は、私の「アダム共犯説」と矛盾するものではない。

 アダムが事件に何らかのかかわりを持っていた。
 アダムは、タップ刑事からゴードンの写真撮影の依頼をページャー(ポケベル)で受けていたと
言っている。同様に、ジグソウからの指令をページャーで受けていたとすれば、ジグソウ=自分
の父親であることを、ジグソウがメイクアップをとった瞬間に知る、というこありえる話である。

■ 根拠1 「俺にも家族がいるんだ。全然会ってはないけど」

 さて、「ジョン=アダムの父親」説を支持する根拠は、何だろう。
 主に、二つあると思われる。
 その一つが、アダムのセリフ「俺にも家族がいるんだ。全然会ってはないけど」である。

 全てのセリフには、意味がある。
 このセリフが入っている意味は?

 多くの人は、ゴードン医師とアダムの共通点。
 二人は、家族を粗末にしているということを、示すものと理解したと思う。
 
 しかし、二人がゲームに参加させられた理由は、既にいままでの号で述べてきたように、別にある
わけで、「家族を粗末にしている」ということが最大の理由ではないことは、おわかりだろう。

 そうすると、何かこのセリフに別な意味があるのではないか?
 ということになる。

 つまり、アダムの家族が、この物語に関係しているということを示す伏線として。

 このアダムのセリフは、「全然会ってはないけど」は、ゴードンを撹乱させたり、同情を呼んだり
するために言ったセリフではないと思われる。もし、これを嘘だというのなら、
「俺にも家族がいるんだ。」も嘘の可能性がでてきて、議論しようがなくなる。
 アダムはずっと家族と会っていない。多分、本当のことだろう。

 もし、ジョンがアダムの父親だとすれば・・・。
 アダムは、ジグソウ=父ということを知らずに、事件に手を貸していたことになるだろう。
 
■ 根拠2 「ダーッド!!!!」 

 マロヤさんの指摘
>最後にアダムが叫ぶ言葉も「ダーッド!」って叫んでるように聞こえました。

 多分、これが、「ジョン=アダムの父親」説の最大の根拠であり、動かぬ証拠でもある。
 
 私は、ラストのアダムの叫びを注意深く聞きなおしてみた。
 「ダーッ。グァーッ。ダーッ」
 言葉では表現しようのない絶叫。
 少なくとも、「ダーッ」と、二回言っている。
 アントニオ猪木の「1、2、3、ダー」と同じような発音である。
 
 英語の「ダッド(dad)」(父)。最後の「d」は、あまり強く発音しないので、大声で叫ぶと、
「ダーッ(ド)」になるかもしれない。

 しかしこれは、ほとんど「空耳アワー」の世界で、「これはダッドだ」という人にとっては、
「ダッド」であり、単なる絶望の絶叫だという人にとっては、「ダー」という叫びであろう。

 あなた自身、聞きなおして欲しい。

追加 DVD後、何度も再生して聞き直してみましたが、「Dad.」の最後の「d」は発音されていないように思えます。あなたには、聞こえますか?


■ 根拠3 苗字のない二人の人物 

 さて、他に「ジョン=アダムの父親」説を支持する根拠はないのか?
 どうしても、「ジョン=アダムの父親」説を信じたいという人のために、半ば強引に
私が根拠を発見したので、以下紹介していく。

 ゴードンの苗字(ラストネーム)は、ローレンスであった。
 そして、ゼップの苗字は、ヒンドル。
 「ソウ」のラストで、シャワー室にいた四人の人物。
 その中で、苗字が明らかにされていないのは、アダムとジョンの二人である。

 これは、意図的なものだと思う。

 ジクソウからのメッセージの封筒に、ゴードンには「ローレンス・ゴードン」と書かれていたのに、
アダムには単に「アダム」としか書いていない。この違いには、何か重要な意味があると思って
いたのだが、「ジョン=アダムの父親」説はそれに説明を与える。

 ジグソウから、ゼップへのメッセージテープ。その中で、「ミスター・ヒンドル」と、観客の知らない
ラストネームをいきなりここで初登場させたのも不自然だ。

 二人が、親子であるとすれば、ジョンとアダムは、同じ苗字のはず。
 それを、暗に示唆しているのか?

 でも、「ジョン=アダムの父親」説を観客に確実に知らせたいのなら、その共通の苗字を
最後に明かして欲しいという気もする。


■ 根拠4 マミーを連呼するダイアナ

 ゼップに拉致されて、縛られるアリソンとダイアナ。
 その時、娘ダイアナは「マミー、マミー」と連呼する。
 これが、空耳アワー的には日本語で「もういい」と聞こえるので、記憶している人も多いだろう。

 このダイアナの「マミー」の連呼は、かなりしつこいと感じた。
 普通だと、「ヘルブ、ミー」とか、違う言葉を間に挟むと思うのだが、ダイアナはただ「マミー」
だけを連呼するのだ。

 ご存知のように、「マミー」(母)は、「ダディー」(父)と対をなす言葉である。
 
 ラストに出てくるアダムの「ダディー」の絶叫に対する伏線として、ダイアナの繰り返される
「マミー」の叫びが入れられている可能性は、否定できない。
 

■ 根拠5 聖書的にも見事に合致

 いままでの号で、聖書的な解読にふれた。
 それを要約すると、「ジョン」は「裁きの神」であるということ。
 そして、「アダム」は、アダムとイブのアダムで、神が創った最初の人間であるということ。

 つまり、「アダムは神の子」である。
 
 ジョンが裁きの神であるとするなら、その子の名前が「アダム」というのは、まさにドンピシャ
のネーミングである。まさに、「ジョン=アダムの父親」説にとって、「アダム」というその名前
自体が、「子」であることを見事に象徴している。
 
 さて、以上のように、「ジョン=アダムの父親」説を支持する根拠は、劇中にいくつか
存在する。

 ただ、反論もありえるだろう。
 例えば、アダムが、ジョンがマスクをはずした時に、「自分の父親だ」と初めて気付いて驚いた
というが、テープの声を聞いたときに気付かなかったのか? ということ。 
 いくらしばらく会っていないとはいえ、親子であるから、その声を聞けば、自分の父親
だとすぐに気付くのではないか? という疑問がある。

 また、ジョンが実の子であるアダムを殺す十分な理由が説明されていない。
 推測するには、自分が癌になったのに見舞いにも来ないし、連絡もしてこないので腹を
立てて、というのは考えられる。

 しかし、いくら音信不通とはいえ自分の子供である。
 自分の子供を殺さなければいけない理由は、相当しっかりしたものでなくては、観客は
納得しない。「見舞いに来ないアダム」だけでは、多くの人は受け入れられないだろう。
 
 結論をまとめると、「ジョン=アダムの父親」説の確からしさは、20〜30%くらい。

 
 「ソウ」における、重要なドンデン返し。 
 死体の復活。アダムの共犯に関しては、いずれも最低七つ以上の伏線によって、
周到に説明されていた。
 それと比べると、「ジョン=アダムの父親」説に関しては、明らかに伏線不足である。

 つまりこれは、脚本のワネルや、ワン監督が、観客全員が到達して欲しい<結末>ではない
のではないかと思われる。

 ただ、こんなことを考える人もいるかも・・・というオプショナル的な楽しみとして、
「ジョン=アダムの父親」説を仕掛けた可能性は十分ありうる。

 Make your choice.
 決めるのは、あなた次第。 である。

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■ 発行者: 樺沢紫苑
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一問一答編
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       シカゴ発 映画の精神医学
          
 ●「ソウ」完全解読特別号●一問一答編   2005年2月5日  
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          6275部
   
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        <警告>         <警告>           <警告>

 この号は、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 
─────────────────────────────────
    【 目 次 】
■1 はじめに
■2 映画の文法  
■3 一問一答
■4  ソウで学ぶ精神医学知識
■5 最後に

─────────────────────────────────
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1  はじめに
─────────────────────────────────
 
 ソウについては、依然として大きな反響が続いています。
 
 多くの方から、質問、意見のメールをいただきましたので、このメール
を通してお答えいたします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2  映画の文法 
──────────────────────────────── 
┌────────────┐
  映画には無限の答がある
└────────────┘

 「エイゴの文法」と「エイガの文法」。
 一番違うのは、どこでしょうか?

 「英語の文法」では答は一つしかありませんが、「映画の文法」では答
が無限にあるという点です。
 
 読者から次のようなメールをいただきました。

>アダムがジグソウの共犯者だという説は本当なのですか?
>あなたの推測ですか?
>確かに共犯者説は考えられます。が僕が上げた点を考えるとおかしいか
>なとも思います。
>このメールが読まれるかどうかは分かりませんし、実際「ソウ」はとて
もおもしろかったです。
>だからこそ、真実が知りたいです。

 映画の解釈に100%正しい解釈などあるはずがありません。
 当然、「真実」もありません。
 なぜでしょうか?

 例えば、絵画を例に挙げてみましょう。 
 レオナルド・ダビンチの名画モナリザです。
 モナリザの解釈に、100%正しい解釈って、ありえるでしょうか?
 
 絵画の楽しみは、見た人が自由に解釈すれば良い。
 その絵から、何かを感じ取れば良い。
 そう、思うでしょう。

 モナリザのモデルは誰かという説があります。
 一般には、フィレンツェの名門ジョコンダ家の妻リザ婦人とされてます。
 しかし、「モナリザ」は、ダビンチの母親である。
 あるいは、ダビンチ本人の自画像である、という説もあります(コンピ
ューターで自画像と合成するとピッタリと重なるので)。
 たった一枚の絵でも、このように何通りもの解釈が成り立ちます。

 映画は、「絵」の連続です。
 フィルムの一コマ、一コマは、普通の静止した写真と同じですから。
 一本の映画は、普通1000〜3000カットからなりたちます。
 一つの「絵」、一カットに対して、三通りの解釈がなりたつとすれば、
映画全体では論理的には少なくとも3の1000乗通りの解釈が成り立つこと
になります。
 これは、無量大数を超えています。すなわち、ほとんど無限です。
 映画とは、無限の解釈が成り立つものなりです。

 映画には「セリフ」という言語によって道標とヒントがついてはいるも
のの、一番重要な構成要素は「絵」です。ですから、「絵」を解釈すると
いうこと自体が、無限の解釈を生むことにつながるわけです。
 だから、観客一人ごとに違った解釈で出るのは当然です。
 
 私が示した「完全解読」は、私が考えた解読です。私の意見です。
 全く個人的な意見なのです。
 だから、「100%正しい」ということは、100%ありえません。
 だいたいにおいて、一つの「正しい答」というものはないわけですから、
「その解釈は正しいのか?」と問うこと自体どうでしょう。
 
 映画で提示される問題は、数学の問題とは違うのです。

 映画にとって正しい答など存在しません。
 ただ、大切な答は存在します。
 それは、あなたが導き出した答です。
 
 大切なのは、樺沢が「ソウ」をどうとらえるかではなく、
あなたが「ソウ」をどうとらえるかなのです。
 
 私は、あなたの意見を導きやすくするために、一つの例を挙げているに
過ぎません。

 私は、この一連の「ソウ完全解読」の中で、細かく見ればと100くらい
の解釈をしているでしょう。
 私自信、「100個すべてが全部正しい」と思って書いていません。

 この解釈は、90%の人に受け入れられるだろう。
 この解釈は、半分の人に受け入れられれば十分。
 総合的に見て、100ある解釈のうち60も受け入れていただければ、上出
来の文章です。

 しかし、重要なのは、あなたがどう考えるか。
 ただ、100個の問題点について、あなたが「樺沢の意見に同意するか、
しないか」それを考えながら読んでいたたげれば、最終的にあなたの意見
が、相当に明確に出来上がってくると思うのです。
 この部分は賛成だけど、この部分は私はこう考えた、と。

 それが一番大切なことです。
 あなたが、その映画をみてどう考えるか。
 そして、何を得るのか、なのです。

 映画批評、映画分析、映画解釈というのは、「触媒」です。

 ビーカーにあなたの「心」があります。
 そこに映画「ソウ」を注ぎこみました。
 その時点で、たくさんの「化学反応」が起きているはずです。
 
 「あそこは、こう思う」「この映画は××と思う」
 「恐ろしかった」「すごかった」「感動した」
 あなたの心の中の化学反応です。
 心のリアクションです。

 でも、一部の人は「全然、わからない」「何、これ?」と反応停止を
起こしてしまう人もいるでしょう。
 あるいは、たくさんの反応が起きているけど、「この点だけが、どうし
てもわからないなあ」と、部分的な反応停止です。

 そこに、「映画批評」「映画解釈」という「触媒」を加えるのです。
 そうしたものを読んでみるわけです。
「その意見の一部は正しいが、やっぱり××だと思う」
 批評を読む前には考えもつかなかった、あなたの心の反応が起こってい
ることでしょう。
 それが、「映画批評」の存在意味です。

 ただ、「触媒」を入れすぎて、ビーカ自体を触媒で満杯にしてしまう人
がいます。
 「批評」や「解釈」を鵜呑みにすることです。
 「人の考え」をただ単に受け入れて、「自分の心の反応」のつもりにし
てしまう人。
 自分が納得できる解釈を探すだけで、自分では何も考えない人です。

 これは、映画から、何も得ていないということです。
 でも、こういう人が多いのです。実際には。
 
 ですから、「映画批評」「映画解釈」は、あくまでも「触媒」として
読んでください。

 大切なのは、あなたの心の反応です。
 そして、何本も映画を見ていくと、心の連鎖反応。すなわちあなたの
心の成長、人間として成長が起きてくることがわかるはずです。
 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3  一問一答
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 読者からたくさんの謎が寄せられています。
 その全てに、お答えします。
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   ・
 「自分で考えなさい」


 これが答です。

 人に聞いても、それはテストでカンニングしているようなもので、自分
のために何もなりません。
 まず、自分で考えてみてください。
 そこが、大切です。
  
 考えてみました?

 何度も、何度も。
 それでもわからない? 
 映画のどこにも、ヒントは描かれていない?
 
 もしそうなら、「その疑問に対する正しい答はない」ということです。
 正確に言えば、「はっきりとした答としては劇中に描かれていないから、
観客の想像に委ねる」ということです。
 
 映画というのは、約二時間しかないわけですから、細かい点までいちい
ち説明してられません。
 どこにも、それらしい説明がないのなら、映画のストーリーライン
に矛盾しない範囲で、自分の想像力で補っていっていい、ということです。
 それも、また映画の楽しみです。
 だから、自分で答を出してください。
 
 とはいっても、「わからない」という不満がたまると、精神的にもよく
ないですね。
 以下、一問一答形式で、私の考えを述べますが、あくまでも自分の考え
を導くための触媒としてお読みください。
 
【質問1】
 最後に、アダムがゼップを殴り殺したのはなぜですか?
 ジョンが犯人と知りながらもなぜ、ゼップを殺したのでしょうか?
 コレは友人にも聞いてみたら、「ゼップがゴードンを殺そうとしたから
ではないか?」 と、いう答えでした。ゴードンを殺したら自分(アダ
ム)の助かる道がなくなると思ったからでしょうか??

【私の考え】
 ゼップがゴードンを殺そうとしたので、ゴードンを助けようとした。
 それも理由の一つでしょう。
 ラストの「おいていかないでくれ」「必ず助けをつれて戻ってくるよ」
という二人のやりとりから、アダムとゴードンの間に、友情めいたもの、
何らか精神的な連携が生まれていたのは確かでしょうから。
 
 ゼップが来た時点では、真ん中の死体が犯人だとは知らないわけです。
 鍵は、ゼップが持っていると思った。だから、ゼップを殺した後、すぐ
にゼップの懐をさぐりました。
 つまり、ゼップを殺したたのは、鍵をゲットして自分が助かるためだと
思われます。
 
 ゼップがジョン本人ではないということも、わかったでしょうが、私の
「アダム共犯者説」では、「ジグソウが共犯者を使う」という例の法則が
成立しますから、ジョン本人が現場に現れなかったとしても、驚きにはあ
たりません。

 もし、アダムがゼップを殺さずに、そのまま死んだふりをしていたら?
 
 ゼップには殺されなくても、つながれたまんま何日も放置されるのでは
ないでしょうか? 
 最初のゲームの被害者を検分するシーンで、「この死体は何日もたって
いる」といったようなセリフがあったと思います。
 「この男から鍵を奪わなければ、助からない」とアダムは思ったでしょ
う。


【質問2】
 マネキン工場に監禁されていた人は誰だったのか。
 あの人の助かる道はあったのか。。

【私の考え】
 次のゲームの参加者(被害者)でしょう。
 これから、どこかの廃屋に連れて行って、ゲームを開始する直前だった
のでは?
 

【質問3】
 シン刑事が亡くなったのは「直接手をくだして」いるのではないか??

【私の考え】
 ジグソウは罠を仕掛けて、逃げただけです。
 シン刑事が賢ければ、罠を回避できたでしょう。
 シン刑事が、追ってこなければ、彼は死ぬことはなかった。
 ジクソウはおびき寄せ(お膳立て)はしていますが、結局はシン刑事の判
断に委ねられる部分が残されていいます。
 
 このショットガンのブーピートラップが、「直接手をくだしている」こ
とになるのなら、例えばアマンダのケースだって、直接手を下していると
こになるでしょう。
 アマンダの頭に、顎破壊装置をとりつけてロックする、というお膳だて
を行なっていますから。

 アマンダのケースでは、「鍵を探してオープンする」という助かる道が
残されていただけ。
 何もしないと、死んでいたわけです。 

 シン刑事のケースは、「自分で罠に気付いて回避する」という助かる道
が残されています。
 それに気付かないで、ジグソウを追跡すれば死ぬという。

 シン刑事のケースは、アマンダや他の人のゲームのケースと全く同じだ
と思いますが・・・。


【質問4】
 アダムが自分のお腹に「?」を確認したとき「腎臓は大丈夫か?」 
 なぜ、『腎臓』なのでしょうか。『胃』ではなくて。

【私の考え】
 もし、ここで「胃は大丈夫か?」と言ったとすると、アマンダのケース
について詳細を知っていたゴードンに「何で、ジグソウ事件の詳しい内容
を知っているのだ!!」とバレてしまいます。
 したがって、「胃は大丈夫か?」とは決して言わないと思います。

 腎移植、臓器売買のための闇のネットワークというのがあって、浮浪者
などを誘拐して臓器を摘出する、そんな事件もあるという話を聞いたこと
があります。
 「自分が誘拐された → 臓器目的の誘拐事件 → 腎臓」
 この発想の流れは、ごく普通のものだと思います。

 最初見た時は、誘拐されたので腎臓目的の誘拐を危惧して、身体を調べ
たと思いましたが、どうみてもお腹を見て、「腎臓は大丈夫か?」という
のはおかんしいですね。
 腎臓は、背中の腰の上のあたりにありますから。

 アマンダのケースほ思い出したアダムは、とりあえず腹を確認し、それ
を誤魔化すために、腎臓のために誘拐されることもある、という知識にか
こつけて「腎臓は大丈夫か?」と言ったのだと思われます。


【読者の指摘】
「アダム共犯説根拠4 ジクソウは、なぜわざわざ特殊メイクしてまで、
顔を隠していたのか?」に対して (この記述は、現在の改訂版ではすで
に削除しています)

・特殊メイクをしていたのは顔ではありません。頭の側面です。銃痕を特
殊メイクで作っていたのでしょう。よく見てください。顔はそのままでし
た。アダムは死体の顔を見ることができた。面識はなかったと言うことに
なります。
 特殊メイクをはがした瞬間に驚いているのではなく、ジグゾウが起き上
がったことによってパニックになり状況がよく飲み込めなかったからでは
ないでしょうか。状況を飲み込むにつれ、顔が徐々にこわばっていくのが
わかります。

【私の考え】
 特殊メイクをしていたのは顔、というのは私の見間違えです。
 ご指摘どおりでしょう。 

>アダムは死体の顔を見ることができた。面識はなかったと言うことにな
ります。

 アダムは死体の顔を見ることができましたが、劇中では見ていません。
 したがって、面識がなかったとは結論できないでしょう。

 私は、この最後の一連のアダムのリアクションが、ジグソウと一度も会
ったことがなかった者のリアクションには、どうしても感じられません。
 まあ、主観の問題ですが。
 (これが、映像を解釈することによる、多様性です)

 アダムが、ジクソウの顔を知っていたかについては、解読配信時とは見
解を変え、現在は以下のように考えています。

 ジグソウは、ゴードンを拉致する時、ブタのマスクをかぶっていた。
 そして、タップ刑事のいるマネキン工場にいる時も、変な特殊メイクみ
たいなものをしていた。素顔ではなかった。つまり、「ジョンがジグソウ
として行動する時は、常に素顔を隠している」という法則があると思われ
ます。

 ゲームの参加者に仕掛けを施したりする時も、ゲームの参加者が急に目
をさまして顔を見られたら困ります。また彼らは、生還し開放される可能
性もあるわけです。
 したがって、ジグソウとして行動する時(犯罪を実行する時)は、マスク
などをして素顔を隠していたということは、当然のことでしょう。
 マネキン工場に戻ったジグソウが、素顔を隠していたのは、ドリル男を
拉致中だったためでしょう。
  
 したがって、仮にジクソウとアダムが会っていた。あるいは、アダムが
ゲームを手伝っていた場合も、アダムはジクソウの素顔は見ていないと考
えられます。
 あるいは、アダムが最も軽い共犯の場合は写真撮影だけですから、写真
受け渡しの時に素顔を隠したジグソウに会っただけかもしれません。

 立ち上がった死体(ジグソウ)に凍りつくアダム。このリアクションに関
しては、アダムがジグソウの顔を知らなくても、背格好、体格などは知っ
ているとすれば、起き上がり振り向いたジョンを、ジグソウと理解できた
でしょう。
 これだと、少しずつ表情がこわばるというアダムのリアクションも説明
されます。


【読者の意見】
・ゴードンは本当にアダムを殺す気だったのか?
 
 彼は自らの脚を切断しアダムを撃ちました。
 ジグソウが課した条件通りの行動です。
 その時の彼にタバコトリックのような精神的余裕があったようには見え
ません。
 顔面蒼白で喋る言葉もままならず拳銃を持つ手も震えていました。
 彼はただ犯人からの課題を遂行しただけのように思います。
 家族を救いたい一心で。

 脚を切断するという行為で医者としての成功を捨てたゴードン。
 言い換えれば極限状況におかれて初めて気づいた家族というものの大切
さ。それに加えて、左右にちょこまか動くアダムを正確に「外す」事は不
可能なはず。
 肩に当たって即死をまぬがれたのは結果オーライだったんだと思います。
 なぜなら、撃たれたアダムが起き上がった時ゴードンがとてもびっくり
していたから。

 でもその結果、ゴードンはゼップに殺されずに済んだ。
 そしてアダムへの同情が甦る。
 俺とおまえはジグソウという男の同じ被害者なのだと。
 というわけであたし的には拳銃を構えた時点ではYESです。

【私の考え】
 ゴードンが、アダムを撃ったのはゲームエンドのため。
 つまり、殺意を持って、アダムを撃った。

 これと同じ意見は、いろんな掲示板でも何人もの人が書いていますので、
同様に解釈した人も多いでしょう。
 
 これに関しては、私は違うと考えています。
 なぜなら映画だから。

 もし、これが実際の事件で、ゴードンが生き残ってアダムが死んだとし
ます。
 そうなると、裁判になります。
 焦点は、ゴードンは殺意を持ってアダムを撃ったかどうか。
 故意かどうか?
 この点に関して、検察官から厳しい追及を受けることは必至です。

 つまり、現実の感覚で考えれば、ゴードンに殺意があった可能性は否定
できません。

 しかし、これは映画です。
 伏線によって、登場人物の行動や心理が説明去れというのが、映画の文
法です。
 そして、「例の法則」が適用されます。
 そっくりなシーンが前にある場合は、それに照らして解釈すべきです。
 
 つまり、ゴードンは本当の毒をタバコにつけてアダムを殺すことができ
たのに、ニセ毒タバコをアダムに渡して死んだふりをさせた。ということ。
これが、伏線になります。
 毒タバコは、アダムの芝居だった。
 
 これと似たシーンがあれば、このシーンに照らして理解しなさい、とい
うのが伏線です。
 つまり、撃たれた時も、アダムの芝居であることが、伏線として示され
ています。

 単に、たまたま弾が外れた。死んだと思っていたアダムが生き返って、
ゼップを殺した。
 そうした意外性を演出したいのなら、毒タバコのエピソードは、映画的
には、ない方がいいわけです。
 脚本の作劇法から言えば、そうなるわけです。

 あと、「俺を置いて行かないでくれ」「必ず助けをつれて戻ってくる」
という二人の会話です。
 この会話が、数分前には「殺してやろうと考えていた男」と「危うく殺
されそうになった加害者」の会話としては、心が通いすぎているのではな
いでしょうか?
 このセリフの裏に、「お前、本気で俺を殺そうとしていたくせに、よく
そんなこと言えるな」(アダム)という雰囲気は、私には全く感じられませ
ん。
 ゼップを殺して助けられたという気持ちでゴードン側の気持ちはやわら
いでも、殺されそうになったアダムの気持ちに、変化がおきるでしょう
か?
 

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■4   ソウで学ぶ精神医学知識
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【読者の質問】
 はじめのゲームの自殺未遂者ポールの助かる道はあったのか?
 (ワイヤーから抜け出すか、動かず時間がたち、ドアが閉まって死ぬ
か・・でした・・よね?)

【私の考え】
 この質問に正しく答えるためには、自殺常習者の心理についての知識が
必要です。
 ですから、この「医学知識」のコーナーでお答えしましょう。

 ポールは自殺未遂の常習者でした。
 そして、彼に「命の大切さ」を教えるのが、このゲームの目的です。
 
 自殺常習者が最もよく使う方法は、リストカットです。
 手首をカミソリやカッターで切る、という方法です。
 
 つまり、ポールがカミソリ・ワイヤーの部屋に閉じ込められたのは、彼
がカミソリによる自殺未遂の常習者であったから、と推測されます。
 放火魔マークが、引火性ジェルの部屋に閉じ込められたのと同じです。

 自殺常習者は、いつも「死んでやる」とか「死なんか怖くない」と言い
ます。
 しかし、本心は反対です。
 決して死にたくないのです。助けて欲しい。自分のことを心配してほし
い。他の人の気を引くために、「死んでやる」と言うわけです。
 
 その証拠に、自殺する前に「今から自殺する」という電話をかけたリ、
メールをしたりしてから、行動に移します。それは、助けて欲しいからで
す。本当に死にたい人は、誰にも言わず、突然自殺を実行します。

 「死」をまじかに控えてたジグソウにとっては、そうした自分の「死」
を道具にして他人の気持ちを引こうとする行為は許し難いものがあったで
しょう。

 カミソリワイヤーの部屋の脱出法。
 アダムに用意された答が、「自分の足をノコで切る」だったように、こ
のゲームの参加者には、相当の自己犠牲が要求されます。つまり、カミソ
リ・ワイヤーをかき分けて、全身血だらけになって、全身に百箇所くらい
の切り傷をおって、大量の出血で生きるか死ぬかのギリギリの状態になっ
てまですれば、助かったのだと思います。

 切り傷をおわずに、五体満足なまま助かる方法はなかった。
 それは正しい。質問者のご指摘通りです。

 ジクゾウのゲームは、何の犠牲も払わずに勝つことはできないのです。

 ポールは普段はカミソリで、自分の身体に致命傷にならない創をつけて、
「自殺だ。自殺だ」と騒いでいたでしょう。
 本当に自分の身体に傷をつけるとはどういうことかも、考えもせずに。

 だから、ジグソウは、それを教えようとした。
 自分の身体を切るということは、痛みを伴うし、出血多量の危険がある
のだ・・・と。

 結局、ポールは犠牲を払うことが出来なかった。
 だから、何もできないで、カミソリ・ワイヤーに締め付けられて死んで
しまった。
 「死」をひからめかしていながら、本当の「死」について考えたことな
どなかった。
 「死」の恐怖に直面して何もできなかった、ということなのでしょう。

 さりげない描写ながら、自殺者の心理も徹底して考え抜かれていると思
います。

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