[映画の精神医学]


ホワット・ライズ・ビニーズ
以下、完全ネタバレです。
 恐怖と驚き別である。英語で言えばその違いが分かりやすいかもしれない。恐怖とは、fearであり、驚きはsurpriseである。『ホワット・ライズ』には、驚きはあるが恐怖は希薄である。そして、その驚きの描写は、大きな音を出すことで観客を驚かす。ただ、それだけである。『ホワット・ライズ』から音の驚きを抜いてしまうと、そこには何も残らないのであろう。

 タイトルの『ホワット・ライズ・ビニーズ』、それを直訳すると「その下にある嘘は何か」である。このタイトルが全てを語ってしまっている。タイトル自体がネタバレである。ハリソン・フォード演じる完璧な夫ノーマンのその下に、嘘が隠されているのである。
 ノーマンの善良さが、既に嘘であることをタイトルで言ってしまっているので、後半の謎解きの部分があたりまえのことにしか見えない。ノーマンの豹変と、殺人鬼への転進も、当然としか思えない。
 ノーマンは、殺人鬼に転じ、妻クレア(ミシェル・ファイファー)を殺そうとする。その転進を説明する心理描写はない。善良な夫、何不自由のない完璧な夫ノーマンが、なぜ殺人鬼に変身したのか。あるいは、変身せねばならなかったのか。その理由は、「意外性」という驚きを狙うために、一切カットされてしまったようだ。
 クレアは殺人鬼にだまされ続けていたという、ただそれだけか。
 前半の人間描写があまりにも、浅薄である。ロバート・ゼメキスの映画全般に存在する浅薄さが、やはり『ホワット・ライズ・ビニーズ』には存在する。いまどき、この程度の映画に驚かされる観客は、一体どれだけいるというのか。
 話があまりにも古典的過ぎる。

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「その下にある嘘は何か」

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 完璧な夫婦。
 そんなものは、ありはしないのだ。
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