ソウ完全解読 |
■ 「ソウ」は黒澤の「生きる」である 「ソウ」は、黒澤明監督の「生きる」である。 余命いくばくもない病気と宣告される。 残りの人生の貴重な時間を何に費やすのか? 今までの自分(志村喬)は、人のために何もしてこなかったのではないか? 志村喬は、公園の造成に勢力を燃やした。 公園造成に命をかけることで、自分の生きる意味を問うたわけだ。 そして、それをつかんだ。彼は、豊かな気持ちで往生したであろう。 これは心理学的に見れば、ロスの「取引」に当たる。 「公園造成」という社会奉仕と引き換えに、「心の安定」「充実感」を手に入れよ うという取引。 あるいは、社会奉仕活動に専念することで、「死の恐怖」や「絶望からの解放」を 手に入れようという取引である。 実は、「ソウ」は「生きる」である。 ジョンは、末期癌であり、余命いくばくもないことを知る。 彼は孤独だ。彼の死の恐怖など、誰も理解してくれはしない。 そして、ゴードンは彼をバカにする。彼に対する「怒り」がわいてくる。 自分の残りの人生をどうすればいいのか? 何か、やらなくては。 ジグソウは、生きるていることの大切さを人々に訴えようという、活動を行なった わけだ。 「生の大切さを人に伝える」という社会奉仕活動を行なうことで、自らの死の不安 をごまかし、心の安定を手に入れようとした。すなわち、「取引」の過程である。 もちろん、その方法は「公園造成」とは全く反対の「生きるか死ぬかのゲーム」で あり、犯罪である。 誉められたことではないが、ゲームへの情熱が彼の生きるエネルギーとなり、それによって不安や恐怖を紛らわしていたことは、間違いないだろう。 |
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