ソウ完全解読 |
■ 狂気と正気の間をただよう究極の人間ドラマ アダムは、最初キレている。しかし、ゴードンと話すことで落ち着きをとり戻す。 そして何とか、正常な思考を回復する。 一方で、妻子が監禁されている写真を見せられたゴードンは絶叫し、冷静さを失う。携帯電話で妻子の声を聞くシーンも同じだ。 彼らは狂気にさいなまれながらも、必死に正気を取り戻そうとする。 そして、かろうじて冷静さを取り戻したと思ったら、また狂気に引き戻される。 「狂気」←→「正気」 狂気と正気の間で揺れ動く、二人の心理こそが、この「ソウ」の最大の見所である。 そして、ジクソウのいやらしさは、「正気」に戻ろうとした彼らに、新たな疑心暗 鬼と「狂気」にいたるネタを提供し続けたことだ。 「ソウ」のストーリーには、大きな矛盾やアラがあるかもしれない。 しかし、それこそが人間の狂気、その狂気のリアリティと表裏一体になっているこ とを、認識すべきだろう。 彼らは、狂気の只中にいた。 そして、ジグソウもまた、例外ではない。 ジグソウが仕掛けたゲームの内容からは、沈着冷静で頭の良い男にも思える。 しかし、彼は余命いくばくもない。死の恐怖におびえていたはずだ。 時間の猶予もないから、計画もあせっていただろう。 そして、なにしろ脳腫瘍をわずらっているのである。 彼が完璧な殺人計画を練り、常に正しい判断をする冷静な人間である、と考える根拠はない。 この計画に穴があっても、計画にいくらかのほころびがあっても、それはむしろ当 然ではないのか? リアルなのではないか? 最初の三つのゲームは、完璧な犯罪にも思える。 それに比べて、ゴードンとアダムのゲームは、計画に無理とほころびが多い。 これも、当然だろう。 ジグソウの命はだんだんと短くなっている。 死に対する不安と焦りも強まっていたはずだ。 あと何日生きられるかわからない人間が、冷静な思考と判断ができるのか? (ジグソウの余命の期間については、後日考察する) 彼の冷静さと、明晰は、時間とともに失われていったはずである。 したがって、ジグウソの最後のゲーム。 それが多少お粗末なものであっても、それは当然である。 彼らは、狂気の只中にいた。 それを理解しよう。 |
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