ソウ完全解読 |
■ 多重解釈可能なラスト 私は、「ソウ」を3回見た。 私は1回目見た時は、ゴードンは生き残ったと思った。 しかし、2回目見直すと、死んだと思った。 3回目を見た今は、死んだ可能性7割。生きる可能性3割と思っている。 以上、示したように、ゴードンの生死に関しては、映画的に両方の可能性が示唆されている。 敢えて、どちらかに決め付けないよう、含みを持たせて演出しているということだ。 つまり、どちらも「あり」ということ。 ゴードンが生きても、死んでもゴードンは「生の大切さ」を思い知ることになる。 それによって、ジグソウの目的は達している。 生きるも知るも、観客の想像しだい。 これが、映画を詳細に分析した結果である。 映画のラストは、ハッキリとさせない方が、傑作になりやすい。 「2001年宇宙の旅」や「エクソシスト」がそうだ。 「このラストの意味は何だ?」「このラストはどういうこと?」 と考えれば考えるほど、映画に引き込まれていく。 結果として、私のように映画を二回三回と見る者も出て来る。 だから、意図的に、ラストに複数の解釈ができるようにあいまいさを残す、 というのは映画の優れたテクニックである。 そして、「ソウ」もそうである。 プロデューサーのグレック・ホフマンは言う。 「想像する余地を残した映画こそ、本当に怖いんだ」 「ゴードンの死」と「ゴードンの生」。 両方を示唆する描写を意図的に入れている。 最初から、多重解釈できるように作られている。 そして、このように、「ソウ」のラストをめぐって大きな議論が起きている。 まさに、我々は監督の術中にはまっているのだ。 |
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