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ソウ完全解読

 

【読者の意見】
・ゴードンは本当にアダムを殺す気だったのか?
 
 彼は自らの脚を切断しアダムを撃ちました。
 ジグソウが課した条件通りの行動です。
 その時の彼にタバコトリックのような精神的余裕があったようには見え
ません。
 顔面蒼白で喋る言葉もままならず拳銃を持つ手も震えていました。
 彼はただ犯人からの課題を遂行しただけのように思います。
 家族を救いたい一心で。

 脚を切断するという行為で医者としての成功を捨てたゴードン。
 言い換えれば極限状況におかれて初めて気づいた家族というものの大切
さ。それに加えて、左右にちょこまか動くアダムを正確に「外す」事は不
可能なはず。
 肩に当たって即死をまぬがれたのは結果オーライだったんだと思います。
 なぜなら、撃たれたアダムが起き上がった時ゴードンがとてもびっくり
していたから。

 でもその結果、ゴードンはゼップに殺されずに済んだ。
 そしてアダムへの同情が甦る。
 俺とおまえはジグソウという男の同じ被害者なのだと。
 というわけであたし的には拳銃を構えた時点ではYESです。

【私の考え】
 ゴードンが、アダムを撃ったのはゲームエンドのため。
 つまり、殺意を持って、アダムを撃った。

 これと同じ意見は、いろんな掲示板でも何人もの人が書いていますので、
同様に解釈した人も多いでしょう。
 
 これに関しては、私は違うと考えています。
 なぜなら映画だから。

 もし、これが実際の事件で、ゴードンが生き残ってアダムが死んだとし
ます。
 そうなると、裁判になります。
 焦点は、ゴードンは殺意を持ってアダムを撃ったかどうか。
 故意かどうか?
 この点に関して、検察官から厳しい追及を受けることは必至です。

 つまり、現実の感覚で考えれば、ゴードンに殺意があった可能性は否定
できません。

 しかし、これは映画です。
 伏線によって、登場人物の行動や心理が説明去れというのが、映画の文
法です。
 そして、「例の法則」が適用されます。
 そっくりなシーンが前にある場合は、それに照らして解釈すべきです。
 
 つまり、ゴードンは本当の毒をタバコにつけてアダムを殺すことができ
たのに、ニセ毒タバコをアダムに渡して死んだふりをさせた。ということ。
これが、伏線になります。
 毒タバコは、アダムの芝居だった。
 
 これと似たシーンがあれば、このシーンに照らして理解しなさい、とい
うのが伏線です。
 つまり、撃たれた時も、アダムの芝居であることが、伏線として示され
ています。

 単に、たまたま弾が外れた。死んだと思っていたアダムが生き返って、
ゼップを殺した。
 そうした意外性を演出したいのなら、毒タバコのエピソードは、映画的
には、ない方がいいわけです。
 脚本の作劇法から言えば、そうなるわけです。

 あと、「俺を置いて行かないでくれ」「必ず助けをつれて戻ってくる」
という二人の会話です。
 この会話が、数分前には「殺してやろうと考えていた男」と「危うく殺
されそうになった加害者」の会話としては、心が通いすぎているのではな
いでしょうか?
 このセリフの裏に、「お前、本気で俺を殺そうとしていたくせに、よく
そんなこと言えるな」(アダム)という雰囲気は、私には全く感じられませ
ん。
 ゼップを殺して助けられたという気持ちでゴードン側の気持ちはやわら
いでも、殺されそうになったアダムの気持ちに、変化がおきるでしょう
か?
 

 

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