[映画の精神医学]




マイノリティ・リポート
 
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 何かスピルバーグらしくないという感じ。それが、見終わった直後の感想である。
 テーマともかかわるが、人間の醜い部分が前面に描かれた作品で、テイストとして『AI』に近いのかな、とも思った。しかしながら、人間不信、さらには自己に対する不信感というのは、フィリップ・K・ディック作品の根幹をなすわけだから、スピルバーグのテイストよりも、ディックのテイストなのかとも思えてくる。
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 SFファンにとって、フィリップ・K・ディックを知らない人はいないだろうが、そうでない人もいるだろうから、簡単に説明しておこう。『ブレード・ランナー』(「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」や『トータル・リコール』(「追憶売ります」)、『クローン』(「偽者」)の原作者と言えば、「ああ、そうか」と思う人も多いだろう。しかし、ディックの映画化作品の中で最も面白いのは、『スクリーマーズ』(変種第二号)だろう。たいしたヒットもせず、話題にも上らなかったが、間違いなく傑作映画である。見ていない人は、レンタルビデオ屋に走ろう。
 ディック作品のパターン。自分は本当の自分か? 自分が何者かにすりかえられているのではないか? 本物の自分は誰か? 自己の存在、アイデンティの問題に切り込むテーマが、ほとんどの作品に共通している。自分が何者かに乗り移られている、あるいは替え玉に入れ替えられているという妄想を、カプクラ妄想という。ディックが重度のアルコール依存症で、実際にカプグラ妄想に悩まされていたということについては、ディック作品のファンでも知っている人は少ないかもしれない。その辺を含めて、デッックについて述べていくと、一冊の本を書かなくてはいけなくなるので、とりあえず『マイノリティ・リポート』(以下、『MR』)に戻ろう。
 原作の映画化作品について語る場合、そこに描かれるテーマや種々の描写が、原作に起因するものか、あるいは映画化の段階での脚本家や監督のオリジナルな創作なのかは、原作を読まなくてはわからない。映画『MR』を十分理解するためには原作との比較は不可欠である。ということで、まずはディック原作の「MR」を読んでみる。
 短編なので一気に読み終わる。ディック・パワーの炸裂した凄い作品だ。映画『MR』を見たとき「暗い作品だなあ」と思ったが、この原作と比べると随分明るく感じられる。
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 原作と映画はかなり違う。主人公アンダートンが自分の殺人を予言され、自らの無実を晴らすために奮闘するという粗筋は同じだが、アンダートンが殺そうとする男とそれにかかわる謎解き部分が全く違うし、ラストシーンは完全に違う。
 個別に、かつ詳細に比較したいところだが、原作をこれから読もうという人もいるだろうから、そうした人の興味を損なわないように、以下簡略化して記述しよう。
 以下、原作にはないが映画には付け加えられた、あるいは大きく強調された部分を列挙しよう。
1 未来は変えられるのか?
 ディックに一貫して流れるテーマとして、偽者と本物。本物の自分と偽者の自分というテーマがある。『MR』では、自分(アンダートン)は予言通りに殺人を犯してしまうのか、すなわちプレゴグが見た映像の中の自分(殺人を犯す自分)が、本物の自分なのか、偽者の自分なのか? という形で描かれていく。

 別な視点から見ると、「未来は変えられるのか?」ということだ。
 「未来は変えられるのか?」この質問に、「変えられるに決まっている」と答えられる人は、うらやましい。私のように三十も中ほどを越えると、「自分の人生とは、ただ決められたレールの上を走っているだけではないのか?」という、疑念に支配されてくる。自分のもつ才能なり能力におおむね沿ったレールをただ走っているだけ。自分の判断なり、選択というものは、そうした人生の激流の中で、そんなに大きな力を持っていないのではないかと・・・。そんなことを、つい最近も考えていたものだから、『MR』のこのテーマは非常に心に響いた。

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犯罪予防局局長
ラマー・バージェス
(マックス・フォン・シドー)

 つまり、『MR』では、「人生は自分の力でいくらでも変えられるんだよ」というポジティブなメッセージを放っている。これには、非常に励まされる。トムが命がけで自分の無実を証明し、最後にそれは証明される。逆に言えば、「必死になって変えようとしなければ、(人生は)そう簡単には変わらない」ということなのかもしれない。いずれにせよ、「努力すれば、自分の人生を大きく変えることができる」というポジティブな意味合いは変わらない。
 原作ではほぼ逆のテーマになっており、未来に明るい希望を抱かせるラストシーンを含めて、スピルバーグの完全なオリジナルなのである。
 

2 家族愛のテーマ

 『MR』を見て、「スピルバーグも変わったなあ」と感じた人は多かったのではないだろうか。スピルバーグならではの「心温まるドラマ」というものが少ない。むしろ、陰謀や疑い、利己心、など人間の醜い部分が多く描かれているように見える。しかし、本当に暖かな人間ドラマはなかったか?
 トムは子供を失った悲しみにさいなまれ、薬物に依存する。それは、子供への愛情が深いためである。子供への愛情が深かったから、悲しみも深い。そして、子供を殺した男に対して、殺意すら抱く。映画の後半では別れた妻と再会し、助けを求める。妻は献身的に協力し、収容所に入れられたトムを救出しようと奮闘する。そして、ラストの親子三人の暖かな家庭の様子。

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 一方、プレコグのアガサは、親から引き離された悲惨な過去を持つ。母親は子供を取り戻そうとするが、その行為がこの事件の真相に大きく関わってくる。子供を失ったトムの家庭と同様に、ここでも引き裂かれた家族が描かれる(二つの家族は非常に対照的)。
 映画『MR』には明らかに家族のテーマが存在する。そして、これらの描写は、原作では全く描かれていない。むしろ反対で、アンダートンは自分の妻が陰謀の黒幕ではないかと本気で疑う。映画での家族の描写は、スピルバーグのオリジナルであり、それはスピルバーグらしい脚色と言えるだろう。

 

3 映像解釈の危険性

 原作ではプレコグは、予知した未来を単に言葉で語る。すなわち、予知の記録はテープ(音声)で残される。原作が書かれたのは1956年であるから、現在ほどの映像文化の発展は当時は予想できなかったのだろう。映画では予知した未来が映画のように映像として見ることが出来る。視覚情報をもとに、加害者、被害者と事件の起きる場所を特定して、犯罪を抑止する。
 映像映画では原作になかった、映像がもたらす誤解、映像だけから判断することの危険性が描かれる。アンダートンの殺人の予知は、プレコグの映像の通りに現実化したが、それはアンダートンが殺意を持って殺したわけではなかった。単に第三者的に映像を見ただけで、殺意はわからない。偶発的な事故も、映像だけを見ると、どう判断されるかわからない。テレビのニュース映像などを見ていても、我々はそれを素直に信じてしまいがちだが、あくまでも映像とは事実を切り取った一部分でしかないという問題点を、『MR』では指摘している。

4 マイノリティの意見は尊重されるべき

 「MR」って何のことだろう? 最初、観客のほとんどが、そう思う。
 「MR」が何なのか、について説明されることで、物語の重要な謎に近づいて行く。

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司法省のダニー・ウィットワーとの対立
 「MR」に隠される一つのテーマは、少数意見であっても棄却してはいけないということだ。プレコグの二人が殺人を予告、一人がそうでない未来を見たとしても、マイノリティ・リポートとして棄却された事実があったことを、トムは知る。すなわち、多数意見が間違っていて、少数意見の方が正しい場合だってありうるのだから、少数意見も大切にしなければいけない。
 民主主義に慣れ親しんでいる我々は、日常的な場面で、例えば仕事の会議や学校の学級会なども少数意見を棄却することにな慣れすぎている。もちろん、多数決を採用しなければ先に進まないという問題もあるが、そうした多数決に慣れ親しんでしまったばかりに、人権や人命にか関わる重要な問題にまで、そうた多数決原理を無意識に持ち込んでしまうことの危険性について改めて考えさせられる。
 
 このように、原作と比べて見ると、一見暗いように思えた映画も、非常に心温まる人間ドラマが描かれているスピルバーグらしい作品に仕上がっていたことがわかる。「スピルバーグらしい作品」という言葉自体が、あまり良い言葉ではないだろう。『シンドラーのリスト』以降と、それより前の作品では、いろいろな点でスピルバーグは大きく変わっているのだから。
 「『MR』は、スピルバーグらしくない」という批判もあるが、『シンドラーのリスト』以降のスピルーグらしさという点では、『プライベート・ライアン』や『AI』の重たい路線に乗っており、実にスピルバーグらしいのである。

 
 
  フィリップ・K・ディック映画化作品一覧

『ブレードランナー』
 
映画ファン必見
1982年 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 ハリソン・フォード主演、リドリー・スコット監督
『トータル・リコール』 1990年 「追憶売ります」
『マイノリティ・リポート』収録
アーノルド・シュワルツェネッガー主演、ポール・バーホーベン監督
『バルジョーでいこう!』 1992年 『戦争が終り、世界の終りが始まった』 ジェローム・ポワヴァン監督
『スクリーマーズ』
 樺沢一押し
1996年 「変種第二号」
『パーキー・パットの日々』収録)
ピーター・ウェラー主演、クリスチャン・デュゲイ監督
『クローン』 2001年 「にせもの」(『パーキー・パットの日々』収録) モーガン・フリーマン主演、ゲイリー・フレダー監督
『マイノリティ・リポート』 2002年 「マイノリティ・リポート」
『マイノリティ・リポート』収録)
トム・クルーズ主演、スティーブン・スピルバーグ監督

 

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DVD
2090円
メチャおもしろい一冊
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原作小説
マイノリティ・リポート
ディック作品集

フィリップ・K. ディック (著),

ハヤカワ文庫SF 672円
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サウンドトラック
2421円
その他のスピルバーグ作品
その他のトムクルーズ作品

 

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
(マガジンID:0000136378)

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