[映画の精神医学]




プロフェシー
 
 

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 さて、当ホームページで『プロフェシー』を取り上げるということは、多くの読者は、他の映画のような完全解読を期待するかもしれない。しかし、『プロフェシー』を完全解読することができない。なぜなら、そこに答えはないからである。
 例えば、モスマンを目撃した妻に、側頭葉の脳腫瘍が発見される。側頭葉の脳腫瘍では、しばしば幻覚発作が生じるため、脳腫瘍とモスマンの目撃体験が何か関係があるのかと、謎が提示される。あるいは、私個人としては、脳腫瘍になったということは、モスマンが電磁波や放射線と関係のある何か(例えば宇宙人とか)なのか、と深読みしてしまった。
 結局、妻の脳腫瘍についての説明は全くなし。モスマンの目撃者ゴードンは、頭の検査を受けたが、結局脳腫瘍はなく、モスマンとの関連性はないといこと? 妻のかかった脳腫瘍は、極めて珍しいタイプの主要であったのに、それは偶然だったということか?結局、謎は提示されただけで説明がない。

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 結局、そんな謎ばっかり。製作者たちは、「謎」というよりも、神秘的な雰囲気を演出するための設定の一つとしてしか考えていないのかもしれないが、そうした「謎もどき」が説明されないまま放置されるのであるから、観客にフラストレーションがたまるのは当然と言えるだろう。
 結局、謎といっても、答えのない謎ばかりであるから、それを解読することすら、できないのだ。 

 

 『Xファイル』との比較論
 『プロフェシー』を見ていて、二つの作品が頭をよぎった。『Xファイル』と『サイン』である。この二作品と比較することにより、『プロフェシー』が一体どういう映画なのかが明確になる。

 『プロフェシー』の予告編を見て思う。「『Xファイル』みたいでおもしろそうな映画だな」と。実際、『プロフェシー』は『Xファイル』のような映画であったのだが、私の予想した映画とは大きく異なっていた。一言で言えば、私が期待したのは『Xファイル』のファースト・シーズンのようなおもしろさだったのだが、『プロフェシー』は『Xファイル』のセカンド・シーズン以降の特徴を備えていた。
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 『Xファイル』ファースト・シーズンのおもしろさは、科学で説明不可能な不可解な事件に、敢えて科学のメスを加え、その現象が、「本当に超常現象なのかどうか?」に迫っていく過程であった。モルダー捜査官は超常現象として理解しようとするが、スカリーは最後まで科学での解明の視点を捨てない。
 しかし、セカンド・シーズン以降、彼らのスタンスは、超常現象支持の方へ著しくシフトしていく。事件が起きても、最初から超常現象のせいだと決めてかかるような雰囲気だ。ファースト・シーズンでは、「おおむね科学的に解明できるが全部は解明できない」みたいな形で、「科学とも、超常現象とも断定しない」ことによって、観客に考える余地を与えて、それがおもしろさとなり、時に不気味な恐怖感につながるのである。しかし、セカンド・シーズン以降は、「超常現象でした」という結論が多くなっていく。
 超常現象というのは、本当かどうかはっきりしない、そのあいまいなところが好奇心をそそるのである。したがって、「これは超常現象です」と結論されてしまうと、それ以上観客が好奇心を持って「本当はどうなのかな?」と考える余地を奪ってしまう。「誘拐は宇宙人のせいです」と断定されてしまうと、「ああそうなの」としか言えなくなってしまうし、宇宙人などいないと思っている観客にとっては、「現実とは全く関係のない作り話」というフィクションにしか見えなくなってしまうのだ。
 『プロフェシー』は、「モスマンは人知を超えた存在として実在する」と結論付けているようにとれる。少なくとも、リチャード・ギア演じるジョンは、モスマンの存在を実在と信じきっていた。
 「モスマン」の目撃事例というのは、バージニア州に実際に報告された話のようである。そうした事実をもとに、フィクションとしての映画を作り上げている。それは、「雪男」や「ネッシー」の目撃事例と同様に、存在するかしないかはわからないにしても、「それを見た」という人が存在するのは事実なのだ。
 しかし、『プロフェシー』はちょっと演出過剰である。前半部分の「モスマンを見た」という人々を取材していく過程は、「モスマンって本当にいるのかな?」と好奇心をかきたてて、映画の世界に引き込まれる。しかし、映画が進むにしたがって、モスマンは具体化していく。ついに、モスマンは、名前を名乗って、直接ジョンに電話をかけてくる。そして、その声はテープに録音できるが、人間の声ではないという。それは、超常現象から現実存在への変化である。

 その一方で、「高次な存在なので人間には理解不能」であると、モスマンについての詳しい説明を、映画として放棄しているのだ。具体的に描写するのなら、とことんやって欲しい。しかし、その辺を誤魔化されてしまっては、観客にはフラストレーションが残る。謎の核心であるモスマンについても、謎の提起だけはしておいて、答えはないのである。
 『プロフェシー』をホラーとして見るならば、モスマンがジョンに電話をかけてくるシーンはかなり怖い。しかし、多くの観客は、この映画を現実世界を基盤にした、サスペンスとして見ているだろう。実際、主人公のジョンがワシントン・ポストの政治記者という設定は、明らかに実在の団体とはかんけいがないホラーではなく、現実をふまえたリアルな映画であるという説明なのだ。「ワシントン・ポスト」という実在の新聞の名前を出しているわけである。結局、作り手としてはホラー映画のつもりで作っているが、観客はリアルなサスペンスとして見ているところに、この映画が今ひとつおもしろくない理由が存在している。
 超常現象はそれが、明らかに姿を現してしまったら、つまらないものになってしまう。『サイン』の宇宙人が良い例である。とはいっても、『ブレアウィッチ・プロジェクト』のように、あれだけ「魔女は実在するか?」と引っ張っておいて、良くわからないラストで終わられてもフラストレーションが残る。
 存在するかも知れないし、ひょっとしたら存在しないかも知れない。映画で提示した謎、すなわち偶然の一致と予言の成就については、ラストの「橋の落下」でほとんどが説明されるわけだから、「モスマンは存在するのか?」という問題については、不問にしてよかったのだ。それが、モスマンに限らず、なぜか「亡き妻から電話がかかってくる」という話に脱線していくのだから手がつけられなくなる。妻からの電話シーンも、ホラーとしてはかなり怖い。線が抜けても、まだ電話はなり続けているところは、背筋がぞっとする。しかし、このシーンとモスマンがどうリンクしているのかは、全く説明がない。ホラー映画としての勢いで映画を作ってしまっていて、前半の緻密なストーリー展開は後半では破綻してしまっている。ストーリーが破綻しているので完全解読などできようもないし、「高次な存在なので人間には理解不能」とまで言われたら、もうコメントのしようもない。

『サイン』との比較論
 それにしても、『プロフェシー』と『サイン』は良く似ている。

 具体的な共通点としては、以下の通り。
@妻の死が、主人公の行動の基礎となっている。
Aその妻が、死ぬ間際に見たイメージが、映画の中心的な謎になっている。
B神(あるいは高次なる存在)は主人公に、サイン(予言)を与え、それは現実のものとなる。
Cサイン(予言)の現実化に直面して、主人公は神(あるいは高次なる存在)を信じる気持ちを強める。
 以上の四点である。

 ストーリー展開はほとんど同じと言ってよい。大きな違いは、宇宙人とモスマンかというだけで、本当に良く似ている。これほど似ていると盗作疑惑すら湧いてくるが、ハリウッドで同時期に似たストーリーや題材の作品が作られることはよくあることで、この二作品の類似に神の意思を感じることはできない(笑)。
 しかし、二作品の最大の共通点は、前半部で謎や伏線を巧妙に張り、観客を大いに期待させたものの、後半で部でその謎の神秘性、奥深さに匹敵するほどの、きちんとした答えを提示していないということなのかもしれない。

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サイン

 リチャード・ギアは、インタビューで次のように述べている。
「脚本を読んだときにも、そこに潜んでいる『現実とはなにか』というテーマが気に入ったんだよ。人間は、果たしてリアリティをどの程度把握しているのだろうか? 自分の頭で想像したことが、現実認識に影響を及ぼしている可能性もあるんじゃないのか? 『プロフェシー』はそういう疑問を投げかけている。映画に登場するモスマンという存在も、ある種のメタファーに過ぎない。常識で考えれば、モスマンなど存在するはずがない。でも、現実の捉え方次第では、存在しえるんだよ。『プロフェシー』では、現実と空想との境界線が不透明に描かれているが、それもこのテーマを強調するためなんだ」
 モスマンはメタファーである。『サイン』の宇宙人もメタファーであったから、その辺も二作品の共通点と言えるだろう。
 ただ、モスマンがメタファーというには、前述したように、モスマンに名前を名乗らせて電話をかけるシーンは全く余計である。モスマンの神秘性が失われることで、メタファーとしての記号性も喪失している。電話の男は、あまりにも俗っぽいし、「高次な存在」というイメージにもそぐわない。
 このモスマンの電話シーンは全く余計なのだ。このシーンがなければ、ギアの言うように、「現実存在の問題」を提起する哲学的な映画になったかもしれないが・・・。

 

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
(マガジンID:0000136378)

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