[超映画分析]



マトリックス リローデッド
 
 「象徴」からの解読

erodance.jpg (10794 bytes)
5分以上も続くエロダンス・シーンの意味は?


第2弾 テーマからの考察 ザイオン・エロダンスの謎?

 「リローデッド」の中で最も退屈なシーン、それはおそらく延々と5分以上も続くザイオンでの、エロダンス・シーンであろう。そして、ダンス・シーンとカットバックで描かれる、ネオとトリニティの性交シーン。その他にも、過剰な性描写の多さに、首をかしげた人も多いだろう。さて、このザイオンのエロダンス・シーンは、なぜこんなに長いのか? そしてどんな意味が隠されているというのか?

 映画は単純に見るに限る。
 劇中で、長い時間をとって描かれる描写の意味は単純である。
 それは、重要だから。
 そして、それが何度も繰り返される理由は? 
 それは、テーマに関わるからである。
 この観点から見ると、
・ネオとトリニティがいちゃつくシーンが多すぎる
・リンクの妻ズィーも欲求不満で、ほとんどザイオンに戻らないリンクを非難し、別な船に変わるように切望する。
・メロヴィンジアンは、性欲三昧の生活を送っている。
・パーセフォニーが、ただのキスと引き換えに重要な秘密を教えた

 以上の、描写の理由が、非常に明確なものとなる。
kiss.jpg (11562 bytes)

 

『マトリックス』のテーマとは?
 マトリックスは仮想現実だった。我々観客は、どれが現実で、どれが仮想現実なのか、混乱させられる。アーキテクトの言葉によれば、現実世界とされていたザイオンも、仮想現実なのかもしれない。
 現実と仮想世界のあいまいさ。例えば、インターネットの世界に没入して現実感を失った人々や、現実の世界にリアリティを感じられなくなり、社会との関係性を拒否して引きこもる若者。
 「現実とは何か?」
 「リアルな現実とは何か?」

 この問題提起は、「マトリックス」のテーマの一つとなっている。そして、答えはもうすでに描かれている。
 愛こそがリアル。そして、感情こそがリアルなのだと。
 「感情こそがリアル」、これは実に当たり前のこと。人間は自分の感情のおもむくままに生きるのが幸せのはずだが、ほとんどの人は社会の奴隷に成り下がっている。特に、日本では、自分の感情を殺して、組織や社会の和を保つことが美徳とされている。
 いじめによる自殺。リストラによる自殺。リストラされても、いじめにあっても、「心だけでも完全に自由な自分」が存在していれば、自殺する理由にはならないはずだ。「社会的存在」としての自分が100%になっているから、社会から拒絶されたときに、生存理由は0%になってしまう。
 言い換えれば、「個と公」の問題と言ってもいい。
 「トリニティの救出」と「ザイオンの再建」のどちらかを選ぶ。
 これは、「個」と「公」のどちらを選ぶのか? という選択に、そのまま置き換えられる。
 いうまでもなく、「公」よりも「個」の方が大切ということ。
 自分の感情、自分の選択、自分の判断の重要性。

 「我、思うゆえに我あり」
  デカルトの哲学の第一原理である。
 「マトリックス」の第一原理は、
 「我、愛するゆえに我あり
ということになろう。

 
 マトリックスの全てを牛耳るアーキテクトですら、ネオのトリニティに対する愛情に影響を及ぼすことはできない。ザイオンの現実世界でも、マトリックスの仮想現実でも、愛することだけが、唯一の自由なのである。



mervingian.jpg (14706 bytes)
性欲過剰の男
メロヴィンジアン


zee.jpg (14661 bytes)
リンクの帰りを待つ
欲求不満のズィー

 さて、「マトリックス」のテーマを理解したところで、ザイオンのエロダンスの意味について、もう一度考えてみよう。
 地下の洞窟世界、ザイオンに閉じ込められた人々。彼らに物理的な自由はない。彼らに許されているのは、愛し合う自由だけ。心の自由だけである。
 ザイオンのダンス、すなわち「性」を通して、自らの「生」を実感する。愛することで、生きていること、現実のリアリティを再確認。その生の再確認が、ザイオンのダンスである。
 逆に言うと、「性」を通してしか、彼らは「生」を実感ではない。つまり、「生」の渇望は「性」の渇望であり、ズィーやパーセフォニーの欲求不満の描写につながる。

kanki.jpg (23007 bytes)
性=生の喜び

 

パーセフォニーがネオのキスを要求した理由
 メロヴィンジアンの妻パーセフォニーは、ネオとのキスを引き換えに、キーメーカーの居場所を教えた。その理由は、彼の夫メロヴィンジアンが自分をかえりみずに、浮気に明け暮れているから。すなわち、彼女の嫉妬心、そして復讐がその理由と理解される。
 テーマ的な観点から見れば、もう一つの理由が見える。
 メロヴィンジアンもパーセフォニーも、古いマトリックス時代からのはぐれプロクラムである。プログラムですら、「生」を実感せずにはマトリックス世界で生きていけないようだ。
 メロヴィンジアンの性欲過剰ぶりは、そのアイデンティの確認。パーセフォニーのキスの要求も同じである。
 現実と非現実のあいまいなこの映画の世界で、リアルな自分を感じるために、「愛」は不可欠ということ。
 

persephone.jpg (14065 bytes)
欲求不満の妻
パーセフォニー

ザイオンは仮想現実か?
 アーキテクトの言葉の解釈の仕方では、ザイオンも仮想現実に過ぎないかもしれない。しかし、テーマ的視点から見ると「ザイオン=仮想現実」は、ありえないと思う。
 なぜなら、『マトリックス』のテーマは、「感情こそがリアル」「愛こそが全て」。
 そのテーマを象徴したのが、ザイオンのエロダンス・シーンだった。
 もし、ザイオンが仮想現実だとすると、このテーマは全く反対のものとなる。
 「愛は幻」「愛は偽り」「愛など本当は存在しない」
 そうなると、ネオのトリニティ救済の扉を選択した行為自体が、無意味なものとなる。 『リローデッド』で描かれたテーマが完全否定されてしまう。
 さすがに、これはありえないだろう。

第3弾 アーキテクトとは何者か?