「ソウ SAW」の謎を解きます。  この不可解な映画の全ての謎を・・・。
 

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「ソウ完全解読」全文はコチラからダウンロードできます

「ソウ」の完全解読

 以下の記事は、メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」で配信しました、映画「ソウ」の解読を一部加筆修正のうえ、転載したものです。

「ソウ」完全解読特別号

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       シカゴ発 映画の精神医学

           
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「ソウ」完全解読特別号●VOL.1   2004年11月7日発行   
            
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          2019部
  発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html
   
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        <警告>         <警告>           <警告>

 この号には、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 

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    【 目 次 】
■1 はじめに
■2 素直な感想
■3 完全なる解読     第1弾 「ソウ」解読のための前提
■4 「ソウ」で学ぶ医学知識   足を切断すると失血死するのか? 
■5 簡単な解読          タイトル「SAW」の意味
■6 最後に
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■1  はじめに
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 おまたせしました。
 「ソウ」完全解読のホームページから、登録されたかたは、待ちに待っていたでしょう。
 ご期待にそえる解読をお届けできると思います。
 最初、3号くらいで十分だと思っていましたが、書いているうちに4号分くらいの
ボリュームに膨らんでいます。週2号くらいのペースで配信予定ですから、必ず最後まで
お読みください。

 最後に、すごいドンデン返しがあるかも・・・。

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■2  素直な感想
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 まず、解読を始める前に、私の「ソウ」に対する素直な感想を書いておきましょう。
 
 冒頭の脱出不能のシャワー室におかれた二人の男。
 そして、ゲームが始まる。
 なんて、凄い設定なんだろう。そこに驚く。

 そして、展開は回想を交えて、複雑を極めて、広がりを見せていく。
 とにかく、緊迫した展開。
 手に汗握るとは、このことだろう。
 
 これだけ最後まで一気に駆け抜けるという映画も珍しい。
 そして、監督のジェームズ・ワンと脚本(兼アダム役)リー・ワネルの映画にかける
情熱がビンビン伝わってくる。映画好きが作った、映画ファンのための映画である。
 
 そのためか、映画を見慣れていない人には、多少わかりずらいとも思うが、全ての映画が説明過多の「タイタニック」のようになってしまっても困るので、こうした
「映画ファンのための映画」を見られたことは、大変幸せに思う。

 「ソウ」に対する批判もかなり出ているが、たいていは映画からの情報をきちんと
受け止めていないことに起因していると思う。
 この私の完全解読を最後までお読みいただければ、この映画に含まれる情報量の多さが、他の映画に比べてとんでもなく多いこと。穴だらけと言われ脚本が、実に緻密に構築されていることを理解するだろう。

  ゴードンとアダムの間にあった死体が、ジグソウだったというオチに対して、
「唐突過ぎる」「それを支持する描写はない」という指摘もあるが、どうだろうか。

 私は、映画開始直後。
 ゴードンが自分の名前を名乗り、「私は医者だ」と言った瞬間に、
「犯人は、彼の患者だな」と思った。
 私は精神科医だが、医者が患者から恨まれる、というのはよくあることだからピンときた。

 それに、真ん中の死体。この死体に関して何の説明もない。
 この映画に登場した全ての人物については、詳しい説明がなされているのに、この自殺死体に関しては、全く説明がない。これは、おかしすぎる。どうみても、この事件と関係ないわけはなく、事件の重要なカギを握っているとしか思えない。

 ゴードンが自分の足を切り、アダムを撃つ。映画のクライマックス。
 私はこの瞬間、心の中で絶叫した。

 「まさか、死体の説明が全くなしで映画が終わるんじゃないだろうな!!」

 その瞬間、この死体がおもむろに起き上がった。
 「やっぱり、そうか」
 「よかった、よかった」
 「そうじゃないと、いけませんよ」
 「そうこないと、脚本が破綻しちゃうよ・・・」
 
 「意外」というよりは、「ホッとした」というところ。むしろ「必然」である。

 ただ、このジグソウが、この映画に出ていた唯一のゴードンの患者、ジョンであったことには、ど肝を抜かされた。
 犯人がゴードンの患者だと、そこまで気付いていたのに・・・悔しい。
 楽しい悔しさである。

 生理的嫌悪感は残るものの、映画としての衝撃度はすさまじいものがある。
 凄い映画を見てしまったな・・・。

 私の中では、この映画に対する疑問は全くなく、矛盾も何一つない。
 このメルマガ「映画の精神医学」で、分析したり説明したりするようなネタが、全然
なくてガッカリしたほどだ。

 しかし帰宅して、「ソウ」の掲示板を見て驚いた。
 ラストシーンはどうなの?
 あのシーンはどうなの?
 あそこが、おかしくないか?

 疑問と矛盾指摘のオンパレードだ。
 そんなに説明されてないか?

 だいたい、劇中で過不足なく説明されていると思うが・・・。
 
 私の中では何の疑問もないわかりやすい映画で、本来細かいところなどつつかずに、素直にジェットコースター的展開を楽しむべき映画であることは百も承知だが、自分の映画への理解不足を棚に上げて、「ソウ」の批判を繰り広げる人もたくさんいるようなので、放っておくこともできない。
 
 ということで、この「ソウ」完全解読特別号を発刊することにしたわけである。

 ちなみに、私は「ソウ」は一回しか見ていない。
 一部、セリフを聞き逃した部分があるので、明日もう一回見に行こうと思っているが、解読という意味では一回見れば十分だろう。


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■3    完全なる解読  第1弾 「ソウ」解読のための前提条件
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 この「完全なる解読」は、この特別号の最も核となるコーナーです。
 「ソウ」のテーマ。「ソウ」の骨格。「ソウ」の屋台骨となる部分に関する解読で
す。まあ、じっくりとお読みください。 


■ 解読の前提 
 〜 ゴードンとアダムの判断と行動が矛盾だらけの理由 〜

 「ソウ」の掲示板が盛り上がっている。
 特に、英語の掲示板は、かなりの盛り上がりだ。
 
「二人が真ん中の死体に気付かないのはおかしい」
「アダムがテレコをたぐり寄せた時に、死体は死後硬直していなかった。
医者であるゴードンが、それを見逃すのはおかしい」
「死体からは大量の血が流れていた。それが本物の血でなかったとすると、外科医
であるゴードンが本物の血の匂いと区別できなかったのはおかしい」
「どうせ足を切るなら、制限時間がオーバーする前に切れば良かった」
「ゴードンは毒入りのタバコをすわせて早くゲームセットすべきだった」
 このように、好き勝手にいろんなことが書かれている。

 ゴードンとアダムの判断と行動に矛盾が多い
 →(だから) 「ソウ」はダメな映画

 こういう論理を展開している人が極めて多い。
 しかし、この論理展開は、誤りである。
 基本的に、「ソウ」を誤解している。

 ゴードンとアダムの判断と行動に矛盾が多い
 →(だから) 「ソウ」はすばらしい映画

  と考えるべきだろう。


■ 限界状況におかれた人間の心理

 「ソウ」の最大のおみしろさは何だろう?
 それは、死に瀕した恐怖と不安に支配された限界状況の人間の心理が描かれていることである。
 
 鎖につながれて身動きが取れない。ジグソウに殺されるかもしれない、ゴードンとアダム。
 末期癌で余命いくばくもない犯人のジグソウ。
 毒を飲まされて、解毒剤をもらわないと死ぬゼップ。
 ゼップに銃を突きつけられ、恐怖におののくゴードンの妻子。

 直接の死の恐怖にとらわれていないのは、ダーニー・グローバー演じるタップ刑事だけだが、彼が最も狂気の中にあるようにも思える。コンビを組んでいた新米警官のシンが、彼の目の前で死ぬ。
 ジグソウに対する怒りと復讐心。そして、シンを救えなかった自分に対する強い自責の念。
 タップ刑事は「シンの死」にとりつかれており、その意味においては、他の登場人
物と同様に「死の恐怖と不安に追い詰められた限界状況」にいると言って良い。

 さて、このように「ソウ」に登場する人物は、全て限界状況の異常な心理におかれている。
 
 これに関しては、反論する人はいないだろう。
 冷静で論理的に判断、行動できた人間は一人として登場していない。

 ジクソウは冷静だったと言う人はいるかもしれないが、彼の心理に関しては、別に詳しく考察する。

 わかりやすく言おう。

 登場人物全員が、イッちゃってるということだ。

 狂気の中にいるということだ。


■ 限界状況の人間が正常な判断ができるのか?

 さて、そうした何時間後に死ぬかもしれないという状況において、人間は沈着冷静な判断と行動ができるのだろうか?

 できるはずがない。

 普通の人間であれば、思考停止してもおかしくない。
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」のように、ただ絶叫するだけ。
 それが、普通の対応であろう。

 私は精神科医として不安状態の患者さんを山ほど見てきているが、不安な人というのは何も考えられない。
 例えば、そうした人に「入院した方が良いですよ」と説得するのだが、「ええ、ど
うしよう、どうしよう」「どうしたらいいんだろう」と、何十分も同じことを言い続けている。
 私との会話も、トンチンカンで成立していない。
 自分がどういう状態にあって、入院しないと命の危険すらあることも理解できない。それが「不安状態」である。

 自分のおかれた状況を冷静に分析し、もっともベストな行動を選択する。
 できっこないだろう。
 不可能である。

 我々観客は、映画館の安全なイスに座って、死に行く人々を<人ごと>のように最前列から観察している。そして、恐怖に直面した状況でも、行動に矛盾があると、それはおかしいと厳しく指摘する。

 まさに、ジグソウと同じだ。 
 死の恐怖にさいなまれたゲームの参加者に、冷静な思考・判断とベストな行動を要求するジグソウと。 

 ゴードンやアダムに、「もっと頭を使え」というのは、あまりにも残酷だ。
 そうじゃないか?

 もっと、ゴードンやアダムの気持ちを考えてみよう。
 人物に共感してみよう。
 
 最初、真っ暗闇からスタートするというのも重要だ。

 目が覚めた、真っ暗闇。そして、記憶喪失である。
 自分がどこにいるかも分らない。
 足には鎖があって、自由が利かない。
 ゴードンは真っ暗闇の中で、意識がさめてしばらくその暗闇の恐怖におかれていた。アダムは、あやうく溺死しそうになっていたのだ。

 そして、電気をつける。
 カセットテープを再生する。

 六時までに何とかしないと、死ぬという。
 
 この状況で、沈着冷静に周囲を観察し、最善の行動がとれるのか?
 
 あなたには、それができるのか?


■ 行動の矛盾があるからこそリアル

 私に言わせれば、彼らはこの異常な状況の中で、十分すぎるほどベストな判断をしている。ある程度の推理も働かせているし、ゼップが事件に関与していることも突き止める。
 普通の人間なら、そこまでたどりつかないだろう。

 ゴードンやアダムが「××すればよかった」という指摘は、ナンセンスである。
 彼らのおかれた、「死の恐怖と不安に追い詰められた限界状況」を全く理解していない、検討はずれな批判である。映画自体を楽しんでいない、ということだ。

 彼らの判断や行動に矛盾がある。それこそが、彼らが極度の不安におかれていた描写そのものであり、リアリティなのである。
 もし彼らが、シャーロック・ホームズのように、するどい観察をし、終始冷静に状況
判断し、ベストの行動を選択する。
 そうすれば、「ソウ」はおもしろい映画になったのか?
 
 なるはずかないだろう。
 
 そこには、限界状況の狂気がまったく描かれない。 


■ 狂気と正気の間をただよう究極の人間ドラマ

 アダムは、最初キレている。しかし、ゴードンと話すことで落ち着きをとり戻す。
 そして何とか、正常な思考を回復する。
 一方で、妻子が監禁されている写真を見せられたゴードンは絶叫し、冷静さを失う。携帯電話で妻子の声を聞くシーンも同じだ。
 
 彼らは狂気にさいなまれながらも、必死に正気を取り戻そうとする。
 そして、かろうじて冷静さを取り戻したと思ったら、また狂気に引き戻される。
 「狂気」←→「正気」
 狂気と正気の間で揺れ動く、二人の心理こそが、この「ソウ」の最大の見所である。

 そして、ジクソウのいやらしさは、「正気」に戻ろうとした彼らに、新たな疑心暗
鬼と「狂気」にいたるネタを提供し続けたことだ。
 
 「ソウ」のストーリーには、大きな矛盾やアラがあるかもしれない。
 しかし、それこそが人間の狂気、その狂気のリアリティと表裏一体になっているこ
とを、認識すべきだろう。

 彼らは、狂気の只中にいた。

 そして、ジグソウもまた、例外ではない。
 ジグソウが仕掛けたゲームの内容からは、沈着冷静で頭の良い男にも思える。
 しかし、彼は余命いくばくもない。死の恐怖におびえていたはずだ。
 時間の猶予もないから、計画もあせっていただろう。
 そして、なにしろ脳腫瘍をわずらっているのである。

 彼が完璧な殺人計画を練り、常に正しい判断をする冷静な人間である、と考える根拠はない。
 この計画に穴があっても、計画にいくらかのほころびがあっても、それはむしろ当
然ではないのか?
 リアルなのではないか?

 最初の三つのゲームは、完璧な犯罪にも思える。
 それに比べて、ゴードンとアダムのゲームは、計画に無理とほころびが多い。
 これも、当然だろう。

 ジグソウの命はだんだんと短くなっている。
 死に対する不安と焦りも強まっていたはずだ。
 あと何日生きられるかわからない人間が、冷静な思考と判断ができるのか?
 (ジグソウの余命の期間については、後日考察する)

 彼の冷静さと、明晰は、時間とともに失われていったはずである。
 したがって、ジグウソの最後のゲーム。
 それが多少お粗末なものであっても、それは当然である。

 彼らは、狂気の只中にいた。
 
 それを理解しよう。


■ 結語

 今回は、ここまで。

 何も謎を解決していないぞ!!
 お叱りの言葉が聞こえてきそうだ。

 これらの登場人物の心理状態を理解できれば、あなたの疑問の三分の一は、すでに
解決されたはずだ。
 
 人ごとのように映画を観るのではなく、人物に共感して映画を見よう。
 そうすれば、いろいろなものが見えてくる。  

  「ソウ」は、まず人物の異常な心理状態の描写を楽しもう。
 人物の行動の矛盾を指摘するのは、見当違いだ。
 
 食パンの耳だけ食べて「おいしくない」と文句を言うようなもの。
 一番美味しい、真ん中の部分を、まず食べよう。

 とはいえ、「ソウ」の魅力の一つは、「プロットの意外性」「ストーリーのおもし
ろさ」にあることは疑いない。
 したがって、プロット、物語展開についての、議論が無意味とは言えない。
 いや、そうした議論をしないと納得しない人の方が多いだろう。

 次号からは、「ソウ」の具体的な疑問、問題に対する答を探していこう。


 さて、次号までの宿題。
 自分で考えないで、答だけ読んでいてもおもしろくない。
 次号が到着するまでに、次の疑問に対する答を、あなたなりに用意して欲しい。
 
 ジグソウが、この事件を起こした本当の動機は何か?

 ジグソウが、ゴードンをターゲットに選んだ本当の理由は何か?
 
 今号で紹介した人物の心理。あなたが、各キャラに共感できれば、この謎は解けるはずだが・・・。
 
 制限時間内に、答を見つけられなかった場合は、ゲームは終了となるので悪しからず。
 

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■4   「ソウ」で学ぶ医学知識
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 「ソウ」は、観客にキツイ映画だ。
 確かに説明は少ないかもしれない。
 でも、だからこそ、観客の考える余地が増えて、映画としてはおもしろくなる。

 したがって、「××について説明されていない」のはおかしいという指摘も、おか
しなものだ。
 説明が増えれば増えるほど、ジェットコースターのような疾走感はなくなる。
 「タイタニック」のように、三時間くらいかけて、ジックリ説明して欲しいの? 
 三時間の「ソウ」を見たいの?
 そういう映画が、本当におもしろいの?

 分らないことは、少しは自分で考えよう。
 
 とはいっても、自分でいくら考えてもわからない。
 正しい答には到達できない疑問もある。
 医学的知識に関する問題である。
 医学常識に関しては、人によってかなり差があるようだ。

 「ジョンは力もあって、ずいぶん元気だから、腫瘍は治っていたのではないか」
 「足を切断したゴードンは、すぐに死亡しただろう」 
 など、誤った医学知識に基づいて、誤ったストーリーを予想している人も少なくない。
 
 このコーナーでは、「ソウ」について医学知識を交えながら、いくつかの疑問を解
決する。


┌──────────────┐
  足を切断すると失血死するのか?  
└──────────────┘ 
 
■ 常識による判断は個人差が多い

 ラストシーンの解釈。ゴードンは死んだのか? アダムは死んだのか?
 この、皆さんが一番知りたいと思う謎は、もっと後の号で考える。
 
 それを考える基礎資料として、「足を切断すると失血死するのか?」、
という医学的な問題について説明しておこう。

 なぜなら、ゴードンはシャワー室に放置されるわけだが、あと何時間くらい生き
られるのかということが、ラストシーンの後のストーリー予測をする上で、大切に
なってくるからだ。

 ラストシーンの後のストーリー予測
1 ジグソウは、ゴードンを殺し、その後戻ってきてアダムを殺す。
2 二人をそのまま放置して、死にゆく様子を楽しむジクソウ。
3 妻が警察を呼んで、ゴードンは無事助かる。

 いろんな意見が出ているが、例えば足を切断してすぐに死ぬとすれば、[3]の
仮説は成立しなくなる。また、[1]のようにジグソウが戻ってきて、殺す必要もない。

■ 死ぬか死なないかは、ケース・バイ・ケース

 さて、一般論。足を切断した場合は、死ぬのか死なないのか?
 
 答は、ケース・バイ・ケースだ。

 切断端をきちんと止血しなければ、出血は続く。
 ただ、人間の生命とは不思議なものだ。出血すると血圧が下がる。
 血圧が下がると血が出ずらくなり、止血しやすくなる。
 止血処置をほどこさなくても、自然と血が止まることもあるかもしれない。

 ゴードンがこのまま何日もここから出られなかった場合、たとえ止血したとしても、
創部の感染は避けられない。
 感染症が併発すると、命は非常に危険になってくる。

 
■ゴードンがすぐに失血死しない医学的理由

 一般論でいえば、足を切断したからといって死ぬかどうかは分らない。
 でも、「ソウ」の場合は、このあとゴードンがすぐに死んだかどうかは、明確に
描かれている。
  
 足を切断しても、失血死することはない。
 きちんと、止血処置をすれば。

 ここで思い出して欲しい。ゴードンは外科医だということを。
 ここで、彼が外科医であるという設定が効いてくる。
 彼は精神科医ではないのだ。
 当然、止血処置はお手の物。
 外科の手術。ほとんどの人は見たことがないだろうが、半分以上は「止血」の
作業である。 外科医とは、止血のプロなのである。
 
 ノコで自分の足を切るシーン。
 ゴードンは相当に動転していたが、衣服で切断部をガッチリと縛ってから、切った
ようだ。切断後にゴードンが床を這うシーンでは、床に大量の血が流れ出ていない。つまり、止血されている。
 止血が、映像的にきちんと表現されている。

 真ん中の死体の派手な出血とは対称的である。
  
 以上のことから、ゴードンが足の切断によって、すぐに失血によって死亡するとは
考えらない。

 でも、すぐにって、何時間よ?
 この後、何時間後に病院に行けるのかが、大切になってくる。
 ニ、三時間は全く大丈夫。
 五、六時間でも何とか大丈夫だろう。
 一晩以上たつと、感染の危険によって、命の危険度は急速に高まるだろう。

 さて、医学的な知識によって、「足を切断すると失血死するのか?」という問題に
答えたが、映画の解読は本来映画の描写をもとに、行なうべきである。知識や常識というのは、個人差が大きすぎるので、解釈にブレがでるし、そもそもこんな医学的な知識は、ほとんどの観客は知らないわけであるから。


■ゴードンがすぐに失血死しない映画的理由

 実は、こんな医学知識がなくても、映画の中で、「足の切断によってゴードンはす
ぐに失血死しない」ということは説明されている。
 
 まず、ジクソウが仕掛けたゲームには、生き残るための答が必ず用意されていた、ということ。
 その答というのは、非常に残酷であったり、良心の呵責をともなうわけだ・・・。
 
 ゴードンに対して用意されていた答は、「自分の足をノコで切って、死体の銃を
とって、弾をこめてアダムを撃ち殺す」ということだったはず。

 つまり、これが正しい答だとすれば、それを遂行した場合、彼は生き残れないといけないのである。
 そうでないと、生存のための答にはならないから。

 つまり、「足を切断してもすぐには死なない」という前提がなければ、これはゲー
ムの答として成立しない。
 足を切断してアダムを殺す。その後、助けを呼んで、救急車で運ばれれば、死なないということだ。


■外科医が、死なないと判断している

 さて、ゴードンはなぜ自分の足を切断したのだろううか?
 家族が死んだと思って自暴自棄になったからか?
 違う。
 
 アダムの肩を撃って、ゲームセットを装った。
 つまり何とか、突破口を見つけて、「自分の命が助かる」ために、足を切ったはず
である。
 「生」へのこだわりを持っていた。
 
 そして、「アダムを殺さないで、肩を撃つ」という冷静さは、残されていた。
 つまり、完全な狂気には支配されていなかった。
 
 ゴードンは外科医である。
 彼は、生きるために、自分の足を切った。
 
 つまり、優秀な腫瘍外科医であるゴードンが、自らの医学知識に照らして、「足を
切ってもすぐには死なない」と判断したから、足を切ったということになる。
 彼は極度の混乱状態にはあっただろうが、その程度の判断は別に難しい判断ではなく、外科医として混乱状態の中でも考えられる当然の判断である。

 以上のように、「足を切断してすぐに失血死することはない」ということが、映画
的に二回説明されている。

 何十時間もたたないうちに、助けが来ればゴードンは助かった、ということだ。
 
 これをもとに、ラストシーンの後。
 映画では直接は描かれない本当の結末を、あななたなりに考え直して欲しい。

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■5   簡単な解読  
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 このコーナーでは、「完全解読」というほどのものではなく、誰でもわかるけど、
ひょっとしたら見逃している人がいるかもしれないので、念のための説明しておく、
という程度の考察を紹介する。
 
┌──────────────┐
  タイトル 「SAW」の意味  
└──────────────┘ 
 
 タイトル「SAW」の意味。
 鋭い読者は、説明するまでもなく、おわかりだろう。

 「saw」とは「see(見る)」の過去形。
 つまり「見た」という意味である。

 真ん中の死体が全てを見ていた。
 この死体が、実はジグソウであったことを、暗に示している。
 非常に優れたタイトルである。

  ちなみに、これは映画を見なくてもわかることだ。
 実際私は、映画のストーリーを全く知らなかったが、このタイトルは「見た」とい
う意味をかけていることには気付いた。
 
 なぜなら、タイトルが「The SAW」じゃないから。
 
 英語の原題「SAW」を見て、すぐ「おかしいなあ」と思う。
 「saw」とは鋸の意味だが、英語では加算名詞の前には冠詞を付ける。
 映画のタイトルでも、そうである。
 「The Village」「The Terminal」「The Cell」のように、「The」
がついている方が普通だ。
 だから、「The  Saw」となるのが普通なのだが、ソウなっていない。
 それは、理由があるから。
 すなわち、この「SAW」が名詞でないということである。
 つまり、動詞だから、「see」の過去形「saw」ではないのか? 
 と、映画を見る前にわかる。

 だから、死体が起き上がった瞬間に、
「タイトルのSAWは、そういうことだったのか」と気付くおもしろさがあるわけだ。
 
 たがら、日本のタイトルも、「ソウ」じゃなくて、「SAW」のままにして欲しい。
 「SAW」を読めない人って、いないでしょう。
 中学校の英語で習うわけだし。

 それでも、「sawは鋸の意味で、seeの過去形というのはこじつけだ」という書き込
みには、笑った。
 そこまで疑い深い人のために、二つ証拠を追加しておこう。

 アメリカのテレビ版の予告編。
 一番最後に、タイトルが読まれる。お約束だ。
 そこで、なんといっているかと言うと、"See, Saw."と言っているのだ。
 「見る、見た」である。
 テレビの予告編で、万人に向けて、「SAW」は「見た」という意味ですよ、という
ことを強調している。

 さらに、ワン監督自身が、「SAWはSEEの過去形のSAWのこと。観てもらえば意味が分かってもらえると思います」と言っているから、間違いない。
 
 映画のタイトルに複数の意味が隠されていることは、よくあることだ。
 この「SAW」は、「鋸」「見た」以外の意味はないのか?
 
 まず、犯人のニックネーム「ジグソウ (jigsaw)」の「SAW」である。
 「ジグソウ」とは、言うまでもなく「ジグゾーパズル (jigsaw puzzle)」のジグソウである。
 この映画自体が、最初は真っ白(真っ白なシャワー室)から始まり、ジグソウパズ
ルを組み立てるように、少しずつ謎が解けていく。
 最後に、「真ん中の死体」という一ピースを入れて、パズルが完成する「ゲーム」
に例えているのだ。

 そしてもうひとつ重要なのは、「ジグソーパズル (jigsaw puzzle)」には、
「困難な状況」という意味があること。
 ジグソウは、被害者を「困難な状況」に置き去りにするゲームを行なっていた。
 そこにも、かかってくる。

 「SAW」には、「シーソー(seesaw)」という意味もあるだろう。
 なぜなら、テレビ予告編で「シーソー」と言っているわけだから、間違いない。
 日本のオフィシャル・ページにも書いてある。
 刻一刻と立場が逆転するする「シーソーゲーム」にかけているわけだ。

 また、「sawbones」という単語があって、その意味は「医者、外科医」である。
 ゴードンは最後に鋸で自分の足(足の骨)を切る。
 彼が外科医(sawbones)であるという皮肉だ。

 以上のように、「SAW」というタイトルには、五つ以上の意味が隠されているとい
うことになる。
 これだけ見ても「ソウ」が、良く考え抜かれて作られた映画であることは、理解い
ただけるだろう。

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       シカゴ発 映画の精神医学
          
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「ソウ」完全解読特別号●VOL.2   2004年11月11日発行  
   
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          2154部
  発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html
   
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        <警告>         <警告>           <警告>

 この号は、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 

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    【 目 次 】
■1 はじめに
■2 映画の文法
■3 完全なる解読     第2弾 ジョンとゴードンの全て
■4 「ソウ」で学ぶ医学知識  ジョンの脳腫瘍と癌患者の心理  
■5 簡単な解読          登場人物の名前は語る  
■6 「ソウ」解読の手助けとなる資料
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■1  はじめに
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 「ソウ」二回目観てきました。
 目からウロコですなあ。
 本当に、良くできた映画です。
 第一号で配信した内容の細かい部分が、若干間違っていましたがご容赦ください。
 例 ゴードンが「私は外科医だ」と言った 
 → 「私は医者だ」といって、後でアダムに「外科医か?」と聞かれて、そうだと
答えている。

 今号からは、描写についてかなり正確になっていると思います。
 
 今号は、癌患者ジョンの全て。そして、ジョンとゴードンの関係に絞って、考察します。

 あと、反論がある人もいるかもしれませんが、反論は最終号まで読んでからお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2  映画の文法 
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 今号から、細かい謎解きに入っていく。
 しかし、その前に映画の文法について、少し学んでおこう。
 映画とは映像言語である。我々の日常言語とは、多少異なる。
 
 例えば画面が暗転する。時間が前に戻って、昔の出来事が紹介される。
 先日見た「ザ・グラッジ」(「呪怨」アメリカ版)では、何度も使われていた。
 画面に、何年何月とか出てないぞ!! と文句は言えない。
 「暗転=回想導入」というのは、映画の文法である。

 それを無視すると、映画がよくわからなくなる。
 だから、映画を見るとき、解釈する時は、映画の文法に従って見なくてはいけない。

 映画作家が映画の文法にのっとって映画を作っている以上、観客もそれにのっとって映画を見るべきである。
 そうでないと、自分勝手な間違った解釈に陥る。
 
 とはいえ、「映画の文法」をうまくきちんとまとまめられた本というのは、ほとんど
出ていない。映画ファンが経験則として知っているだけなので、映画初心者はそんな文法など知らずに、路頭に迷うのだ。

 今回、「ソウ」の解釈で不可欠な、いくつかの文法、解釈方法を紹介しょう。
 これを基本にして見返せば、「ソウ」の大部分はスッキリと理解できるはずである。


■ 映画の文法1  例の法則 「一度あることは、二度ある」

 映画の重要な原則がある。
 それは、映画で一度説明されたことは、変更が示されない限り、その原則が貫かれるということだ。

 例えば、「アイ、ロボット」。
 ファースト・シーン。スプーナーのロボットに対する不信が印象的に描かれる。
 つまり、「スプーナー=ロボット不信」という標識が提示された。
 観客はこの標識に従って、運転していかなくてはいけない。
 
 しかし最後には、スプーナーとサニーの間で友情が生まれる。
 「スプーナー=ロボット不信」の標識は、覆された。
 観客の基本認識を180度変えなくてはいけない。
 
 そのためには、観客にわかりやすく「スプーナーとサニーの間で友情が生まれました」という描写を周到に描く必要があり、実際映画ではそれをやっている。

 「スプーナーは、ロボット嫌いを装っているけど、本当は好きなんじゃないか?」
 それは、観客の勝手な解釈である。
 ファーストシーンの「ロボット嫌い」描写を忘れている。
 あくまでも、「スプーナーがロボット好き」になる明確な理由、根拠が示されるま
では、「スプーナーはロボット嫌い」として理解するのが、映画の約束である。

 ここに10キロの長い道路がある。
 最初に「時速50キロ」の速度制限の標識が出た。その後は、標識がない。
 その場合は、ずっと最後まで「時速50キロ」で走りなさい、というのが映画の約束
である。
 そして、「時速40キロ」に変える場合は、「必ず」標識が出るのである。
 出ない場合は、「時速50キロ」ということ。

 だから、実生活とは少し考え方が異なる。
 実生活だと、しばらく速度標識がないと、「まあいいか」と好きな速度で走ってしまう。
  
 観客は忘れっぽいもので、半分くらい過ぎたところで、映画の序盤に提示されていた標識を忘れ去り、自分の勝手な解釈を始める。
 そうすると、映画の道筋から、どんどん外れていくのである。

 二度あることは、三度ある。有名なことわざである。
 
 映画では、「一度あることは、二度ある」である。
 本当であれば、同じことを二回描写して三回目はどうなりますか? というのが親切。 もちろん、同じ結果になるということ。

 しかし、映画は二時間弱と短い。二回例を出す暇がない。
 したがって、一例を出して、類似のシュチエーションがある場合、同じように解釈
してください、というのが「例」の法則である。
 したがって、たった一回の「例」しか示されていなくても、二回目は、その「例」
に従って解釈する必要があるのである。

 二回目が、一回目の「例」に反するからおもしろいという場合もある。 
 その場合は、セリフや映像で、一回目のパターンとは反対に解釈せよと、明確に示される。示さなくてはいけない。
 そう示されない限り、一回目の「例」を守りなさい、ということである。


■ 映画の解釈法1 常識で判断するな 劇中描写で判断しろ
  
  「明確なセリフ、映像>映像>常識」の法則。

<1> 第一級証拠

 例えば、冒頭にゴードンは言う「私は医者だ」。
 こうしたセリフによる直接の説明がある以上、それは決定的な映画的事実と考えられる。


 明確な映像というのは、例えばアダムを雇っていた男。
 カメラはハッキリと映して出す。タップ(ダニー・グローバー)の姿を。
 この映像にはセリフはない。しかし観客は判断する。
 「アダムを雇っていたのは、タップだった」と。

 これに関して、「これはタップの双子の弟である」とか「首を切られた別の黒人の男である」という解釈は、ナンセンスである。
 そんなことを言い出したらキリがないのだ。
 映画的には、「アダムを雇っていたのは、タップだった」と説明したと理解すべき
である。
 
 こうした、明確な映画的説明は、映画の議論の場合には第一級証拠となる。
 裁判で言えば、物的証拠である。

<2> 第二級証拠
 
 二つ目に重要となるのが、あまり明確ではない映像である。不確定な映像や描写である。同じ映像を見ても、10人が10人とも、同じ解釈をするとは限らない。
 そういう意味で、「不確定」なのである。

 たとえば、「ゼップは、監禁に協力しないで、病院に行って解毒してもらうべき
だった」という指摘がある。
 これに関しては、映像によって説明されている。
 
 ゼップが、妻アリソンと娘ダイアナに銃を突きつけて、聴診器で心臓の鼓動が早まるのを聞いて悦にいるシーンである。
 私はこれは、ゼップが「監禁を楽しんでいる」と判断した。
 しかし、「病院に行って解毒してもらうべき」と主張する人は、このシーンを
「ゼップが監禁を楽しんでいる」とは、理解しなかったのだろう。

 別にセリフで「監禁は楽しいなあ」と言うわけではない。
 だから、映像から理解しないといけない。

 ただ、確定的、決定的でないという点で、こうした映像証拠は、第二級証拠となる。裁判で言えば、目撃証言のようなものである。

<3> 第三級証拠
 
 掲示板によくある。
 「常識的に考えれば××だ」「一般的には、××したに違いない」
 こうした常識判断は、映画の中に、一級、二級証拠が全く描かれていない場合に、初めて採用されるべき、三級証拠である。
 裁判で言えば、状況証拠である。

 三級証拠は、一級、二級証拠よりもはるかに弱い。したがって、劇中の描写で何らかの説明がある場合は、常識や一般論を登場させるべきではない。

 例えば、いまの例。
 「常識で考えれば、ゼップは監禁に協力しないで、病院に行って解毒してもらうべ
きだろう」
 常識的にはそうだろうが、これは映画である。
 常識の大小を争うために、議論しているわけでもない。
 映画の描写に従って判断するのが、映画の議論の約束である。

 ゼップが「監禁を楽しんでいる」と思わせるシーンがある。
 第二級証拠によって、この理由は説明されているのである。
 したがって、三級証拠である常識が登場する余地はないのだ。

 実は、この理由はセリフによっても説明されている。
 「唯一の解毒剤は私が持っている」と。ジグソウからゼップへのテープである。
 特殊な解毒剤であって、病院に行っても解毒剤はないということである。
 セリフという一級証拠で、しっかり説明されているのである。

 「私なら、病院に行く」
 「普通なら病院へ行くだろう」

 しかし、セリフによる一級証拠。映像による二級証拠の両方で、ゼップが監禁を放棄して病院に行かない理由が描かれている。
 したがって、常識や一般論で、どれほど「病院に行く」という判断が確からしいこ
とを証明しても無意味である。
 これは、映画の解釈であって、現実世界でどうするかを議論しているわけではないのだから。

 映画とは、このように理解し、解釈すべきである。
 まあ、私の個人的意見だが。
 

■ 映画の文法2 すべてのセリフ、描写には意味がある

 全てのセリフと描写には意味がある。
 もし、全く意味がなければ、カットすべてきである。カットされているはずだ。

 映画とは、二時間程度の非常に短いものだ。
 だから、全く意味のないセリフや描写というのは、存在しない。
 意味がないようでも、「間」であったり「余韻」であったり、何らかの意味がある
のだ。
 
 だから、ささいなセリフでも、それによって、何かを表現しようとしているはずで
ある。

 これが映画の考え方である。

 例えば、ジョンは「前頭葉の脳腫瘍」であるという。
 それは、「(ただの)脳腫瘍」ではなく、「側頭葉の脳腫瘍」でもなく「前頭葉の脳
腫瘍」ということである。
 なぜ「前頭葉」なのか? を考えることは、異議あることなのである(この理由
は、後半で説明)。
 

■ 映画の文法3 伏線による説明

 映画や小説には、「伏線」というのがある。
 伏線とは、後に起きる出来事や、人物の行動の原因や動機について、あらかじめ説明しておくことである。

 例えば、映画のクライマックスで、ゴードンは自分の足を切る。
 かなり衝撃的なシーン。普通の人ならやらないだろう。そして、突飛な行動に見える。

 この伏線が、鋸で鎖を切ろうとして切れなかった後に言うゴードンのセリフである。
 「この鋸は鎖を切るためのものではない。足を切るためのものだ」
 
 このセリフによって、後々足を切ることを暗示するとともに、ゴードンの足切りが
唐突な行動にならないようにしている。
 比較的冷静な時に、ゴードンは鋸を足を切るために使う可能性があることを知っていた、と説明されているのだから。

 「常識で言えば、足を切るなんてことはしない」
 常識判断で言えばこうなるかもしれないが、映画的にはこの伏線によって、すでに説明責任は果たしているのである。つまり、セリフによる伏線という第一級証拠によって説明しているということである。
  
 「足を切る」という非常識が、この映画世界では伏線によって「必然」に転化して
いるのである。


■ 映画の解釈法2 結果から原因を推定せよ

「アダムと見識のないジョンが、アダムの前で特殊メイクをとるのはおかしい。
 メイクをとるのなら、面識のあるゴードンの前で、とるべきだ。」 
 こんな指摘もある。
 
 これに限らず、「××はおかしい」というタイプの指摘、批判が掲示板には、山の
ようにあふれているが、こうした指摘の全てがそもそもおかしい。

 例えば、こんな場合はどうだろう。
 「イラクへの介入で失敗したブッシュが大統領に再選されるのはおかしい。
 だから、本当に選挙勝ったのは、ケリーのはずである。」

 「何と、バカなことを言う奴がいるもんだ」と、思うはずである。
 大統領選挙の結果、ブッシュが勝ったのは事実である。
 その事実に疑門を持つのはよい。
 だからといって、その事実を受け入れないのはおかしいだろう。

 普通の人はこう考えるはずだ。
 「イラクへの介入で失敗したブッシュが大統領に再選されるのはおかしい。
 しかし、ブッシュが圧勝したのは事実だ。その理由は、何だろう? 軍需産業の影
響力が強く、意外と戦争支持者がいるのかもしれない。あるいは、何か他の理由があるのかも・・・。」

 「疑問→事実の拒否」ではなく、「疑問→その理由を考える」はずである。

 映画の場合も、同様に考えるべきだ。。
 ジクゾウがアダムの前でマスクをとったのは、映画的事実である。
 だから、「なぜ、ジグソウが、ゴードンではなくアダムの前でマスクをとったか?」
を考えるべきたろう。
 
 「映画的な矛盾→ダメな映画」ではなく、
 「映画的な矛盾→その謎に隠された本当の秘密」を探るべきなのである。

 映画に対する基本的な構え、思考法が間違っているのであり、そういう見方をする人に、正しいラストシーンは決して見えない。


■ 映画の文法の重要性

 基本的に映画をどう解釈しようが、個人の自由である。
 だから、どんな突拍子もない解釈も、「あり」だ。
 それは、それで良いと思うし、私はどんな解釈も否定しない。

 しかし、プロの評論家がマスコミというメディアを使って発表したり、一個人で
あっても掲示板に書き込んだり、あるいは監督や脚本を批判するのであれば、
当然共通の言語で書くべきである。

 つまり、映画について人と対話する場合は、最低限の映画の文法にもとずかないと、議論のしようがないということだ。
 話がかみ合わない。
 映画の文法を無視した議論は、日本語の掲示板にロシア語で反論を書き込みするようなものである。
 それってどう思う?
 場違いであるばかりか、誰も理解してくれず、さらには大変迷惑である。

 とはいえ、映画の文法をきちんとまとめた本というのは、ほとんど存在していない。
 我々が、日本語の文法をきちんと理解しなくても日本語が喋れてしまうように、
無意識に理解しているわけだ。映画ファンは。
  
 このメルマガを購読しているみなさんは、是非この「映画の文法」を理解して欲しい。
 
 そうすれば、映画が何倍もわかりやすくなる。
 そして、映画が、何倍も面白くなる。

 もちろん、「ソウ」に限らず、全ての映画が・・・。

 チャンスがあれば、「映画の文法」をまとめた本でも出版したいが・・・。


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■3    完全なる解読  第2弾 ジョンとゴードンの全て
─────────────────────────────────

 さて、「映画の文法」の基礎を学んだ我々は、ようやく映画の解読をする準備が
整った。
 
 さて、前号の宿題。
 
 皆さん、自分で考えましたか。

「泣ける映画で人生のヒントを学ぼう!」
http://www.mag2.com/m/0000136562.htm
のHIROさんから、お答えをいただきましたので紹介しましょう。

>1問目 ジグソウが、この事件を起こした本当の動機は何か?

答え:自分は死にたくない。生きられるのに命を粗末にするなんて、許せないっ!
   おまえらも、うんと苦しめて道連れだ。

>2問目  ジグソウが、ゴードンをターゲットに選んだ本当の理由は何か?
 
答え:自分を助けることも出来ず、モルモットにしやがって。医者としての態度にも
文句がある。
    「不条理な病気」に対する怒りの対象のすりかえとして、選ばれた。

 おそらく、みなさんの多くもこんな感じでしょうか。
 ほとんどの人が、ここまで理解できれば、変な批判も出ないのでしょうが。

 さて、考察を開始しましょう。
 
 
■ なぜ、ジグソウはゴードン医師をターゲットに選んだのか?

 ジグソウから、ゴードンへのテープ。
 そこには、ゴードンが「いつも死の宣告をしている」ことが、理由であると語られ
ている。もしそうだとすれば、全ての医者がターゲットになってしまう。
 これだけでは、殺人の動機としては不十分だ。
 ただ、ゴードンの「死の宣告」に関することが、ゴードンが選ばれた理由だと明言
している。

 ジグソウは、ゴードンのペンライトを二番目のゲームの現場に残した。
 そして、三番目のゲームの鍵を飲まされた男はオピエイト(麻薬鎮痛剤)を射たれていた。腫瘍専門医にとっては、毎日使う日常的な薬である。

 これらは、ゴードンに疑いをかける陰謀である。
 実際に、一瞬映る新聞記事には「ジグソウ事件で医師に疑い 著明な腫瘍専門医と連続殺人の関係」と書かれており、ゴードンが容疑者として報道されている。
 つまり、二番目のゲーム(焼死したマーク)の時点では、既にゴードンをターゲットと
して選んでいた、と考えられる。

 そして、タップがジグソウの隠れ家に侵入したときに、シャワー室のミニチュア模
型がおかれていた。 
 ジグソウは、かなり前からゴードンをゲームの餌食にするということを決めていた
ということだ。
 いや、ゴードンをターゲットにするために、ゴードンにゲームをさせることが、ジ
グソウの最終目標であったのだろう。普通は、そう考える。

 ジグソウ(ジョン)とゴードンの接点は、劇中では一シーンしかない。
 ゴードンがレジデント(研修医)に、ジョンの腫瘍のレントゲン写真を説明するシー
ンである。
 
 つまりこのシーンに、ジグソウがゴードン医師をターゲットに選んだ理由、すなわ
ちゴードンに恨みをいだく理由が描かれているはずである。

 さて、ここまで言ってまだわからない人がいれば、それは共感がたりない。
 ジョン(ジグソウ)への共感である。

 ゴードンは、レジテントに向かって、淡々と病気の説明を始める。
 この患者は、脳腫瘍患者で結腸が原発巣である。この患者は・・・・。この患者は
・・・・。
 あたかも、「物」でも扱うかのように、「患者」「患者」と繰り返す。

 それを聞いていてカチンときたゼップは言った。

 「彼の名前は、ジョンですよ。とてもおもしろい奴ですよ」と。

  いいから黙っていろよ、とでもいうかのようなウザイ表情をしたゴードンは、
ゼップを退けて説明をする。
 「この患者は・・・」と反省する様子は全くない。
 このシーンで、ゴードンは合計6回「この患者(the patient)」という言葉を使って
いる。

 なぜ、ゼップは間から、余計な口をはさんだのか?
 それは、患者を人間として扱わないゴードンの言い方にカチンときたから。
 だから、ゼップの「とてもおもしろい奴(very interesting person)ですよ」とい
う言葉が効いてくる。
 彼は「人間」なんですよ。我々と同じ。
 もっと、「患者」を「人間」として扱ってくださいよ。
 
 ゼップはそう伝えたかったはずだが、ゴードンは露骨にいやな顔をする。

 ゴードンは、「患者」という呼び方を変えようとせず、むしろ逆に、「患者」にア
クセントを置いて、ゼップに反発するのである。
 ゴードンは、ジョンが寝ていて、聞いていないだろうと思っただろうが、ジョンは
起きて聞いていた。
 ラストのネタ明かしのシーンで、ベッドに横たわるジョンが薄目を開けていた一
カットがインサートされている。
 これが、ジョン(ジグソウ)がゴードンをターゲットに選んだ理由である。

 あなたは、末期癌患者です。
 あなたの主治医があなたの目の前で、「この患者は脳腫瘍だから、今は元気だけど、もう先は長くないんだよね」と、言っていたら・・・。
 「患者」「患者」と非人格的な「物」として扱っていたとしたら?
 ショックを受けるでしょう? もっと配慮して欲しいと思うでしょう?

 実際、こういう医者は多い。特に外科医に。
 
 医者たるもの、患者さんに対する態度には、十分な配慮をすべきでしょう。
 私も、肝に銘じておきます。
 
 ゴードンには、患者さんに対する配慮がなさ過ぎた。


■ ジョンの「死の宣告」

「このゴードンとジョンのシーンでは、すでに第二のゲームが起きていたじゃないか
? 第一のゲームから、ジグソウがゴードンをターゲットに選んでいたとしたら、因果関係の順序がおかしいぞ。」

 こんな指摘もあるだろう。
 だから、テープでは言っている。
 「死の宣告」が重要であると。 

 ジョンは、これより前にゴードンから、死の宣告を受けているはずだ。
 病状の説明を。
 「あなたは、脳腫瘍で余命は長くありません」といったことを説明されたはずである。 あるいは、結腸癌の時からずっとかかっていのかもしれない。
 
 ゴードンが、ジョンに癌の告知をする様子を想像して欲しい。
 機械的、事務的。そして患者を物扱いにした、非人間的な説明であったに違いない。 その根拠は、「例」の法則。
 一例を挙げれば、他も同じ。

 ジョンと対面して病状説明をしたときは、とても親切で、患者への配慮にあふれた
説明だった。
 はずかないだろう。
  
 テープのジグソウは言う。「毎日毎日、死の宣告をしている」こと。
 腫瘍外科医が、死の宣告をするのは仕事だから当然だ。
 それ自体を責めているわけではない。
 そのやり方が、患者さんの気持ちを配慮した、患者さんの立場に基づいた告知であるかどうが重要である。
 
 自分は、もう長くは生きられない。死の恐怖に直面し、おびえている。
 恐ろしくて不安でしょうがない。
 しかし、この男は医師でありながら、患者の気持ちなど理解しちゃいない。
 人を「物」のように扱いやがる。
 死の恐怖など全く知りもしない。
 ひどい医者だ。
 死に至る恐怖を教えてやろうじゃないか・・・。
 
 「死の宣告」を受けたジョン。その瞬間に、主治医ゴードンに対する殺意が芽生えた。

 ジグソウの目的は、被害者を殺すことにはない。
 死の恐怖に直面させ、命の大切さを教えるということにある。


■ じゃあ、ゴードンだけを殺せば?
  
「それじゃあ、最初からゴードンだけをターゲットにして、第一のゲームの犠牲者を
ゴードンにすればよかったじゃないか?」

 確かにそうかもしれない。
 でも、ジグソウはそうしなかった。
 その理由を考えよう。

 ジグソウの事件は、新聞で大きく取り上げられていた(タップ刑事の部屋の新聞切り抜きから)。これだけのセンセーショナルな事件であるから、マスコミがとびつく
のは当然である。

 ジョンは、末期癌で余命いくばくもない。
 非常に孤独でさびしい。
 彼は、「自分の気持ちを理解して欲しい」と思ったに違いない。
 その根拠は、自分の気持ちを理解しないゴードンに腹を立てたからである。

 当然、ゴ−ドンだけでなく、他の人間にも理解して欲しいと思うだろう。
 さらに、「例」の法則。
 ジョンは命の大切さを理解しないゴードンに対して怒りを感じた。
 他の「命の大切さを理解しない人」に対しても、怒りを抱いただろう、と。
 

■ ジョンの心理 躁的防衛

 ジョンは、ゴードン以外の命を粗末にする人間を裁きたかったし、社会に対しても
命の大切さを訴えなければ、と誇大的になっていた。
 ゴードンは自分を、裁きの神であるかのように捉えていた可能性がある。
 自分が神であるという錯覚。自己肥大と誇大性。
 これらは、躁症状として理解できる。
 躁とは、うつの反対で、精神的に活発すぎる状態である。
 
 末期癌患者の場合は、「うつ」を示す患者が多いが、場合によっては「うつ」の反
対の「躁」を示すこともありえる。
 そして、躁状態になることで、自我を完全な絶望から保護すること。にぎやかに、
明るく、能動的に振る舞うことで、内心の不安や怒りを隠すような行動を、躁的防衛という。
 
 例えば、あなたが彼氏にふられてしまい、とても悲しいとする。死にたいくらい悲
しいとする。心の中はどん底なのに、それを隠すように、バカ陽気にふるまうことは
ないだろうか?
 酒飲んで、カラオケに行ってバカ騒ぎをする。思いっきりしてしまうという。
 これも、広い意味での躁的防衛に含まれるでしょう。

 「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカも、躁的防衛である。
 彼女はいつも明るく、そして強気に振舞っていた。
 その理由は、自分の母親の自殺のショックを誤魔化すための、躁的防衛だったのである。
 
 躁的防衛は普通の人にも見られる。
 しかし、その心因(精神的ストレス)が深く大きいほど、躁の跳ね返りも大きい。

 もう数ヶ月で死ぬしかないジョン。
 その彼は、世間に「命の大切さを教える」という使命感で、絶望の奈落に落ちないように、何とか防御していたということである。

「俺が社会に対して命の大切さを教えてやる」
「俺がゴードンを成敗してやる」

 もちろん、その手段は誉めらたものではないが、心理としては了解可能である。

  
■ 結語

1問目 ジグソウが、この事件を起こした動機は何か?

 「命の大切さ」を、「ゴードン」と「命を粗末にする者」と「社会」に教えること。
 それを通して、自分の「死に至る恐怖と不安」を理解して欲しかったから。


2問目  ジグソウが、ゴードンをターゲットに選んだ本当の理由は何か?

 患者を「人」と思わない「物」あつかいするゴードンに思い知らせるため、


 なんだ、HIROさんの回答と同じですな(笑)。

 実はこの答は、50%しかあっていない。
 その理由は、次号以降を読めばわかる。

 ということで、次回までの宿題。
 
 「ソウ」における、もう一つの重要なテーマとは何でしょう。
 映画で何度も繰り返される重要なテーマです。

 思慮深い読者にとっては、今回の分析は何のサプライズもなかったかもしれません。 しかし、足元からかためていかないと。
 幹から始めないと枝葉に到達できない。
 ある人にとっては、「当然」である今回の考察も、「えっ、そうだったのか」と
思って読んでいる人も結構いるはずです。

 誰も気付かなかった驚愕のラストシーンへ向けて、一歩ずつ進んでまいりましょう。
 
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■4   ソウで学ぶ医学知識
─────────────────────────────────

 上記の考察だけでは、「完全解読」というわりにはたいしたことないな」という人
がいるに違いありません。
 それに、このメルマガは「映画の精神医学」。人間の心理について学ぶメルマガですから、そうした視点について、もっと深めておきましょう。

┌─────────────┐
  ジョンの脳腫瘍と癌患者の心理        
└─────────────┘ 

■ 脳転移の患者は、どれだけ生きられるのか?

 ジグソウは、ゴードンの病院の癌患者ジョンだった。
 ゴードンは説明する。結腸癌の脳転移であると。
 
 このセリフは、何を意味しているのか?
 
「末期癌で、長く生きられない。」

 そう理解した人は正解である。

 でも、長くって、どのくらい?
 
 一年生きるのと、2、3ヶ月の命では、ストーリーの理解も変わってくるだろう。

 一般的な脳転移でいえば、無治療の場合には、平均生存期間は1-2カ月。
 放射線治療などの治療を行なっても、3-6カ月の命である。
http://plaza.umin.ac.jp/~radiotherapy/protocol/brain/brain.htm
 つまり、数ヶ月の命ということである。

 すなわち、ジョンは脳転移と診断された時点から、数ヶ月の命である。

 もう一つ重要なのは、彼は「結腸癌」の脳転移だったということ。
 これが意味することは、「完全に手遅れ」。
 
 脳転移しやすい癌としては、肺癌がある。
 肺からの血流が心臓を通って脳に到達する。肺と脳は、血液の通り道的に、非常に近い臓器なのである。
 したがって、肺癌が脳転移した場合には、他の臓器には転移していないことも多い。

 しかし、結腸というのは、脳からとても遠い。
 結腸の癌細胞が脳に到達するためには、全身を回らなくてはいけない。
 つまり、結腸癌が脳転移しているということは、全身に癌細胞がちらばっていると
いうこと。
 治療しても、全く意味がない。したがって、放射線療法や化学療法の適応にはならない。ほとんど、末期も末期のひどい状態、ということ。 
 だから、ジョンは必ず死ぬ。

 そして、余命数ヶ月というのが重要。
 
 別に警察につかまっても怖いことはない。裁判が終わるまでに死んでしまう。
 恐れるものなど、何もないのだ。
 自暴自棄になってもおかしくない。

 これが「あと三年」の命だったら、犯罪にあけくれることはなかっただろう。
 ジグソウの犯罪動機を考える上で、重要な事実である。

 ジョンは、ゴードンから癌の告知を受けてから、ジグソウになった(はずだ)。
 最低四人を巻き込む事件(ゲーム)を起こしている。
 結構、道具などに凝ったこった仕掛けを準備しているので、若干の準備期間も必要だろう。劇中では、ゴードンが回想する時に「5ヶ月前」の事件と言っている。

 癌の脳ヘの転移といっても、病理組織型によっても進行の速度は違う。
 半年生きる人もいるし、一年生きる人もいないわけではない。
 「5ヶ月」という期間は、長いほうだと思われるが、ありえない期間ではない。
 
 確かなのは、ジョンの命は、もうほとんど残っていない。
 いつ死んでもおかしくない状態、ということである。


■ ジグソウは元気だったか?

「ジョンは力もあるし、元気そうだった。それがすぐに死ぬということなどありえるか?」

 元気だった?
 
 でも、元気でない描写もある。
 ゴードンへのテープメッセージの中で、ジグソウは思いっきり咳き込んでいる。
 シャワー室を出るシーンの歩き方が変だ。
 歩行障害が現れているので、脳腫瘍はかなりひどいのだろう。
 
 私は精神科医だが、末期癌患者のカウセリングをすることも多い。
 きちんと歩いて散歩していた患者さん。
 ニ、三日して会いに行くと、亡くなっていたということは、よくある。
 末期癌では、一見元気そうでも、一気に悪化して、たちまち亡くなる。  

 ジョンはシャワー室を出て行った。
 彼は数日後か、数週間後には、死亡したと考えるべきだろう。 


■前頭葉腫瘍が意味すること

 もう一つ気になるのは、ジョンが前頭葉の脳腫瘍だったということ。
 「前頭葉」という言葉を出す必要はないのに、映画では出ている。
 つまり、それによって何かを表現しようという作家の意図がある。
 
 前頭葉とは、外界の情報を整理し組み立て判断する機能を有する。
 人間らしさ,人間としての心、人格、自我、意識などが、前頭葉の機能と考えられ
ている。

 実は、異常犯罪と前頭葉の関係性が指摘されている。
 連続殺人犯などの脳を調べると、前頭葉に何らかの異常がある場合が多い
というのだ。
 
 もっと、詳しく知りたい人は、
 「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の“秘密”」
http://www.kabasawa.jp/eiga/page/book4.htm
 を読んでみるとよい。

 したがって、ジョンがジグソーになった理由。
 第1義的には、前述したように、ゴードンに対する恨みということである。
 しかし、「前頭葉の障害」という、器質的な要因も原因の一つとして、提示されて
いるということだ。
 つまり、腫瘍前は犯罪などを犯すような人でなかったかもしれない、ということに
なる。

 脳腫瘍の症状の一つとして、性格変化、感情変化などが起きることは事実である。
 ジョンは単なる性格異常者、異常犯罪者ではなかったかもしれない。
 そんな、ジョンの悲哀をプラスする描写なのかもしれない。


■ 入院中にゲームを仕掛けることは不可能?

「入院中のジョンが、病院を抜け出して、犯罪を犯して、また病院に戻る。
 それを繰り返す。そんなことは、無理だ。」

 ゴードンがジョンのレントゲン写真を説明するシーンは、二回目のゲームの起きた次の日である。
 刑事がゴードンの昨晩のアリバイを聞いているので、事件は前の晩である。
 確かに、入院していれば無理だろう。
 可燃性ジェルを敷き詰めたり、犯人を拉致したりと、共犯者がいればべつだが、
一人では相当大変そうだ。
 準備だけでも何時間かかるのだろうか? 
  
 しかし、ジョンがずっと入院していたと、どこがで説明されていただろうか?

 ジョンは病院のベッドに寝ていただけである。
 このシーンを良く見よう。

 ジョンが寝ていた部屋。
 この部屋には、シャーカステン(X線写真を見るための白く光る装置)があった。
 患者の病室に、シャーカステンはないのだ。
 シャーカステンは、診察室にある。
 ここは、外来の診察室である。

 入院患者なら、検査が終わった後は、入院中の自分のベッドに戻るはずだ。
 しかし、戻っていないで、外来のベッドで休んでいたということは、入院していな
い外来患者なのである。

 彼は病衣をきていたように見えたが?
 これは検査着だろう。

 つまり彼は入院していたのではなく、画像検査を受けるために病院に来て、その説明を受けるまで、ベッドで休んで待っていたのではないか?
 
 ゼップとジョンは、顔見知りであった。
 どこで知り合ったのか?
 入院していなくても、病院に通院中の患者さんなら、病院のスタッフと親しくなる
ということはよくある。

 映像証拠は、ジョンが入院していなかったと説明している。

■ 末期癌なのに入院していないのか?

 末期癌患者なのに入院していないの?
 末期癌患者だから、入院にならないのである。
 
 日本人の常識でいうと、「末期癌患者は病院にずっと入院しいるだろう」と思う。
 それは、正しい。

 しかし、これはアメリカ映画である。(監督、脚本はオーストラリア人だが)
 アメリカでの平均入院日数というのは、1週間程度である。
 1996年のデータだが、平均在院日数は、日本の33.5日に対して、アメリカは7.8日
である。アメリカで1ヶ月以上入院するというのは、よっぽどの重症患者じゃないと、
ありえない。
 あるいは、医療費がバカ高いので、長期の入院費は払えないという事態も起きる。
  
 脳転移に関しては、放射線療法や化学療法はほとんど効果はない。
 結腸癌の脳転移であるジョンの場合は、おそらく治療適応にはならない。
 即、帰宅である。
 一般論でいえば、患者が希望すれば、ホスピスへの入所ということはありえるかもしれないが・・・。
 
 したがって、彼は入院中ではなく、この日たまたま検査に来たということで、全て
説明できる。
 

■ 癌患者の心理

 「映画の精神医学」なので、心理学的な話も入れなくてはいけない。
 この映画をきっかけに、末期癌患者の心理について、少し勉強しておこう。

 癌患者の心理の研究としては、精神科医キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」が有名である。
 1960年代に200人もの癌患者をカウンセリングし、その経験と観察から、癌患者の心理をまとめた本である。
 古典である。精神医学の世界では、超有名な本だ。
 興味のある人は、是非読んで欲しい。
http://www.kabasawa.jp/eiga/page/book4.htm

 ロスによると、癌患者は癌告知されたあと、否認・怒り・取引・うつ・受容のプロ
セスをとるという。
 簡単に説明しょう。

 まず最初に、自分が癌であることを否認する。
 つまり、「自分が癌になるはずがない」とか「この医者は誤診しているに違いな
い」という感情が生まれる。
 しかし実際、癌であることが確からしいということになると、認めざるを得なくなる。
 
 そして、「怒り」の段階に入る。自分だけが死ななければならないことに対する怒
りや、生き続ける健康な人々ヘの羨望、恨みなどのさまざまな気持ちが現れる。

 次に、「取引」の段階。これは「交換条件」のようなもので、神仏や超自然な力
に対して何らかのお願いをして約束を結ぶ。例えば「病気が治るならば、自分の財産を寄付してもよい」といった考えである。

 しかしこのようにあがいていみても、体調はおもわしくなく、癌であること、自分
の行く先が長くないことを実感せざるを得ない。そうすると、気分が落ち込み
「うつ」的になる。

 しかし、そうした心の揺れ動きの中で、最終的には死を「受容」し、安らかに死ん
で行く。

 これは、全ての患者がこの五段階を順番にたどるということではなく、あくまでも
モデルである。
 ある患者は、「怒り」を前面に出すかもしれないし、別な患者は「うつ」の後すぐ
に「受容」するかもしれない。

 ここまで読めば鋭い人は、これはジョンの心理に当てはまると気付くだろう。

 癌患者はその経過中に、自分が癌になった責任を他人におしつける傾向がある。
 つまり、「この医者がヤブだから、癌の発見が遅れたのではないか?」と考えた
り、「きちんとした治療をしなかったから、癌が広がったったに違いない」と癌に
なった責任を人に転嫁しやすいいということだ。
 
 ましてゴードンは、ジョンを「患者」という「物」のように扱った。
 まさに、渡りに船である。

 「この医者のせいで」「こんな医者のせいで・・・」
 ジョンのゴードンに対する過剰な「怒り」の反応は、癌患者の心理にてらして、全
く妥当なものである。


 ■ 「ソウ」は黒澤の「生きる」である
 
 「ソウ」は、黒澤明監督の「生きる」である。
 余命いくばくもない病気と宣告される。
 残りの人生の貴重な時間を何に費やすのか?

 今までの自分(志村喬)は、人のために何もしてこなかったのではないか?
 志村喬は、公園の造成に勢力を燃やした。
 公園造成に命をかけることで、自分の生きる意味を問うたわけだ。
 そして、それをつかんだ。彼は、豊かな気持ちで往生したであろう。

 これは心理学的に見れば、ロスの「取引」に当たる。
 「公園造成」という社会奉仕と引き換えに、「心の安定」「充実感」を手に入れよ
うという取引。
 あるいは、社会奉仕活動に専念することで、「死の恐怖」や「絶望からの解放」を
手に入れようという取引である。

 実は、「ソウ」は「生きる」である。

 ジョンは、末期癌であり、余命いくばくもないことを知る。
 彼は孤独だ。彼の死の恐怖など、誰も理解してくれはしない。
 そして、ゴードンは彼をバカにする。彼に対する「怒り」がわいてくる。
 
 自分の残りの人生をどうすればいいのか?
 何か、やらなくては。
 
 ジグソウは、生きるていることの大切さを人々に訴えようという、活動を行なった
わけだ。
 「生の大切さを人に伝える」という社会奉仕活動を行なうことで、自らの死の不安
をごまかし、心の安定を手に入れようとした。すなわち、「取引」の過程である。
 
 もちろん、その方法は「公園造成」とは全く反対の「生きるか死ぬかのゲーム」で
あり、犯罪である。
 誉められたことではないが、ゲームへの情熱が彼の生きるエネルギーとなり、それによって不安や恐怖を紛らわしていたことは、間違いないだろう。


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■5    簡単な解読
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┌─────────────┐
  登場人物の名前は語る     
└─────────────┘ 
 
 映画の人物の名前に、何らかの意味が隠されている場合は少なくない。
 だから、映画を見る時は、なぜその名前がつけられているのか?
 それを少し考えてみると、意外な事実がわかることがある。
 「ソウ」も例外ではない。

■ ゴードン医師

 ゴードン医師。彼の名前は、ローレンス・ゴードン(Lawrence Gordon)。
 でも、ローレンス・ゴードンって聞いたことない?
 映画ファンであれば聞いたことがあるはず。

 ローレンス・ゴードンとは、ハリウッドの大物プーロデューサー。
 「ダイ・ハード」「48時間」「トゥームレイダー」などのヒット作を作る有名プロ
デューサーである。
 「ソウ」のワン監督と脚本のリー・ワネルは、相当の映画ファンである。
 映画好きの、彼らがローレンス・ゴードンを知らないはずがない。

 「ソウ」は、ローレンス・ゴードンがひどいめにあう映画。

 彼らは、ローレンス・ゴードンが嫌いなのか?
 ローレンス・ゴードンといえば、代表的なハリウッドの娯楽映画をプロデュースし
ている。
 そうしてた、ハリウッド的なものへの反抗心、対抗心が、彼らにはあるのかもしれ
ない。
 
■ タップ刑事とシン刑事

 ジグソウを追う、二人の刑事タップとシン。
 つづりで書くと分りやすい。
 Tap と Singである。
 説明するまでもないでだろう。
 タップ(Tapp)ダンスと歌(Sing)である。
 二人は、切っても切り離せない。
 密接な関係だった、ということの象徴である。


「ソウ完全解読」全文はコチラからダウンロードできます

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       シカゴ発 映画の精神医学

           
 
●「ソウ」完全解読特別号●VOL3   2004年11月16日発行    
           
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          2264部
  発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html
   
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<警告>         <警告>           <警告>

 この号は「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 

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    【 目 次 】
■1 はじめに
■2 映画の文法     「映画がよりおもしろくなる解釈は正しい」
■3 完全なる解読    第3弾  ゼップの全て 
■4 「ソウ」で学ぶ医学知識  毒について
■5  読者の「ソウ」の凄い解読 ゼップ共犯説
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■1  はじめに
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 発行予定より、1日遅れました。すいません。
 何ぶん長いもので、細かい直しが大変です。
 
 結局、「ソウ」3回目を見に行きました。
 
 その時、ビデオ撮影している人がいました。
 明らかに違法ですが、堂々とやっていました。
 我々と同じで、細かいをところチェックしたいのでしょうね。

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■2  映画の文法 
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■ 映画の解釈法3  映画がよりおもしろくなる解釈は正しい
 
 「ソウ」は、非常よくできた作品だと思う。
 この映画に存在する唯一の矛盾を指摘すれば、映画の後半でゴードンとアダムが
口論した時、横たわるアダムの横に「二本のタバコ」が見られることだ。

 この時点で、アダムに一本タバコを投げた後なので、「二本のタバコ」はおかしい。

 そんな指摘も出そうだが、まだこのネタは掲示板では見たことがない。

 普通に考えれば、製作スタッフの単純ミス。
 一本タバコを片付け忘れていた・・・という。
 ブルーパー(映画のヘマ)と呼ばれるものだ。

 しかし、ものは見方だ。
 
 ジグソウは、メッセージに二本のタバコを入れたとは書いていない。
 箱の奥の方に、もう一本タバコが入っていた。
 そう考えても、おかしくはない。

 では、なぜ三本のタバコが入っていたのか?
 
 一人一本ずつ吸うためだ。
 
 ゴードンとアダム、そして・・・。
 
 ジョン(ジクゾウ)だ。
 
 三本のタバコは、この部屋に三人の生きている人間がいることを示していた。
 そして、「わかりずらいところに入っていたタバコ」というのは、
「わかりずらいところに、もう一人いる」という暗示である。

 いかがたろうか?
 私が考えた、コジつけである。
 しかし、おもしろい。

 「タバコは三本あった。最初二本しかなかったのにおかしい。『ソウ』はディテー
ルが徹底していないダメな映画である。」
 「タバコは三本あった。実は、この些細な小道具によって、死体の男が生きていることを暗示していた」

 あなたはどちらの解釈が好きか?
 否定的な解釈よりも、好意的な解釈の方が、映画を楽しくするのである。

 だから、同じものを見た場合、いずれも根拠のない解釈だった場合は、よりおもし
い解釈の方が、皆が楽しくなってハッピーである。つまり、より良い解釈とすべきだ。

 これは、私の意見だが、同じお金を払っている以上、「映画をより楽しむべき」というのは、映画ファンの基本姿勢であろう。

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■3    完全なる解読  第3弾 ゼップの全て  
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■ ゼップはなぜ、病院にて行って解毒剤をもらわなかったかのか?

 ゼップは監禁している暇があれば、病院へ行って解毒剤の投与を受けるべきだ。
 
 こういう指摘が多い。
 
 前号で少し解説したが、もうちょっと補足しておく。

 この疑問には、セリフ(一級証拠)で説明されている。
 ジクソウから、ゼップへのメッセージテープの中である。
 「解毒剤は私だけが持っている」と言っている。
 特別な解毒剤で、一般的な解毒剤では効かないことが暗示されている。
 
 そして、聴診器でゴードンの妻子をもてあそぶシーンでは、ゼップが監禁を楽しん
でいる様子が描写される。

 これで十分だろう。
 
 まだ、納得しない?
 じゃあ、もう少し証拠を出そう。


■ ゼップの性格は?
 
 そもそも、なぜジグソウは、ゼップにゲームの手伝いをさせたのか?
 家族を監禁して、場合によって殺害する。
 かなり、大変な任務である。

 その任務を果たしてくれるなら、ゼツプでなくてもいい。
 誰でも良いはずだ。

 しかし、ジグソウはゼップを選んだ。
 その理由は、ゼップがジグソウが考え付く人間の中で、最も適任だったからだろう。
 
 すなわち、ゼップがホイホイと逃げ出すような男なら、ジグソウは最初からゼップ
を選ばない。
 ジグソウは、ゼップは逃げ出さずに、任務を遂行すると考えていた。  

 ゼップの性格描写というのは少ないが、私の見た感じでは、ちょっと頭の悪い、パシリ・キャラのように感じられた。
 ゴードンがレジデントに説明する場面。
 いくら、ゴードンが「患者」という言葉を連発し、それに腹を立てたからといって、
あの場面で会話に割って入るのは場違いである。
 周囲の状況を読めない人間。あなたの周りにもいるでしょう。
 少なくとも、自分の置かれた状況を客観的に分析することができる男ではない、
という性格描写はできているだろう。
 その後、ゴードンに「余計なことを言わないで引っ込んでろ」という表情をされる
と、すぐに言いなりになってしまう。

 なぜ、パシリはメロンパンを買って来いと命令されると、言われるままに買ってく
るのか。
 それを拒否すればいいじゃないか? 
 あるいは、先生に言いつければいいではないか? 
 でも、パシリ君はそれをしない。
 その理由は、それができない性格だから。 

 ゼップの場合も同じである。
 人によっては、ゼップと同じ状況におかれた場合、確かに警察や病院に駆け込む人もいるだろう。
 しかし、ジクソウはゼップがパシリ・キャラであって、強い脅しに嫌とは言えない性格であることを見抜いていた。
 だから、ゼップを片棒担ぎのターゲットに選んだのだろう。

 ゼップの性格は、短いシーンの中で、過不足なく描かれている。


■ ゼップはゴードンに対して、恨みを抱いていた

 もう一つ、ゼップに関して重要なことがある。
 ゼップはゴードン医師に対して、恨みを抱いていたのではないか、と思われる。
 理由は、ゴードンがゼップをバカにしたような態度であしらっていたからだ。

 「例」の法則によって、これは映画で描かれた一度きりの出来事であるはずがな
く、ゴードンはいつもゼップをバカにして、邪魔者扱いしていたと考えるべきだ。
 ゼップも、普段とても従順な男で、医師にたてつくことは決してないが、ジョンの
時だけが例外中の例外だった、とは考えないのが、「例」の法則である。

 あまり、場違いな発言をしたゼップだが、その後はゴードンに言葉や態度で反論するわけでもない。
 ゼップのストレスは、少しずつではあるか、蓄積していたであろう。

 ゴードン医師の妻子の監禁と殺害。
 ゼップは、ゴードン医師に復讐できる良いチャンスだとすら、思ったのではないか?

 最後に、死体に扮していたジョンが動き出すまで、観客はジグソウはゼップだと
思っていたはずだ。
 つまり、ゴードンに対して何らかの恨みを持っていただろうと、矛盾なく理解した
からこそ、「ゼップ=ジグソウ」説を受け入れた。
 
 ゼップ、ジョン、ゴードンの三人が登場する短いワンシーン。
 その中で、ゼップの性格とゼップがゴードンに恨みを抱いていたこと。
 そして、この二つの事実を、ジョン(ジグソウ)が把握していたことが、きちんと描
写されている。


■ ゼップのコンプレックス

 もう一つ。深層心理的な考察。
 ゼップは、監禁した妻子に、聴診器をあてて楽しんでいた。
 これは、ゴードンの家ににあった聴診器だろう。
 普段使えない聴診器を、このときとばかり使おうという。
 
 このシーンは、心理学的に見て大変興味深い。

 医療職ではなく、単なる小間使いにすぎないゼップは、医者という職業に対して羨望を抱いていただろう。
 自分が医療職でないから、バカにされるんだというコンプレックである。
 実は、医療現場ではよくあることである。
 そのコンプレックが、この聴診器に集約されている。
 
 普段は決して使えない聴診器を、この監禁に乗じて使ってやれ。
 自分が医者になるということは不可能だが、「聴診器を使う」ということでその
願望を代償しているのである。

 この聴診器のシーンは、見事に象徴している。
 彼が「医者」であるゴードンに引け目を感じ、憎んでいたことを。 
 
 これらの描写から、ゼップが楽しい「監禁」と「復讐」を途中放棄して、病院へ行く
はずがない。

 
■ ゼップは毒を飲まされていない

 ゲームに参加しないと、毒で死ぬぞ、と脅されていたゼップ。

 でもだいたにして、効果発現時間を数時間単位で厳密にコントロールできる毒薬なんてものが存在するのか?
 私は聞いたことがない。
 
 遅効性のカプセルなどにしても、種々の条件によって溶解時間は変わってくるだろうから、最悪の場合、ゲーム終了前に毒が効いてしまう可能性はゼロにはならない。

 ジグソウが一番困るのは、ゲーム終了前にゼップの毒が効くことだ。
 なぜなら、ジグソウがゼップを脅した目的は、ゴードンがアダムを殺さなかった時
には、妻子を殺すということ。
 つまり、ゼップに毒が早く効いてしまって、家族を殺せなかったとすれば、
何のためにゼップを準備したのか? ということになる。 
 彼を計画に参加させた意味が全くなくなり、ゲーム自体が全て失敗となる。

 それは、ジグソウが一番困る。
 このゴードンとのゲームに、ジグソウは余命の全てをかけてきたのだ。
 それがパーになる。

 この一番困る事態を回避するためには、どうすれば良いか?
 毒を飲ませないことである。
 
 だいたいにして、ゼップに毒を飲ます必要などゼロである。
 ジグソウの目的は、ゼップがこの計画に協力すること。そして、裏切らないこと。
 それさえ守られれば、本物の毒であろうが、偽物の毒であろうが、関係ない。
 
 ジグソウにとっては、ゼップを殺さなければならない理由は描かれていない。
 むしろ、ゼップはジョンの擁護者であったわけだから。
 
 したがって、状況から考えて、ゼップが本当の毒を飲まされる必然性はない。
 

■ 「直接殺さない」ジグソーが毒を飲ますのか?

 こんなことで、納得してはいけない。
 これは、あくまでも状況証拠にもとずく推論である。
 映画の解釈は、映画を根拠にして行なうべきである。 

 ゼップは毒を飲まされていない。

 これを支持する映画的な根拠が二つある。

 一つは劇中の描写である。

 ジグソウは直接は殺さない。この大原則があった。
 自分のミスやゲームへの失敗で死亡させる。あるいは、他人に殺させる。

 ジグソウはゼップに毒を飲ませた。すぐには効かないけど、結局ゼップが死んだ
ら、直接殺したことにならないだろうか?
 計画に協力すれば、助けでやる。確かに、助かるかどうかは、ゼップの判断しだい。
 でも、彼が直接に毒薬を飲ませたなら、それって直接殺している、ってことじゃな
いのか?

 ジグソウの「直接殺さない」のポリシーに反する。

 ただ、ドリル男のドリルのスイッチを入れたのは、ジグソウなので、どこまでが
「直接的」で、どこまでが「間接的」なのかは微妙なところ。

 もっと、確実な証拠が必要だ。


■ 「エスケープ・フロム・LA」の引用
 
 言うことを聞け。お前に、既に毒を飲ませた。
 言うことを聞かないと死ぬぞ。
 任務を完了したら、解毒剤をやる。

 これは、ジョン・カーペンター監督の「エスケープ・フロム・LA」の引用である。
 カーペンターのファンであれば、すぐに気付いただろう。 

 とはいっても、普通の人は、こんなB級映画は見ていない。
 ストーリーを説明しておこう。

 伝説のアウトロー、スネークは監獄と化したLAから、大統領の娘が持ち出した国家防衛機密の奪還を依頼される。スネークは、それを断る。しかし、スネークは神経破壊ウィルスを注射される。10時間以内に任務を遂行しなければ、ウィルスにより死亡するという。 任務が成功すれば、解毒剤を射ってもらえる。
 しょうがなく、スネークは任務へ赴く。そして、任務は成功。
 そして、解毒剤の注射を求める。
 しかし、ウィルスというのは真っ赤な嘘だった。
 任務が失敗しても、スネークは死ぬことはなかった。
 まんまと騙された、というオチである。

 さらに、この「エスケープ・フロム・LA」は、同じくカーペンター監督の
「ニューヨーク1997」のセルフパロディになっている。
 「ニューヨーク1997」では、監獄島と化したNYマンハッタン島に不時着した大統領
を救出する任務が与えられる。
 それを拒否するスネークは、首に注射を打たれる。超小型の時限爆弾である。
 24時間以内に大統領を救出しないと、頚動脈が吹き飛んで即死するという。
 大統領を救出して戻ってくれば、時限爆弾を解除するという。
 スネークは、ギリギリのところでタイムアウトしてしまう。
 しかし、爆弾は爆発しない。
 結局、爆弾の話は嘘だったのである。

 スネークは二度も騙されて、踊らされたのである。超ヤリ手のスネークが。
 これは、ジョン・カーペンターのファンであれば、誰でも知っている話である。

 そして、「ソウ」のワン監督は、最も影響を受けた監督の一人として、ジョン・
カーペンターの名前を挙げている。

 どうみても、ゼップの毒の話は、カーペンターの引用である。
 そして、二度とも、毒でも爆弾でもなかったというオチがついている。

 三度目は、どうか?

 ゼップの毒は、本物だっただろうか?

 本物のはずがない。
 
 カーペンターの引用なのだから、オチも引用しているはずである。
 そうじゃないなら、カーペンターを引用する意味はなくなる。

 このラストシーンのめまぐるしい種明かしの中では、毒が本当だったかどうかな
ど説明不能。
 だいたいにして、ゼップは死んでいるので、その種明かしは無意味である。
 
 映画では直接は説明されない。
 しかし、カーペンターファンには通じる。

 「ああ、これは本当は毒じゃないんだよね」と。
 カーペンターファンだけに、通じる言語で描かれているのである。

 そこが、映画作家であり、熱狂的な映画ファンであるワン監督らしい。
 とっても、しゃれた仕掛けなのだ。


■ ゼップはなぜ、シャワー室に戻ったのか?

 ゼップはなぜ、シャワー室に戻ったのか?
 タイムアップして、死の危機に瀕したため、解毒剤をもらおうと、あわててジグソウのいるシャワー室に戻った。
 
 これが多くの人の考える回答。
 しかし、これは間違いだろう。
 少なくとも、第一の理由ではない。

 シャワー室で寝ている死体がジグソウであるとは、ゼップは知らないはずである。知っているなら、すぐに「解毒剤をくれ」というはず。

 あるいは、解毒剤を探す行動を真っ先にとるはずである。
 シャワー室に入ってきたゼップが、まずとった行動は何か?
 
 倒れているアダムを蹴飛ばして、死んでいるか確認する。

 そして、ゴードンに銃をむけて射とうとした。

 ゼップはなぜ、シャワー室に戻ったのか?
 この理由は、このゼップの行動が明確に説明している。

 ゴトーンに銃を向けたゼップは、言う。
 「もう手遅れだ。」「これはルールだ」
 
 そして、引き金を引こうとする。
 明らかに、ゴードンを殺そうとしていた。
 
 しかし、蘇ったアダムに後ろから石で殴られ、ゼップは殺されてしまう。


■ ゼップが妻子殺害を安易に放棄した理由

「ゼップが、妻子の殺害を安易にあきらめてしまった。
 なんと、情けない男。」
 
 もともと、情けないバカな男として描かれてはいる。
 しかし、二人を探し出して殺さないと解毒剤をもらえないから、もう少し執拗に妻
子を探してもよかったはずだ。

 しかし、ゼップは「アリソン」と「ダイアナ」の名前を呼んだだけで、すぐに諦めて、
シャワー室へ全速力で車を飛ばす。
 
 この理由も説明されている。
 ゼップは、ゴードンを殺すために、シャワー室に戻ったのである。
 
 最終的にゴードンを殺すのであれば、妻子を何が何でも殺さなくてはいけない、
ということはなかろう。
 
 妻子はいない。まあ、ゴードン本人を殺すんだからいいか・・・。
 タップが自分を狙っているあの状況で、ベストの判断ではないが、そう悪くない判
断である。


■ 「ルール」とは?
 
 「これはルールだ」
 この「ルール」とは何だったのか?

 ジクソウから、ゼップへのメッセージテープに出てくる。
 「自分の命を救うために、妻と子供を殺せ。ただし、ルールがある・・・」
 と、肝心なところで、アダムはテープの再生をとめる。

 「ルール」の内容はわからない。
 だから、推測するしかない。
 
 ゼップに与えられた命令は、「ゴードンが時間内にアダムを殺さなかった場合は、
妻子を殺すこと」だけではなかった。
 もう一つ、追加指令が与えられていたということだ。

 アリソンにナイフで足を刺されたゼップは、起き上がって妻子を探すが見つからない。 次の瞬間、あわてて、シャワー室へと車を走らせる。

 つまり、これは諦めたのではなく、ゼップが追加指令である「ルール」を実行する
ために、シャワー室に向かったのである。
 そして、その追加指令とは、妻子の殺害よりも重要であるから、ゼップは妻子の殺害を放棄したのだ。

 そして、そのルールとは・・・。
 ゼップは、ゴードンを明らかに殺そうとしていた。
 ある条件を満たした場合、「ゴードンを殺せ」というのがルールだった、ということ。


■ 最終ルールの内容は何か?

 では、その条件とは何か?
 
 ゼップは「もう、遅すぎる」と言っている。
 何が遅いのか?

 シャワー室に入ったゼップは、アダムが倒れているのを見た。
 多分、ゴードンがアダムを殺したと判断しただろう。
 後ろから、襲われることを全く警戒せず、アダムの鎖の行動圏に入っているから。

 「いまさら、アダムを殺しても遅すぎる」という意味だろう。
 「いまさら、アダムを殺しても遅すぎる」だから、お前を殺す。
 
 つまり、「ゴードンが時間までにアダムを殺さなかった場合は、ゴードンを殺せ」
というのが最終ルールということか・・・。
 これで、ゼップのセリフと行動が、全て合理的に説明される。

 ちなみにこのルールは、ゴードンだけでなくアダムを殺せという命令も含まれていたかもしれないがその辺ははっきりとしない。

 しかし、反論が出るだろう。
 
 ジグソウは、ルールを守る男として描かれていただろう。
 例の法則に従えば、ジグソウはルールを守るはずだ、と。 
 
 ゴードンに生きる道は、残されていたのか、いなかったのか?
 次号に続く。

 解読は、核心部分に突入していく。

  
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■4   ソウで学ぶ医学知識
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■ 解毒は結構難しい

 ゼップはなぜ、病院に行って解毒剤をもらわなかったかのか? 

 映画的な理由は既に説明した。
 
 もし、私がゼップの立場で、自分の命が助かることを第一に優先して判断するのなら、決して病院には駆け込まないだろう。

 ゼップがもし本物の毒を飲まされていて、解毒のために病院に駆け込んでも、
助からない可能性が高い。

 毒薬を解毒するというのは、結構大変なことである。
 
 何の毒薬を飲んだのか? それによって、治療方法が全く変わってくる。
 例えば、酸性の毒物とアルカリ性の毒物では、治療方法が全く反対になる。

 何の毒薬を飲まされたのかがわかっていれば、治療方針はたちまちに決定する。 しかし、毒の種類が分らない場合は、治療は困難を極める。
 つまり、毒の種類がわからないのなら、病院に行っても助かる保障はないのだ。
 
 私も精神科の現場で、睡眠薬などの薬物の大量服薬、洗剤、農薬、硫酸などを飲んで自殺しようとした患者さんをたくさん見てきたので、この辺の事情には詳しい。毒物を飲んだ患者さんが救急に運ばれてきた場合は、まず何をするのか?
 何を飲んだのかを、徹底して調べるのだ。

 家族に家を調べてもらって、薬や毒が残っていないかチェックしてもらう。
 薬であれば、残薬や空の袋などを持ってきてもらう。
 どうしてもなければ、家の中を徹底的に調べて、何かなくなってたりするものがな
いか見てもらったりする。
 何の毒、薬なのかが分らないと、治療のしようがない。
 まず、そこを徹底的に調べる。
 普通は、この段階でわかるので困らない。

 毒物がわからない場合でも、飲んだ毒を出すために胃洗浄をするだろうが、薬を飲んでから何時間もたっていれば胃洗浄は効果がない。
 飲んだものは、胃から小腸へと移動している。


■ 血液検査をすれば毒の種類がわかるか?

 「血液検査をすれば、何の毒かすぐに分かる」というカキコミが見られたが、
これも素人考えはなはだしい。

 通常の病院での血液検査で、数時間以内に血中濃度が測定できる薬物というのは、20種類とか多くても30種類である。
 その程度のものである。それ以外の薬物だと、キット化されていないので、短時間での測定は不能である。
 もちろん、多くの薬物を測定するキットは、臨床用、研究用として売られている
が、取り寄せるのに2-3日かかる。
 だいたい、どの薬を飲んだのかを、大体の予測がついていなければ、血中濃度の測定もできない。

 毒物の特定。
 血液を専門の施設に送って、調べるとわかるのかもしれないが、その場合でも、どういう系統の物質なのかが分らないと、全くゼロから調べないといけない。
 最悪の場合、結果が出るまで1週間以上かかることもありえるただろう。

 だいたいにして、ゼップはピンピンとしているということを考えれば、遅効性
(遅れて効果を発揮する)の毒薬の可能性は考えにくい。薬物の個人差というのは人によって大きいから、9時間で効く人もいれば、3時間で効く人もいるわけだ。
 ゲームセットの前に、ゼップが死んでしまったら、妻子を殺すことができなくなる。
 ゲームが成立せず、大失敗。それは、避けたいだろう。
 
 ありえるとすれば、難溶性のカプセルを使っている可能性だろうか。
 つまり、ある時間がたつと、カプセルが溶けて一気に毒が回るというもの。

 いずれにせよ、ゼップはまだ体内に毒は回っていないと考えた方がよさそう。

 すなわち、この時点で病院に行って血液検査をしても、「完全に正常」という結果
が出るだけなのだ。

 命の危険を及ぼす毒物、薬物は、少なくとも1000以上はある。
 どんな薬物でも大量に飲めばほとんどのものは、命に危険を及ぼすので、1万種以上といってもいいだろう。
 そして、その毒物というのは、「解毒剤は私だけが持っている」というセリフから、
非常に珍しい、一般的でない毒物の可能性があるのだ。

 もし、その毒の名前がわかっていれば、現代医学を駆使して、何とかなる可能性はある。しかし、わからないと、治療不能である。
 病院に行ってから、「数時間以内」に完全に解毒してもらうというのは、
かなり難しいと思える。

 
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■5   精神医学の目
─────────────────────────────────
┌─────────────┐
  ブタの仮面が意味するもの     
└─────────────┘ 
 
 ジグソウは、ゴードンとアダムを拉致するとき、ブタのマスクをつけていた。
 
 このマスクは、スクリームの仮面でもいいし、ジェイソンのホッケー仮面でもいい
はずだ。 「ブタ」のマスクであるということは、そこに何らかの意味があるということ。

 ブタのマスクの意味は何か?

 ブタ、殺人鬼、ソウ この三つから連想される映画は何か?

 私は、二本思い出す。
 
 一本は、トビー・フーパー監督の「悪魔のいけにえ」(1974年)である。
 「テキサス・チェンソー」として2003年にリメイクされた。

 この中で、精肉工場が出てくるが、そこでいろいろな動物のパーツが置いてある。 ブタの頭もあったように記憶する。
 
 犯人のレザーフェイスが、チェンソーをもって若者をたちを追わし、次々と殺して
いくのだ。そのレザーフェイスは、人間の皮をつぎはぎした手製マスクをかぶって、
素顔を隠している。
 「悪魔のいけにえ」には、ブタ、マスク、殺人鬼、ソウ。この四つが全て出てくる。

 もう一本は、「地獄のモーテル」。
 この映画では、ブタの生首をかぶった男がチェーンソーを振り回して襲ってくる。
 かなりいかれた映画であるが、「悪魔のいけにえ」にインスパイアーされた映画で
あることは間違いない。
 これにも、ブタ、マスク、殺人鬼、ソウ。この四つが全て出てくる。

 まあ、ホラー映画からの引用ということで、その映画的な意味は理解できる。
 では、心理学的な意味は何か?

 「マスク」は、時に変身願望の象徴となる。
 今の「死に行く自分」を否定し、別な存在に生まれ変わりたいという・・・。

 あるいは、心理学的には「マスク」、すなわち「仮面」は、ユングの「ペルソナ」
を連想させる。

 「ベルソナ」の語源は、ギリシャ演劇の仮面である。
 「ペルソナ」は、「社会的元型」とか「順応元型」といわれ、「社会に適応した態
度」である。

 我々が社会で生きる場合、ある程度、望まれた「態度」や「役割」を要求される。
それが「ベルソナ」である。例えば、どんなひょうきん者でも仕事中は、あまり冗談
も言わず真面目に仕事をする。これも、「ペルソナ」である。
 
 「死」を宣告され癌患者の場合。
 心の中では、「どうして、自分だけがこんなことに」「私は死にたくない」と絶叫
したいはず。
 しかし、それはできない。
 例えば、家族や医者に対して、ダメだとわかっていながら、「精一杯治療して頑張
ります」と言ってみたり、「残りの時間を大切に生きていきます」なんていう、優等生
的なことを言ったりする。
 
 しかし、それは心からの本音ではないはず。
 つまり、家族を安心させ、医者との対面を保つための言葉。
 外向きの顔であり、「ペルソナ」である。
 たぶん、ほとんどの患者さんは、こうした大人の対応をとる。
 
「ペルソナ」は、「影(シャドー)」を生む。
 受け入れられない「ペルソナ」は、無意識の中に追いやられ、抑圧されていく。
 そして、やがて「影」を形成していく。
 「影」は、「自分が認めたくない自身の側面」、「受け入れられない現実・価値
観」、「社会的秩序や規範から反するもの」などからなる。

 ジョンにとって「自分が認めたくない自身の側面」、「受け入れられない現実・価
値観」とは、すなわち「死に行く自分」である。
 「影」のエネルギー源は、「抑圧」、「逃避」、「恐怖」などである。 
 「影」を恐れ、そこから逃げようとすればするほど、「影」はより大きなものとなり、
「影」は積極的に活動し、自我にまで影響を与える。
 「影」に支配される、自我や人格を失うことにもつながる。
 
 「死」を受け入れられないジョンは、恐怖を感じ、それを押さえ込もうとする。
 そうすればするほど、「影」は強まる。その「影」がジョンの自我と人格を動かし、
彼を犯罪に突き動かしていった原動力と考えられるのである。
 
 たかが、「ブタの仮面」ではあるが、少し考察を深めれば、いろいろなものが見
えてくる。

 

「ソウ完全解読」全文はコチラからダウンロードできます

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       シカゴ発 映画の精神医学
           
  ●

「ソウ」完全解読特別号

●VOL.4   2004年11月21日発行  
 
    発行者 :    樺沢紫苑 
   発行部数 :          2327部
  発行元サイト: http://www.kabasawa.jp/eiga/home.html
   
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<警告>         <警告>           <警告>

 この号は、「ソウ」に関する重大なネタバレが含まれています。
 「ソウ」をまだ見ていない人は、決して読まないでください。 

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    【 目 次 】
■1 はじめに
■2 完全なる解読 死体の復活について / ラストシーン後の解釈
■3 簡単な解読  
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1  はじめに
───────────────────────────────── 

 さて、考察も盛り上がってきました。
 最初、全四号と告知したかもしれませんが、少し長くなっていますので、解読の最終号は次号になります。

「ソウをより深く考える資料集」作りました。
http://www.kabasawa.jp/eiga/page/book4.htm
 一度、ご覧ください。

 引き続き、あなたの「ソウ」解読を募集しています。
 ちょっとした発見などでも、構いません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2    完全なる解読    
─────────────────────────────────
┌─────────────┐
  死体の復活について
└─────────────┘

■ 復活の伏線

 ラストシーン
 死体が突然起き上がる。
 あっ。こいつが、本当のジクソウだったのか。
 ほとんどの人は驚いたに違いない。
 
 あるいは、これはズルい。約束違反じゃないか・・・と。
 
 でも、映画的には、死体が復活することは、五つ以上の伏線によって示されて
いる。意外というよりも映画的な必然である。
 
1) アマンダの目の前の死体の腹から鍵を取り出せと言うジグソウ。
 しかし、その男は鎮痛剤を注射されただけで、実は生きていた。
 「死体」と言われた男は、生きていた。

2)マネキン工場で逃亡するジグソウをショットガンで撃つシン刑事。
 ジグソウはばたりと倒れる。
 ジグソウは死んだと思ったシン刑事は不用意に近づくが、罠にかかって死ぬ。
 死んだと思ったジグソウは、生きていた

3) タバコをもらったアダムは、死んだフリをする。
  しかし、それは演技で、実は生きていた。

4)タイムアップした後、電気ショックで気絶するゴードン。
 アダムは石をぶつけてゴードンをおこす。
 アダムは言う。「死んだと思ったぞ」
 死んだように見えたゴードンは、生きていた。

5) ゲームを終わらせるために、ゴードンはアダムを撃つ。
  しかし、肩を撃っただけで、実は生きていた。 

 特に「アマンダのゲーム」と「ゴードンのゲーム」の類似性が大きい。

 意識が目覚めると、そこには死体がある。
 しかし、その死体は実は生きていた・・・という。

 このように、死んだと思っていてた人物が復活するという描写は、5回繰りかえさ
れている。

 さらに、「ジグソウは最前列で見るのが好き」というセリフ。
 近くから、ジグソウが見ていたという、最大の伏線である。

 ゴードンの前に置かれていた死体が生き返っても不思議ではない。
 というか、生き返らない方がおかしい。


■ 死者の復活 その象徴

 ジグソウの復活は、あることを象徴している。
 「死 → 生」である。
 
 末期癌で余命いくばくもないジグソウ。
 「本当は、生きたい」
 彼の「生」への欲求が、象徴的に表現されているわけだ。

 死者の復活。そこに象徴されるものは何か?
 当メルマガの読者は、すでにお分かりであろう。
 救世主である。

 ジグソーは、「ゲーム」の主催者。
 言い換えれば、生と死をつかさどる者。あるいは、裁きの神。
 彼は明らかに万能感を持っている。
 自らを神的な存在にすることができる、ゲームを主催するわけだ。

 聖書の匂いがしてきた。だいたいにして、ジグソウの名前はジョンである。

■ 「ジョン」という名前の意味は何か?

 ジョンとは、ヨハネのことである。  
 聖書に出てくる重要なヨハネは三人。
 洗礼者ヨハネ。使徒ヨハネ。ヨハネ黙示録のヨハネである。
 ジョンは、ゴードンに裁きを与える。
 「裁き」というニュアンスで考えると、ヨハネ黙示録のヨハネとオーバーラップさ
せるのが、よさそうだ。
 「ヨハネ黙示録」では、最後の審判について書かれている。
 最後の審判の時、死者は蘇るのである。

 つまり、死者の蘇りが、ジョン(ヨハネ)という名前を通じて、聖書的に示されてい
るということである。  

 死者と思われたション(ジクソー)は復活して、ゴードンとアダムに最後の審判を行
なった。

 他に、意味のある名前はないか?

 ゼップ(Zep)という名前が、少し変わった名前であることに気付く。
 「Zep」って、どういう意味。
 「Zep」とは、旧約聖書の「ゼファニヤ書(Zephaniah)」の略である。
 創世記1章1節だと、Gen1:1と書くように、ゼファニヤ書1章1節は、Zep1:1と書く。
 つまりZepとは、ゼファニヤ書を意味している。

 ゼファニヤ書には何が書かれているか?
 ずばり、神の裁きである。

 そして、レクイエム、死者への祈りの言葉として、ゼファニヤ書の一節がよく
使われる。
  

■ ジグソウ=ジョンの伏線

 さらに、ジグソウが、ゴードンの癌患者であったというオチ。
 これは意外だ。
 しかし、伏線は張ってある。

 一番最初のゴードンへの、テープメッセージ。
 その最中に、ジグソウは激しく咳き込む。

 マネキン工場でのジグソウのシーン。
 歩き方が変だが、銃の弾があたったわけではない。
 ラストシーンでも、変な歩き方をしている。
 脳腫瘍による歩行障害であろう。
 
 そして、マネキン工場でのタップとジグソウのやりとり。
 その中で、ジクソウは言う。
 「俺は病気だ(I am sick.)」
 もちろん、「俺は、異常だ」という意味で、タップに言ったわけだが、この
セリフがジグソウが病人であることの伏線になっている。

 ジクソウが病気であるという伏線は、三箇所はある。

┌────────────┐
   ラストシーン後の解釈 
└────────────┘
<<ラストシーン後の流れ>>
  
 復活したジグソウ。そして、アダムとのやりとりは、次号で解読する。
 
 そこを飛ばすのも変だが、まずは皆さんが気になる、ラストシーンの後について考察しよう。
 すなわち、シャワー室から出て行ったゴードンは、どうなったか?
 そして、置き去りにされたアダムはどうなったか? である。

 映画に描かれていない部分に関しては、観客が自由に想像する権利がある。
 したがって、この後どんな状況を想像しても悪くはない。
 ただ、それまでの映画の流れに沿って、想像すべきである。

  シャワー室をはって出たゴードンはどうなったのか?
 
1  ジグソウによって殺された。
2   ジグソウは殺さない。ただ、失血死で死亡した。
3  ジグソウは殺さない。したがって、警察に発見されて、助かった。

 そして、アダムに関しては、

1 ジグソウが戻ってきて殺す
2 ジグソウは戻ってこないが、そのまま失血死する
3 助けが来て、助かる

 多分、それぞれ、この三つのパターンが考えられる。
 

■ ジクソウは直接は殺さない

 まず、明らかに違うものから、否定しよう。
 「シャワー室から出て行ったジグソウは、ゴードンを殺しに行った。」
 「ジグソウが戻ってきてアダムを殺す」
 これは、間違いであろう。
 
 ジグソウは直接は殺さない。
 ドリル男のドリルのスイッチを入れたり、きわどいシーンはある。
 しかし、ジグソウが直接に手をかけて人を殺すシーンというのは、この映画の中に一箇所もないはずだ。 

 つまり、その唯一の例外が、映画が終わってから起きる、というのでは、映画の流れに沿った想像とは言えない。
 「ジグソウは直接は殺さない」
 映画の中で貫徹されたこの約束事は、映画が終わっても続くはずである。
 

■ ゼップに託した最終ルール

 ジグソウが、ゴードンを直接は殺さない理由がもう一つある。
 それは、ゼップの最終ルールである。
 
 ジグソウは、ゼップに最終のルールを託していた。
 それは、前号で説明した。
 「ゴードンが時間までに、アダムを殺さなかった場合は、ゴードンを殺せ」という
内容だと推測される。

 ジグソウはゴードンと同じ部屋にいた。
 ゼップは、遠くのゴードンの家にいた。
 それなのに、わざわざシャワー室まで来て、ゴードンを殺せという指令をゼップに
出していた。
 
 なぜ、そんな面倒くさいことをしたのか?
 直接手を下すのが「あり」、であれば、この「最終ルール」は不要なのである。

 ゴードンが、時間までに殺さなかった場合。
 起き上がって、自分で殺せばすむだけ。

 つまり、最後の最後まで、ジクソウは「直接は殺さないポリシー」を守ろうとして
いた、ということ。
 そのために、この「最終ルール」を設けていたわけだ。

 したがって、ジグソウがアダムやゴードンに直接手を下して殺すことはないだろう。


■ ゲームオーバーの意味

 ジグソウは、アダムを電気の消えた真っ暗闇の中に閉じ込めて言う。
 「ゲームオーバー」と。

 この意味は、何か?
 「ゲームは、もう終わった」という宣言である。
 ゴードンとアダムのゲームは終わったという、宣言である。
 
 「直接殺さない」というルールが仮になかったとしても、ゲームが終わったと言っ
ているのに、「これからゴードンを殺しに行く」とか「アダムを殺しに戻ってくる」
というのは、おかしな話である。それなら、ゲームオーバーじゃない。

 つまりこれ以上、ジグソウは何もしませんよ、ということである。
 つまり、アダムとゴードンを放置し、ただ立ち去った。

 そういう理解でいいのではないか?

■ ジグソウの最大の目的は何か?

 ジグソウが、ゴードンをゲームに組み込んだ、最大の目的は何か?
 それは、「生の大切さ」を教えるということであった。
 
 目的と手段をゴッチャに考えている人が多い。
 ジグソウは、「生の大切さを教える」という目的のだめに、ゲームを設定した。
 ゴードンとアダムの殺害が目的なら、こんな面倒くさいことをしないで、とっとと
殺せばいいわけだ。

 ジグソウにとっては、この目的が第一。
 二人の命に止めを刺すことは、最大の目的ではないはず。
 
 この映画のエンディングの段階で、アダムとゴードンが死のうが生きようが、
二人は「生の大切さ」を痛感したはずだ。
 つまり、ジグソウの目的は完了している。
 つまり、目的終了であり、「ゲームオーバー」である。
 
 二人は、多分死ぬだろうが、まあ死ぬのもよし。
 奇跡的に助かっても、死の恐怖を味わうことには、変わりなし。
 まあ、どちらでもいいか。

 というのが、ジグソウの心境ではないか、というのが、私の推測。


■ ラストシーンから示される流れ

 以上の点から、ラストシーン後、どうなるか?
 映画は次のように示している。

1 ジグソウは直接は殺さない。すなわち、放置する。
2  アタムとゴードンは「命の大切さ」を痛切に知る。

 この二点さえ満たせば、後は自由な想像をしてもかまわないと思われる。
 映画としては、「この後は、こうなります」という明確なビジョンは示してはいない。
 「この後は、この路線で観客の皆さんが想像してください」という程度の提示だろう。

 つまり、アダムとゴードンの生死は、観客の想像に委ねられている。

 実際には、相当に明確な方向性が示されており、多分二人とも死ぬという考えが一般的と思われる。
 しかし、ゴードンに関しては生き残る可能性も示唆されている。

 これ以降は、私の想像である。 
 映画の描写にもとづいた勝手な想像であるから、単に分析、考察というよりは、
フィクションとして、読んでいただいた方が、いいかもしれない。


<<アダムの生死の検証>>  

■アダムが死ぬ根拠1 映画的表現
 
 アダムは死ぬのか、生きるのか?
 ほとんどの人は、アダムは死ぬと思っただろう。
 多分そうだ。

 映画は映像で説明するもの。
 ラストのアダムの絶望の表情。そして、恐怖に包まれた絶叫。
 「もうだめだ・・・」ということが、おもいっきり表現されている。
 
 これで、1ヵ月後に「アダムは生きてました」というオチだったら、観客は激怒す
るだろう。
 アダムの死。それは、ラストシーンのアダムの絶望の表情と絶叫により説明され
ている。


■アダムが死ぬ根拠2 鉄扉から出て行くジグソウ

 しかし、映像を見ても、「彼は生き残るだろう」という勘違いをする人が、いない
とも限らない。
 
 さらに、証拠を出しておこう。
 例の法則である。

 このラストシーンと、ほとんど同じシーンが、実は前にあるのだ。
 シン刑事の死亡シーンである。
 
 逃げるジグソウをショットガンで撃つシン。
 倒れるジグソウ。
 ジグソウを撃ったと思ったシンは、不用意にジグソウに近づく。
 ブービートラップに引っかかって、シンは死亡する。

 倒れて<死んだと思われジグソウ>は、ゆっくりと立ち上がる。
 重たい鉄の扉をゆっくりとこじあけて出て行く。

 この映像は、ビジュアル的にラストシーンとほとんど同じである。
 つまりラストシーンへの伏線である。
 ラストシーンは、このシーンに照らして解釈せよということだ。

 鉄の扉を開けて出て行くジグソウ。
 あとに残されたのは、<銃で撃たれた>シン刑事の死体である。 

 <銃で撃たれた>アダムはシン刑事同様に死ぬということが、暗示されている。


■根拠3 暗闇に閉ざされるアダム

 映画の一番最初。暗闇の中で電気をつけるシーン。
 順番に蛍光灯が点滅し、まぶしがるアダムの姿が印象的だ。
 物語は、暗闇から始まった。

 そして、映画の最後。
 アダムは、また暗闇に閉ざされる。
 
 真っ暗闇に閉じ込められるアダム。
 その意味するところは何か。

 お先真っ暗。

 すなわち、「死」である。


■根拠4 「ゲームオーバー」の意味

 鉄扉を閉じる時に、ジグソウは言う。「ゲームオーバー」。
 
 「over」には「おしまい」という意味がある。
 「ゲームはおしまいだ」という意味だが、「お前は、おしまいだ」というニュアン
スもあるだろう。

 みなさんは、ファミコンをするだろうか?
 ファミコンなどのゲームでは、どういう時に「ゲームオーバー」になるだろう?
 キャラクターが死んだ時だ。
 
 「ゲームオーバー」という、言葉自体に「死」のイメージがともなう。

 つまり、ジグソウの「ゲームオーバー」の言い方(発音)も含めて考えると、
「ケームは終わった。お前を無罪放免にしてやる」ではなく、
「ゲームは終わった。お前の命は終わりだ」という死刑宣告として理解すべきではな
いか?

 これらを総合すると、アダムが生きる可能性を暗示する描写は、ゴードンが別れ
ぎわに言った
「必ず助けを連れて戻ってくる」という言葉だけである。
 しかし、このときのゴードンは顔面蒼白で、今にも死にそうな状態。
 全く頼りにならない、そんなセリフであった。

 アダムの生き残りを示唆する描写がない以上、アダムは暗闇の中で失血死したと
考えるのが自然だ。


■根拠5 アダムはゴードンよりも重症 (医学的根拠)

 アダムは、どのくらいの時間で失血するのか?
 
 肩を銃で撃たれたアダム。
 足を切断したゴードン。
 ゴードンの方が重症のように思える。
 しかし、医学的にはどうだろうか?

 第一号で書いたように仮に足を切断してしまっても、きちんと止血すれば、数時間で死ぬということはないだろうと書いた。
 
 では、肩の銃創の場合はどうか。
 
 ゴードンは、死なないようにアダムを撃ったとは思うが、腕と肩では天と地ほどの
差がある。腕であれば、腕の付け根をきつくしばれば止血できるが、肩となると
どこも縛りようがない。
 つまり、止血できない。
 浅い傷であれば、傷口を手で強く抑えればいいのだが、この場合は至近距離から撃たれた銃創であり、傷口は広いと思われる。
 肩には太い動脈が走っており、心臓からも非常に近いので、止血は難しい。

 映像では、肩の上の方ではなく、やや肩の下の方から出血している。
 この部位には肺がある。
 弾が肺を貫通していたとすれば、すぐに呼吸困難の症状も現れ、極めて危険である。

 ゴードンの場合は、2-3時間は生きていても全く不思議ではないが、アダムの場合は1時間生きるのも難しいのではないか?

 ましてや、彼は絶望している。
 絶望した患者と、生への欲求を強く持っている患者。
 限界状況に、どちらが強いかというのは、言うまでもないだろう。
 
 アダムの傷は、今すぐ救急車で運ばないと危険な状態である。

 数時間後であれば、警察がこの場所を発見する可能性はなくはないが、
30分とか一時間で警察がかけつけてくれるか? 非常に難しいだろう。

 以上の根拠により、アダムは失血死する可能性が非常に高い。
 一人目のゲームの犠牲者ポールも失血死であり、失血死の伏線もある。


<<ゴードン生存説の検証>>

■ゴードンは死ぬのか? 生きるのか?
 
 では、ゴードンはどうか?
 多分、ゴードンは死んだと考えている人が多いだろう。
 「ゴードンが死んだ」ことを示唆する描写はいくつもあるが、実はゴードンが生き
残った可能性を示唆する描写も、いくつもある。その両方について検証してみよう。

■ゴードンは生きる 根拠1 鉄扉から出て行くジグソウ

 死んだシン刑事を残して、鉄扉から出て行くジグソウ。

 上述した、この例の法則を、また適応する。

 銃殺されたシン刑事に対応するのは、アダム。
 だとすれば、刃物で首を切られたタップ刑事に対応するのが、ノコ(刃物)で足を
切ったゴードンである。
 タップ刑事がジグソウに首を切られた瞬間、「あっ、死んだのか?」と驚いたと思う。 しかし、刃物で致命傷を負ったタップ刑事は生きていた。

 この例の法則が、ゴードンに適応されるとしたら?
 
 刃物(ノコ)で致命傷を負ったゴードンは死ぬかと思う。
 でも、実は生きていた、ということである。


■ゴードンは生きる 根拠2 妻子の救急隊員の保護シーンの意味は?
 
 ジグソウが起き上がるシーンの直前。
 アリソンとダイアナが、救急隊員に保護されているシーンが入る。
 ここで、救急隊員は言う。
 
 「大丈夫だ。警察にも連絡したし、全て問題ない」

 全てのシーンには、その存在意味がある。
 映画の法則である。

 では、このシーンの意味は何か?

 アリソンとダイアナの生存を観客に示すこと。

 「NO」である。
 アリソンとダイアナは、何とか逃げたことは既に描かれている。
 このシーンがなくても、「アリソンとダイアナは死んだ」と勘違いする人は一人も
いないはずである。
 そんなことを説明する暇があれば、この映画で説明されていない別のことを説明した方がいい。
 だいたいにして、映画の一番のクライマックスで、緊迫感を盛り上げる、と
いう演出効果から考えると、このシーンはない方がいいくらいだ。

 しかし、このシーンはある。
 このシーンは、「もうこの時点で、警察の捜査が始まっている」ことを示している。

 そして、救急隊員は、「大丈夫だ」「全て問題ない」と、事態が良い方向に向くこ
とを二回も繰り返している。
 映画の法則。反復は、映画的強調である。
 「ゴードンは大丈夫」であることが、映画的に強調されているのである。

 もし、脚本家が「ゴードンは100%死んだ」と観客に思わせたいとするのなら、この
シーンはあってはいけない。
 このシーンは、ゴードンが警察に救出されることを、暗に示しているのではないか?


■ゴードンは生きる 根拠3 ゲームの正答は何だったか?

 ジグソウが仕掛けたゲームには正答がある。
  
 鋸で自分の足を切って、死体の銃をとり、弾をこめてアダムを銃殺する。
 これが、ジグソウの用意した正答ではなかったか?

 つまり、この正答をゴードンが実行した場合、ゴードンは生き残らなければいけない。
 
 ゴードン外科医であり、ある程度止血もするだろう。 
 足を切っても、何とか外に出て助けを呼べる。
 したがって、すぐには死なないだろう。
 そう、ジグソウは考えていたのか?

 足を切っても、すぐに死んでしまうとすれば・・・。
 それは、生きるか死ぬかのゲームではない。
 死の結末しかない、「死のゲーム」なのである。

 もちろん、ジグソウが「死のゲーム」を仕掛けた、という可能性もある・・・。


■ゴードンは生きる 根拠4 警察は、シャワー室を発見できるか?

 警察が、シャワー室のある建物を探し出せるか?
 
 携帯の利用履歴が残っている。これで、ある程度エリアは絞れる。
 
 建物の前には、ゼップとタップが運転していた車が二台とまっている。
 これがかなりのヒントである。

 ゼップとタップは、激しいカーチェイスをしたようだ。
 つまり、目撃者がいるかもしれない。
 
 建物の中で、ゼップとタップは何発も銃で撃ち合いをしている。
 地下室だったから、外には銃声は聞こえないか?
 しかし、銃声というのは非常に大きいし、意外と反響する。
 外に音がもれていない、とは言い切れない。
 もし、銃声が外に聞こえれば、場所の特定は難しくないだろう。
 
 これだけ、監禁場所に到達する証拠が残されている。
 数時間以内に、警察が場所を突き止めることは、不可能ではないだろう。


■ゴードンは生きる 根拠5 「ヨハネ黙示録」的解釈

 前述のように、「ジョン」(ヨハネ)は、「ヨハネ黙示録」を意識したネーミングで
ある可能性が高い。
 ラストシーンを「ヨハネ黙示録」に照らせば、ある解釈が成立する。

 「ゲームオーバー」で最後の審判が終わったとする。
 その次に来るのは何か。

 神の支配する千年王国である。
 
 つまり、悪魔の支配する地獄のような千年間のあとに、最後の審判があり、
至福千年王国が実現すると預言されている。
 
 ジグソウのゲームは、「最後の審判」だとすれば、その後に来るものは、ハッピー
エンドでなくてはいけないということだ。
 この映画でハッピーなラストは考えられないから、せめてゴードンが生き伸びないと、辻褄が合わなくなる。 


■ゴードンは生きる 根拠6 「セブン」からの引用の解釈

 ゼップの毒は、嘘だと考えられる。
 なせなら、カーペンターの引用だから。

 「ソウ」の、宣伝用キャッコピー。
 “「CUBE」meets「セブン」”。

 「ソウ」は、ある部分「セブン」に近い雰囲気を持つ。

 あるテーマを持った猟奇的連続殺人犯を、二人の刑事が追う、という部分である。
 そして、刑事は事件に巻き込まれ、悲惨なめにあう。
 単に似ているというだけでなく、この作品自体が「セブン」の影響を受けている。
 なぜなら、「セブン」からのセリフの引用があるからだ。

 タイムアップの少し前。
 ゴードンとアダムが、言い争うシーンである。
 アダムはゴードンに言う。
 「身体にピーナッバターを塗りたくって、売春婦と眠っている」
 
 これは、「セブン」のミルズ刑事のセリフ
 「ばあさんのパンティの中で踊りながら、体中にピーナッバターを塗りたくる」を
意識したものだろう。

 したがって、ラストシーンもセブンの影響を受けているとしたら・・・。

 「セブン」のラストは、主人公ミルズの家族の死体との対面である。
 
 もし、ゴードンが生きて家にたどり着いたら・・・。
 (とりあえずは、救急車で運ばれるだろうけど) 
 
 ゴードンの妻子は生き残ったが、ジグソウの計画通りであれば、ゼップが殺したはずである。しかし、シャワー室にいたジグソウは、ゼップが妻子を殺しそこなったことを知らない。

 ジグソウの計画。
 シャワー室から出て行くゴードンを見逃す。
 ゴードンは、家に着くが、そこで家族の死体と対面。
 失意のどん底へとたたき落とされるゴードン。
 
 「セブン」のラストシーンに重なるという趣向である。


■ ゴードンが生き残ると、どうなる?

 通常「死」が最悪の結幕だが、もしゴードンが生き残った場合は、どんなことが起
きるのか?

1 外科医を続けることは無理
 足を失ったゴードンは長時間立ち続けることは無理である。
 外科手術というのは、6時間とか10時間とか、非常に長時間立ち続ける。
 つまり、今後ゴードンが外科医としてやっていくことは無理である。

2 ゴードンは殺人者となった
 アダムは多分死ぬ。アダムを撃ったのは、ゴードンである。
 やむをえない状況である。法的には、無罪になるだろう。あるいは、執行猶予か。
 しかし、彼の引き金によって、アダムが死んだことが事実であれば、彼は
「殺人医師」のレッテルを貼られる。新聞にも報道されるだろう。
 社会的な制裁は、覚悟しなくてはいけない。 

3 ジグソウの動機発覚
 ジグソウが事件を起こした動機。
 テープが残っているから、これも発覚するだろう。
 患者を人間と思わない医者。
 こんなことが、マスコミに出たとしたら・・・。
 こんな医師に、あなたはかかりたいと思うだろうか?

 以上の三点から、彼の医師としての社会的生命は終わったと考えられる。

4 浮気の表面化と、家庭崩壊
 この事件の詳細が、白日のもとにさらされる。
 ゴードンとアリソンは、不仲であった。
 ゴードンがポケベルに呼ばれて、家から出る時に、アリソンと口論するシーンがあるが、そのシーンが効いてくる。
 ゴードンの浮気は、妻に発覚するだろう。
 そうすれば、離婚。家庭崩壊である。

 もしゴードンが生き残った場合、ゴードンは社会的地位も失い、家庭も崩壊する。
 身体障害者として余生をおくるしかない。
 患者の命を軽んずる言葉を言っただけで。
 <生き残った>彼は、ジグソウが言ったように、「命の大切」を一生考え続けるハメ
になる。

 死ぬよりも、悪い。最悪である。

 もし、私がジグソウの立場で、ゴードンに復讐したいのであれば、殺さない方を選
ぶだろう。


<<ゴードン死亡説の検証>>

■ ゴードンは死んだ

 一方で、多くの人は「ゴードンは死んだ」と考えていると思う。
 なぜなら、ゴードンが死んだと思わせる描写がたくさんあるから。

■根拠1 顔面蒼白のゴードン

 まず、部屋を出て行くときのゴードン。
 アダムに近寄って、「必ず助けを呼んでくる」と約束する。
 そのとき、二人の顔色の違いが明確である。
 ゴードンは顔面蒼白である。
 アダムはそうでもない。

 そして、ゴードンは部屋をはい出るが、その力のないこと。
 今にも、力尽きそうな様子が、表現されている。

 ゴードンはすぐに死ぬ。それは、映像的に表現されている。


■根拠2 シャワー室から、外まではとても遠い

 ゼップとタップの、建物内でのチェイスシーン。
 これがやたらと長い。3カットくらいに分けて描かれていた。
 つまり、この建物の入り口から、シャワー室までが、とても遠いということが、
映像的に説明されている。
 彼らは数分間、全力で走り続けている。
 その距離は、どの程度のものか。

 そして、一番の難所は、ハシゴである。
 
 地下に降りるハシゴ。
 これが、3メートルちかくもある。

 だいたいにして、ハシゴを片足で昇れるのか? 無理である。
 昇るとしたら、腕の力で体重を支えなくてはいけない。
 それだけの余力は、ゴードンになかったことは、歴然としている。


■根拠3 ハシゴは命とり 医学的根拠

 起き上がるのが、出血には一番良くない。
 出血したとき、一番良いのは、患部を心臓より高く上げることである。
 つまり、ゴードンの場合、切った足を、できるだけ上にあげて、安静にしているの
が、失血をおさえ、止血をうながす方法である。

 ハシゴを昇ろうとすれば、足の切断端が体の一番下になる。
 立ち上がった、その体勢が、一番よくない。

 傷口に、血圧がどっとかかって、せっかく止血していた創部から一気に出血する。足を怪我して大量出血している時は、決して起き上がってはいけない。
 
 医学的にみて、ハシゴのぼりは「死」を意味する。


■根拠4 暗闇に閉じ込められるゴードン

 「ソウ」は、暗闇から始まって、暗闇に終わる映画。
 
 ジグソウは、ゴードンを直接は殺さない。
 ただ、アダムをそうしたように、電気は消して立ち去るはずだ。
 例の法則である。

 このバカ広い建物、それも地下室に電気を消されたまま放置されたとしたら・・・。
 立って歩くのも厳しいゴードンが、電気のスイッチを探すことはできるのか?

 前述のように、立ちあがればそれが命とりになる。
 
 ジグソウは、ゴードンを殺す必要はない。
 ただ、暗闇に閉じ込めるだろう。

 その結果・・・外にたどりつくのは無理ではないか?。

 
■ 多重解釈可能なラスト
 
 私は、「ソウ」を3回見た。
 私は1回目見た時は、ゴードンは生き残ったと思った。
 しかし、2回目見直すと、死んだと思った。
 3回目を見た今は、死んだ可能性7割。生きる可能性3割と思っている。

 以上、示したように、ゴードンの生死に関しては、映画的に両方の可能性が示唆されている。
 敢えて、どちらかに決め付けないよう、含みを持たせて演出しているということだ。
 つまり、どちらも「あり」ということ。

 ゴードンが生きても、死んでもゴードンは「生の大切さ」を思い知ることになる。
 それによって、ジグソウの目的は達している。

 生きるも知るも、観客の想像しだい。
 
 これが、映画を詳細に分析した結果である。
 
 映画のラストは、ハッキリとさせない方が、傑作になりやすい。
 「2001年宇宙の旅」や「エクソシスト」がそうだ。

 「このラストの意味は何だ?」「このラストはどういうこと?」
 と考えれば考えるほど、映画に引き込まれていく。

 結果として、私のように映画を二回三回と見る者も出て来る。
 だから、意図的に、ラストに複数の解釈ができるようにあいまいさを残す、
 というのは映画の優れたテクニックである。
 
 そして、「ソウ」もそうである。

 プロデューサーのグレック・ホフマンは言う。
「想像する余地を残した映画こそ、本当に怖いんだ」

 「ゴードンの死」と「ゴードンの生」。
 両方を示唆する描写を意図的に入れている。
 最初から、多重解釈できるように作られている。
 そして、このように、「ソウ」のラストをめぐって大きな議論が起きている。
 まさに、我々は監督の術中にはまっているのだ。 

 
■ たった一つのラスト

 しかし、ワン監督はインタビューで言っている。
「この映画にはたった一つのラストシーンしかないんだ。
それは最初から決まっていた」

 たった一つのラストシーン?

 これは、ゴードンに関しては、観客によって違ったものを想像する。
 すなわち、「たった一つのラストシーン」にはならない。
 これは、何か別な「結末」についての話なのか?

■ 本当のラストシーン
 
 さて、ラストまで通して解読したが、まだ何か釈然としないのではないか。
 「お前は何か、隠している!!」
 ゴードンがアダムに言ったセリフを、私にも言いたくなったかもしれない。

 実は隠している。
 まだ、アダムについて、全く考察していない。
 「ソウ」の主役なのに。

 そして、「たった一つのラストシーン」、本当のラストシーンが次号で明らかになる。

■ 重要なヒント
 
 みなさんは、まだ「ただの盗撮屋のアダム」が、たまたまこのゲームに巻き込まれ
たと思っているのですか?

 もしそうだとすれば、「ソウ」批判論者がいう、単なる小手先だけの映画になって
しまいます。
 もっと、良く考えてみましょうよ。
 
 次回、最終号では、皆さんに、驚きのドンデン返しを明らかにします。
 多分読者の90%以上の人は、この事実にまだ気付いていない。
 ただ、3回見た私としては、この説は90%以上正しいと確信していますし、次号を
読めばほとんどの人は「そうだったのか」と私の説に同意するはずです。

 しかしながら、人の意見を聞いて驚くよりも、皆さんが自分で発見し、気付く方が
100倍楽しいはずです。

 以下に、「ソウ」について、「おかしい」と指摘されている疑問や謎の数々を列挙
します。
 「驚きのドンデン返し」は、これらをたった一言で全て説明しまいます。
 みなさんも、もう一度良く考えてみてください。
 

 アダムは、なぜ自分のTシャツをまくりあげて、自分の腹を確認したか?

 新品の時計が壁にかかっているのを見ただけで、アダムはなぜ顔面蒼白になったの
か?

 キレまくっていたアダムが、ゴードンより先にポケットのテープに気づいたのはな
ぜか?

 アダムは、テレコを投げろというゴードンに、決してテレコを渡さなかったのはな
ぜか?

 ゴードンのテープの条件は、「六時までにアダムを殺すこと」なのに、それを聞い
たアダムは、ほとんど驚かなかったのはなぜか?

 キレまくっていたアダムが、マジックミラーに気付いて、すぐに鏡の後ろにあった
カメラにも気づいたのはなぜか?
 
 自室に腹話術人形があるのを見て、なぜあそこまで驚き、恐怖にとらわれたのか?
 
 アダムの方を向いていた死体(ジョン)は、なぜ特殊メイクで顔を隠す必要があった
のか?

 なぜジョンは、ゴードンではなく、アダムに素顔を見せたのか?

 なぜ、盗撮写真家のアダムが、ゲームの駒に選ばれたのか?

 なぜ、脚本家のリー・ワネルが、出ずっぱりのアダムという、重要な役を演じてい
るのか?
 
 これらの全てが、たった一言で説明できます。

 私がたどり着いた結論はこうです。

 「アダムは××だった」

 この一言です。
 
 もう、わかりましたよね。
 わからない人は、あと1週間、よく考えてみましょう。

 それでは、最終号をお楽しみに。11月27日、発行予定です。
 

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■3   簡単な解読
─────────────────────────────────
┌─────────────────┐
  鍵を飲まされた男は誰だったか?
└─────────────────┘
 
 麻薬中毒者アマンダのゲームに強制参加させられた「鍵を飲まされた男」。
 この男は、何者だったのか?

 この質問は、結構多い質問だと思う。

 これも明確に答えられる。

 答 「鍵を飲まされ男」が誰かを、映画的に説明する理由はない。
    むしろ、説明すべきではない。

 なんでもかんでも説明すればいいというものではない。
 「××について説明していないからダメだ」という批判も、良く考えてからしてほしい。
 
 説明されていないことを指摘する前に、「説明されていない」理由を考えてみるべきだ。

 まず、第一の答。伏線について、説明する必要はない。
 
 アマンダのゲームについては、劇中で詳しく描かれる。
 なぜ?
 それは、ゴードンとアダムのゲームのルールや法則性。
 ジグソウが、ゲームを完遂すれば助ける可能性もありうることなどを説明するためである。

 つまり、後の描写のための伏線なのである。説明のシーンである。
 その説明について、さらに説明しろというの?
 もしそれが必要なのだとすれば、その説明に対する説明も必要になってくる。
 そして、その説明の説明に対する疑問も、映画で解決しなければいけないのか?
 無限に説明の必要性が出てくる。
 そんな、バカな話はない。

 もう一つの答。これがが重要だ。
 「説明されていない」ということにも、理由があるのである。

 もし、アマンダと「鍵を飲まされ男」が、知り合いだとすれば。
 ノベライゼーションでは、「鍵を飲まされ男」がアマンダのルームメイトとして描かれているようだ。もし、そうだとしたら?

 このシーンは、ゴードンとアダムのゲームの伏線である。
 つまり、アマンダと「鍵を飲まされ男」の関係が、そのままゴードンとアダムの関係に反映される。つまり、二人が知り合いであれば、ゴードンとアダムも知り合いでなくてはいけない。
 実際、アダムはゴードンを知ったいた。

 アマンダと「鍵を飲まされ男」が知り合いであったとすれば、ゴードンとアダムも知り合いである可能性が容易に連想される。アダムが、ゴードンの盗撮をしていたと暴露するシーンに、何のインパクトも意外性もなくなってしまう。

 逆に、もし、アマンダと「鍵を飲まされ男」が、全くの無関係だとすれば・・・。
 ゴードンとアダムも、無関係の他人でなくてはいけない。
 アダムが、ゴードンの盗撮をしていたという事実と矛盾する。
 観客を混乱させるのである。

 つまり、アマンダのゲームは、ゴードンのゲームの伏線(説明)である以上、観客を混乱させたり、かく乱させては本末転倒である。

 アマンダと「鍵を飲まされ男」が、「関係がある」あるいは「無関係」のどちらであっても、それはゴードンとアダムの微妙な人間関係と相似形にはならない。
 つまり、観客を混乱させるだけなのである。

 したがって、アマンダと「鍵を飲まされ男」の関係については、「説明しない」ことが、映画をもっともわかりやすくする。だから、説明されていないのである。

 何でもかんでも説明してあれば良いというものではない。
 また、我々観客も、何でもかんでも説明することを要求してもいけない。
 なぜ、そうなっているのか? それを、よく考えるべきだ。

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 ほとんどの観客はまだ気付いていない。
 本当の衝撃のドンデン返し。
 
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