[映画の精神医学]

 U-571  オフィシャル・ホームページ
 潜水艦映画にははずれがない。潜水艦映画は、必ずある程度の興行収入が保証されることは、ハリウッドでは知られている。『眼下の敵』『Uボート』など潜水艦映画に傑作が存在することは事実である。
 『Uボート ディレクターズ・カット』を数年前に見た。私は基本的に長い映画が大嫌いだが、三時間半という時間が全く長いとは感じなかった。むしろ、短いと思ったほどである。潜水艦という閉鎖空間の中で繰り転げられる生と死のギリギリの人間ドラマ。駆逐艦との息を飲む戦闘は、何度でも見たいと思う。

 そうした意味で『U−157』は、期待をはずさなかった。最初は、臨時の艦長としてクルーの信頼を集められなかったタイラー中尉が、激戦をくぐりぬけていく中、人間的に成長しいく。エニグマ暗号機の争奪という、第二次世界大戦の帰趨を決する大イベントを軸にしている点もおもしろい。娯楽映画として『U−157』は、及第点を越えることは間違いないが、一個所だけ非常に気にかかった点がある。
 エンジンの故障によって漂流するドイツ潜水艦。そこに、ボートに乗ったアメリカ兵士たちが、漂流して彼らに助けを求める。しかし、ドイツ兵は自分達が漂流し、ドイツからの援軍を待っていることがバレてしまうので、漂流するアメリカ兵を機関銃で皆殺しにする。このシーンは、やり過ぎではないかと思う。当然、武装解除し投降しようとしている敵兵を殺すことは、国際法に違反する戦争犯罪である。
 一方アメリカ兵は、漂流したドイツ潜水艦の乗組員の一人を救助する。捕虜としてドイツ兵を隔離しておくが、そのドイツ兵は逃げ出そうと小競り合いになりアメリカ兵を一人殺してしまう。しかし、そのドイツ兵はおとがめなしで、さらに拘留されるだけである。そして、潜水艦と駆逐艦とのし烈な戦いの中、ドイツ兵は潜水艦の機体をたたきモールス信号によって、駆逐艦に潜水艦の位置を教えようとする。捕虜となったドイツ兵は、二度にわたって、アメリカ兵が乗り組む潜水艦に重大な危機を及ぼしたにもかかわらず、殺されるわけでも、何らかの罰を受けるわけでもないのだ。
 アメリカ人のドイツ人捕虜に対する何たる寛容さ。なんて、アメリカ人はやさしいのだろう。
 一方、ドイツ人は、捕虜となるべく投降するアメリカ兵を無差別に虐殺するのである。
 何たる違い。しかし、この極端に対照的な演出に、あざとさを感じる。ドイツは悪、アメリカは善。その悪に対してアメリカは正義の戦いをする。それが当時の、第二次大戦に対するアメリカ人の認識であることはわかる。
しかし今、時代は21世紀になろうとしている。第二次世界大戦はアドルフ・ヒトラーという狂人が引き起こした戦争にすぎないという認識は、あまりにも古すぎる。
 実際映画を見ても、戦争に対する認識自体に進歩が認められている。『プライベート・ライアン』は、おそらくその最も進化した映画の一本である。『プライベート・ライアン』には、アメリカや連合軍が善で、ナチス・ドイツが悪だといった、紋切り型の正義感は存在していない。戦争は殺し合いである。殺し合いに、善も悪もない。殺る側も、殺られる側も好き好んで殺し合いをしているわけではない。むしろ、人間に殺し合いを強要させる国家自体の問題すら指摘しているように見えた。

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閉鎖空間における限界状況の人間ドラマ

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タイラー中尉
(マシュー・マコノヒー)

 『U−157』は、娯楽映画としてはおもしろいが、一本の戦争映画とし見た場合、あまりにもモラルが低すぎる。そして、この映画を見て何の疑問もなく拍手喝采してしまう人々に対しても疑問を感じる。
 戦争犯罪を行うようなナチス・ドイツに対して、我々は正義の戦いを行っている。第二次大戦中と同じプロパガンダは、今でもアメリカに生き続けているのか。
 ドイツ人がアメリカ兵を虐殺するシーンを見て、アメリカ人の観客はどんな気持ちを抱くのだろう。「ドイツ人はひどい奴だ。奴等なら、やりかねない」とでも思うのだろうか。結局、この描写はアメリカの戦争に対する大義名分を描いているようにしか思えない。ドイツが戦争犯罪や虐殺行為を犯す絶対悪であることが明らかになっていなければ、アメリカ人は安心して戦争映画を見ることすらできないのか。それは、アメリカが逆に第二次大戦に対するやましい気持ちを持っているからそうなるのか?
 しかし少なくとも1957年に公開された『眼下の敵』は、こんなモラルのない映画ではなかった。駆逐艦の船長(ロバート・ミッチャム)と潜水艦の船長(クルト・ユルゲンス)。お互いが、知力と体力の限りをつくした戦った結果、お互いの間に敬意と友情が生れている。お互い敵同士とはわかっていながら、その船長としての技量ににお互いに率直に尊敬の念を抱くのである。それが、『眼下の敵』の敵のラストであり、非常に感動的であった。
 戦争をするのに大義名分が必要なのもわかるが、『U−157』を見ていると、「大義名分さえあれば戦争してもよい」というようなテーマにすら見える。1940年代に戦意高揚映画として作られた作品ならわかるが、なぜ21世紀まじかの現代にこんなテーマの映画が作られるかがわからない。


 いくら秘密任務の最中とはいえ、アメリカ兵を虐殺するという描写は、あまりにもリアリティがなさすぎる。この描写が入っているせいで、他の全てのリアルな戦闘シーンが台無しになってしまっている。

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『眼下の敵』より

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『眼下の敵』より


 ディズニー映画『パールハーバー』が現在製作中である。アメリカ人は、『パールハーバー』を一体どう描くのだろう。もはや歴史的事実として認識されるようになった、アメリカ側が奇襲の事実を既に知った上で、戦意高揚に利用するために、敢えて自国の戦艦を沈めさせ、自国民を殺させた事実を映画化するのか。まあ、しないとは思うが。
 第二次世界大戦から、既に50年以上がたち、実際の戦争経験者も少なくなっている。今の時代に、第二次世界大戦を扱った映画を作ることは、非常に意義深いことだと思われる。

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
(マガジンID:0000136378)

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