[映画の精神医学]

 

イグジステンズ

オフィシャル・ホームページ
 日本のホーム・ページは、センスないなあ。
オフィシャル・ホームペー(英語)
 映画同様、キモいページだ。
 デビッド・クローネンバーグ監督の十年ぶりのオリジナル脚本作品である。嫌でも期待してしまう。新作が来ないので、一体クローネンバーグはどうしているのかと心配にすらなっていたくらいだ。
 『イグジステンズ』は、その過剰すくーぎる期待に、見事に答えてくれた。ジョージ・ルーカスのCMに「いつも、サムシング・ニュー」というのがある。「サムシング・ニュー」、何か新しいものこそが映画の根源である。見たことない映像、見たことのない体験、見たことのない想像を上回るストーリー。何か、新しいものがなければ、映画はつまらない。凡百あるつまらない映画の一本に埋もれるだけである。その点、クローネンバーグ監督作品には、常に新しいものがある。『イグジステンズ』もそうである。映画史上最も気持ち悪い映画の一本に上げても良いような、グロい映像。グロいといっても、血しぶきがとびちるわけではない、脊髄に穴をあけるという考えただけて、身震いする生理的な気持ち悪さ。それと、爬虫類とその解剖シーンの連続という気持ち悪い映像。いかにも、クローネンバ゜ーグらしい。しかし、その趣味もここに極まれりという感じである。
 ストーリー。やられました。『シックス・センス』では、冒頭の字幕でその全てを見抜いた私だったが、今回のどんでん返しにはやられた。二人がイグジステンズを始める前から、ゲームの世界が始まっているだろうとは予想していたが、オープニングから既に全てゲームだったとは。そして、劇中の登場人物が、ゲームのプレーヤーだったとは。これは、『オズの魔法使い』のパロディでもあるのだろう。すなわち、現実の登場人物が、空想世界の登場人物として活躍し、最後に現実世界で再開するのが、『オズの魔法使い』である。
 登場する人物が、必ずフルネームで名のるが、何かおかしいなあと、気にはなっていたのだが・・・。
 ラスト・シーン。現実に戻ったテッドとゲラーが、ゲームの作者を射殺するシーン。これはゲームか現実か? それはわからない。わからないように作っているのが、この映画のテーマになっているのだ。
 ゲームという空想世界に遊ぶ。原題においても、子供たちが、現実とゲームの世界の区別がつかないとか、ゲームの延長で凶悪犯罪を犯しているといった論調もある。それを究極的なところまで突き詰めると、『イグジステンズ』になるのだ。現実と空想世界が、完全に区別できなくなる恐怖。しかし、それはもうSF映画だけではなく、現実の問題となっているのである。極めて、今日的な問題である。
 また、拡大し進歩し続けるゲームへの批判と風刺でもある。丁度最近プレイステーション2が発売されて話題となったが、コンピューター・ゲームは、我々の生活と不可分なものになっているのか。あと十年先、二十年先は一体どうなっているのか。『イグジステンズ』では、ゲームのデバイスは極めて進歩しているが、それ以外のテクノロジーは、全く現代と変わらないところがおもしろい。そこも風刺である。これは正に現代の話であるという意味にも取れるし、ゲーム以外のテクノロジーの進歩は全く意味がなく、ゲームが原因でテロや戦争が起こる時代なのである。

 映像よし、ストーリーよし、テーマよし。久しぶりに、充実した映画を見れて、幸せである。

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クローネンバーグ監督

 生物学を専攻していた彼だからこそ、この爬虫類グログロ映像を撮ることができたのかもしれない

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 グロイ映像
こんなの見たことない

ゲームポッド(Pod)は、ゲーム・
パッド(Pad)のぱくり?

若干の発見 パーキーパッツ「Perky Pat's」とは何か?
 テッドとゲラーが、車で逃げ出し、とりあえずドライブ・インに避難して、休息をとる。そこで二人は、「パーキーパッツ(Perky Pat's)」と書かれた、ファースト・フード店の紙袋に入った食物を食べている。この「パーキーパッツ」とは何か。
 これは、フィリップ・K・ディックの小説「パーキー・パットの日々」に由来していると思われる。ホス・プレスの読者に今さら、フィリップ・K・ディックを説明するのもおこがましいが、ディックの原作は『ブレード・ランナー』『未来世紀ブラジル』『トータル・リコール』『スクリーマーズ』など多数映画化され、いずれも傑作映画として知られている。SF映画ファンにとってフィリップ・K・ディックは必修項目であるわけだが、当然クローネンバーグも、ディックのファンであるらしい。
 ここで重要なのは、「パーキー・パットの日々」の内容である。荒廃した未来でかろうじて生き残った人々は、地下にもぐり、パーキー・パットというゲームを来る日も来る日もプレイし続けるという話である。この世界では、パーキー・パットが最も重要なものとされるのだ。人々は、生きるという現実感を失い、ゲームという架空世界にのみ喜びを見出す。『イグジステンズ』とテーマにおいて共通している。
 「パーキーパッツ」の袋は、SFファンに向けた、クローネンバーグのちょっとした遊び心の表れである。

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フィリップ・K・ディックの「パーキー・パットの日々」

 

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
(マガジンID:0000136378)

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