[映画の精神医学]

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オフィシャル・ページ(英語)

ブエナ・ビスタ・インターナショナル・ジャパン「救命士」(日本語)

 マーティン・スコセッシ監督作品ということで、嫌でも期待してしまうが、やはりスコセッシ作品は深い。というか、よくわからない。単に楽しむというレベルでは、十分理解できるわけだが、細かい描写の意味について、一つ一つ解釈するのは、かなり難しい。特にキリスト教描写に関するくだりである。

 久しぶりに難しい映画を見たなという感じだが、「超映画分析」の対象として、これほど最適な映画はないかもしれない。というわけで、早速『救命士』を超深読みしてみよう。


メアリーとマリア
 究極的な反キリスト映画『最後の誘惑』。そして十字架の刺青をした凶悪なストーカーを描いた『ケープ・フィアー』などの作品から、マーティン・スコセッシ作品には反キリスト色が強くただよう。
 そして案の定、『救命士』には、多数のキリスト教関係の描写が出てくる。

 まず、フランクが何度も患者を運び込む病院は、聖マリア病院である。そして、彼はむかし聖十字高校に通っていた。そして、メアリーとの会話の中で、小さなマリア像がのったピザを出す店を憶えているかと尋ねる。
 あるいは、フランクのパートナーの救命士マーカスは、聖職者のようなセリフをしゃべり続ける。
 通報を受けて腹痛の女性りもとに向かうフランク。そこにいたのは、性交なしに妊娠した女性マリア。同僚が何度も性交したのではないかとたずねるが、一緒にいた男は一度もないと答える。当然、イエスの母、聖母マリアの処女懐胎をなぞっている。名前までマリアというのだから。
 フランクが運んだ心臓停止の男バーク。フランクはその娘メアリーに思いを寄せる。メアリー(Mary)という名前は、マリアを示す。ジョンはヨハネ、ジャックはヤコブに由来するように、メアリーが聖母マリアに由来する名前であることは、アメリカ人にとっては常識であろう。すなわち、フランクにとっての、精神的な救い手が聖母マリアとオーバーラップされたメアリーなのである。

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憔悴した
救命士フランク

mary.jpg (14517 バイト)フランクが思いをよせる
メアリー

Maryは聖母マリアの意味である

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ラスト・シーン
魂が救済されたフランク

死者の意味の解明
 では一体、フランクは何から救済されたのか。救命士のフランクは、激務による精神的な疲れでほとんど眠れない状態で憔悴しきっていた。ラスト・シーンでは、そうした精神的苦痛から解放される。
 具体的には、フランクは何について悩んでいたのか。
 この映画の日本語タイトルは『救命士』で内容を端的に示しているが、この作品のテーマについて考えるには原題の意味を知っておく必要がある。原題は『Bringing out the dead』である。「bring out」は辞書で「(意味などを)明らかにする」とあるから、直訳は「死者の意味を明らかにすること」で、「死者の意味の解明」とでもなろうか。映画のタイトルとしては、重たすぎる題名だが、この映画のテーマを率直に語っている。「the death(死)」ではなく、「the dead(死人)」というところがミソです。
 死人とは、フランクが運ぶ蘇生できなかった人々のことである。フランクは「今日も一人も救えなかった」と悩むセリフが冒頭に何回か出てくる。心停止患者を蘇生しても空しく死んでいく。あるいは、病院に運んでもやがては死んでしまう。死人を運ぶことの意味。無線を聞いて直ちに現場に駆けつけても、救えない。その自らの無力さに、フランクは悩んでいた。そして、喘息で心停止し、蘇生できなかった少女ローズの姿が脳裏に焼きつき、ローズの幽霊(幻覚)に悩まされるのだった。
 心停止患者バークをかろうじて蘇生して、病院へと運ぶ。そして、バークの娘、メアリーと出会うのだった。
 父親の致死時状況を受容できず苦しむマリーの姿を通して、フランクは死の意味という問題に直面する。

 麻薬におぼれる若者、あるいはアルコールに依存する浮浪者は、享楽的な生き方の象徴である。死の意味(現実)に直面して悩むフランクと、現実を回避する人間とが対比されることで、フランクの苦悩が浮き彫りされる。
 フランクはバーク氏が、「(自分を)殺してくれてくれ」と喋ったかのような幻覚にとらわれる。これは、幻覚というかたちをとっているが、フランクの内面的な声と理解できよう。心停止を十数回おこしているバーク氏は、集中治療室に移ったとはいえ、元に戻ることは不可能な状態である。フランク自らが蘇生したバーク氏を、フランク自身が安楽死させるのは、一見矛盾しているが、死すべき人間は死ぬしかない、死という運命は回避できないことを悟ったことを示している。フランク自身が「死者の意味」を解明したのである。
 したがって、死すべき運命にあったローズの死も、やむをえないものであると悟ったフランクは、当然ローズの幽霊(幻覚)を見なくなるのである。
 ラスト・シーン。メリーと一緒にソファーに横たわるフランク。その顔は、彼の魂が救済されたことを如実に物語る。


水を飲みたがる男
 自殺願望が強く、水を飲みたがる男ノエル。ノエルは何度も登場し、最後のクライマックスも、ノエルをめぐるエピソードである。『救命士』の脇役の中で、かなり重要な位置をしめていることは間違いない。
 まず、「死者の意味の解明」という視点から見ると、ノエルの存在は興味深い。彼は水を飲みすぎて死ぬ病気(おそらく尿崩症であろうか)である。しかし、それにもかかわらずノエルは、常に水を飲みたがる。「水をくれ、水をくれ」と叫び続ける。メアリーは彼に水を与えてしまうが、彼に水を与えることは彼を救うことにはならない。むしろ、殺すことになりかねないのだ。死に至る水を求め続けるというノエル存在こそが、生きるという意味が何かの問題提起そのものである。
 水は、「浄化と潔白のシンボルであり、罪を清め新生をもたらす秘跡に用いられる。」(キリスト教シンボル図典、東信堂) このことから、水を飲むことの聖書的意味は、「罪の清めを求める」ということになろうか。そうすると、マリアであるメリーが、ノエルに水を与えたというエピソードが生きてくる。罪にさいなまれながら、罪から逃れたいとあがく男、それがノエルである。

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 水を飲みたがる男ノエル


今後、検討すべき問題
1 救命士の十字は、十字架の象徴か?
2 血と水 その映像の意味するもの 
   オアシスが水まみれ、血まみれになっていた理由
3 消防士の手伝いをしてライトを照らすユダヤ人の意味
4 救急車の前のアンビュランスの文字が、裏がえしになっている理由  アメリカの救急車は、これが普通なの?
5 サイ・コーツが串刺しになる理由  『オーメン』の串刺し映像を思い出すが・・・

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<オアシス>にいる
麻薬の売人
サイ・コーツ

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
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