[映画の精神医学]


注)当文章に、『シュリ』についての言及が含まれていますが、『シュリ』についてのネタバレは含まれていません。『シュリ』を見ていないかも、安心してお読みください。むしろ、『シュリ』を見る前に読んでおくと、余計楽しめるかも。

 

 ロング・キッス・グッドナイト

 こんなに、おもしろい映画を見逃していたとは、何たる不覚。 2000年2月5日のテレビ放映で初めて、『ロング・キッス・グッドナイト』(1996年)を見た。だいたいにして、『ロング・キッス・グッド・ナイト』は、メイス・ウィンドゥ役のサミュエル・L・ジャクソンの出世作じゃないか。なぜ、この大切な映画を劇場で見ていないんだ、俺は。と、そんなことをいまさら後悔してもしょうがないので、ここに映画評としてアップすることで、今の感動を素直に発散したい。
 また、新作批評ばかりでは、最近の映画をあまり見ていない人には、この映画批評ページはつまらないかもしれないので、これを期に旧作、名作の批評も随時アップしていきたい。
 

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美人エージェント役の
ジーナ・デービスは
レニー・ハーリン監督の妻

 ジェット・コースター・ムービーとは、まさにこの映画のこと。伏線を張って次から次へとアクションを転がしていくテクニックはただ者ではない。レニー・ハーリン監督恐るべし。
 『ロング・キッス・グッドナイト』の第一の驚きは、純粋にアクション映画としての秀逸さである。濃密なアクション・シーンが、次から次へと繰り広げられる。そして、それは単なるアクションのためのアクションではなく、必要不可欠の歯車の一つとしてのアクションである。伏線の歯車が、緻密に配列されているので、途中でトイレに五分中座してしまえば、内容に全くついていけなくなるだろう。そうした意味での、ストーリーとアクションの密度の濃さと、その展開のテクニックの見事さは、ただ賞賛するしかない。
 しかし、その点から言えば、同じレニー・ハーリン監督の『クリフ・ハンガー』も同レベルにあったと思う。『クリフ・ハンガー』も、おもしろアクション映画の一本として記憶しているが、『ロング・キッス・グッドナイト』ほどの感動とカタルシスがなかった。実は、『ロング・キッス・グッドナイト』には、もう一つ重要なおもしろさが隠されている。そこが、非常に重要なのだが、その点について、インターネットの映画評をざっと見てみたが、残念なことに全く言及されていない。
 『ロング・キッス・グッドナイト』は、OOの脚本を400万ドルという当時のハリウッド最高価格で脚本を買い取り製作した作品として、話題になった。インターネットの映画評を通読したところ、「この脚本のどこに400万ドルの価値があるのかわからない」という批判が多かった。これは私にとっては大きな驚きだが、一見極めて単純なアクション映画で描かれていた重要な描写に、ほとんどの人が気づいていないのは、大いなる不幸である。
 『ロング・キッス・グッドナイト』は、アクション映画でありながら、実はアクション映画ではなく、多重人格映画なのである。8年前に記憶喪失として海岸で発見されたケインは、田舎町の小学校の教師として夫と娘と幸せな日々を過ごしていた。そこに、突然訪れる暗殺者。自分の過去を探す旅に黒人探偵ミッチ(サミュエル・L・ジャクソン)と出かける。記憶喪失者の自己のアイデンティン探究映画として多くの人はとららえたであろう。アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『トータル・リコール』とも似た話である。
しかし、実際はやや異なる。娘思いの一児の母ケインと、殺人機械と化したCIAエージェントのチャーリーとの多重人格が、いかに一人の女性として統合するかまでを描いた作品なのである。
 そのことは、既に主人公の名前に表出されている。ジーナ・デービス演じる主人公の名前は、サマンサ・ケイン(Caine)である。ケイン(Caine)という名前から、ブライアン・デ・パルマ監督の『レイジング・ケイン(Reising Caine)』(1992年)を想像することは、映画ファンであれば難しくはないだろう。なぜなら、タイトルにそのものずばりその名前が入っているからである。そして、『レイジング・ケイン』は四重人格の殺人鬼の物語であった。
 多重人格者を主人公とした映画は数十本は存在するし、多重人格者を題材にした小説も何冊も出版され、多重人格ほど人々に良く知れ渡った精神障害はないとも思われるが、実際その理解は、フィクションの多重人格者の誤ったイメージで支配されていると思われる。なぜなら、『ロング・キッス・グッドナイト』のような、極めてリアルな多重人格者の描写を見ても、ほとんどの人が多重人格だとは夢にも思わないのであるから。
 多重人格は、精神医学的診断では、解離性障害ということになる。そして、解離性障害において、記憶喪失はしばしば認められる症状である。すなわち、記憶喪失と多重人格が合併することは、全く自然である。ケインにとって思い出したくない過去、すなわち殺人機械と化したCIAのエージェントして、殺人の日々に明け暮れていた暗い過去から目を背けたいという心理機制があった。同じ心理機制によって、もともとの人格チャーリーという人格を押さえ込み、平凡な女性ケインになりきろうとした。
 二つの人格の交代は必ずしもはっきりとしない。例えば、夫と一緒に料理するシーンで、ケインは驚異的なナイフさばきをみせる。その驚異的なナイフさばきはチャーリー時代に獲得した技術が現れてきたものだが、この時の意識は明らかに、ケインであり彼女は自分の異常な能力に純粋に驚いていた。このような、不分離な人格障害というのは、実際の人格障害では、完全に分離人格を呈する人格障害よりもはるかに多いにもかかわらず、映画や小説で描かれる多重人格のほとんどが完全分離型であるために、多くの人は多重人格といえば、完全分離型を想像してしまうのだろう。
 ケインとチャーリーは、時に完全に交代して登場する。あるいは、先に述べたように、ケインの意識のまま、チャーリーの技術のみが登場する。そして、最初は人格の分離が著しかったものが、どんどんとその距離を縮めていく。例えば、チャーリーがミッチを誘惑するシーンがあるが、「俺はもとのお前の方が好きだ」という言葉に、彼女はすぐに我にかえったような表情になる。この状態では、チャーリーの人格が主体ではあるが、ケインの記憶とも、そしてケインの人格との交流も徐々に可能になってきている。  水車にはりつけられた拷問によって、分離されていた記憶が一つに統合される。ケインから見ると、忘れていた記憶をとり戻したということになる。チャーリーが自宅に銀行の鍵をとりに行くシーンで、ライフルの望遠鏡を使って自分の娘を遠目に見る。この時点で、戦闘能力としてはチャーリーであるが娘への思いやりは芽生えており、人格としてはかなり統合がみられる。そして、娘の誘拐によって、チャーリーに母親であるケインの情緒が完全に復活し、人格の統合を果たすのである。
 最初は葛藤していた二つの人格が、徐々に統合していく。その過程に娘との親子関係が微妙に関係してきて、それが一種の精神療法的な意味合いを担っているように解釈できる。
 ケインが八年間もの間、記憶喪失であり続けたい理由は、言い換えれば娘と夫との幸せな生活を崩したくなかったからである。暗殺者の進入によって、平和な生活は完全に崩れる。記憶喪失であり続けた理由は平和の保持であったが、暗殺者の進入によって娘が命の危険にさらされた瞬間、彼女がケインで居つづける理由は消失した。娘の命を守り平和を保持するという同じ理由によって、今度は瞬時にチャーリーへと戻り鬼子母神と化して暗殺者を撃退するのである。CIA長官とテロリストを撃退し、大統領の信頼と大金を獲得したチャーリー。彼女と彼女の娘にもはや危険は存在しない。すなわち、平和を維持する必要性がなくなっため、チャーリーとケインの人格は完全に統合し、ケインは良き母、良き妻として平和な余生を送るのである。
 この微妙な人間関係と彼女の精神内界の変化の微妙なタッチを見ずに、『ロング・キッス・グッドナイト』の何を見れというのか。レニー・ハーリンは、この微妙な人物描写を描いた脚本を買うために、4億もの金を出したのであるが、私には監督の心境が非常に良くわかる。

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メイス・ウィンドゥの威厳からは
想像もつかないしょぼい探偵を演じる
サミュエル・L・ジャクソン

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 私が、『ロング・キッス・グッドナイト』を楽しめたもう一つの理由は、『シュリ』を最近見たということにあるかもしれない。韓国映画『シュリ』は、ハリウッド映画のいろいな作品の良いとこ取りをした作品であるわけだが、特に『ロング・キッス・グッドナイト』の影響は強い。射撃と護身術にたけた最強の女性エージェントが主人公である点は当然として、機関銃の使い方とか、全体的なテイストが非常に似ている。特に、時限爆弾の使い方が、そのものズバリ。主人公の母親としての葛藤が恋人であることの葛藤へ置き換えられていることと、エンディングの明暗が最大の違いではあるが。
 『ロング・キッス・グッドナイト』を見ているうちに、女エージェント、チャーリーに、『シュリ』のイ・ミョンヒョンのイメージを重ねてしまったために、余計感慨が高まった。たまたま、私は『ロング・キッス・グッドナイト』と『シュリ』をわずか二週間以内に見たという幸運に見舞われた。そういった意味で、『シュリ』を見ておもしろいと思った人で、『ロング・キッス・グッドナイト』を見ていない人がいれば、見直してみるのも一興かと思われる。

 

シカゴ発 映画の精神医学
アメリカ、シカゴ在住の精神科医が、最新ハリウッド映画を精神医学、心理学的に徹底解読。心の癒しに役立つ知識と情報を提供ています。
 人種、民族、宗教などアメリカ文化を様々な角度から考察。
 2004年まぐまぐメルマガ大賞、新人賞、総合3位受賞。
(マガジンID:0000136378)

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