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映画「パッション」の徹底解読 |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「シカゴ発 映画の精神医学」 ●第8号● 2004年9月12日発行 ─────────────────────────────── ■ 今週の映画紹介 ─────────────────────────────── ┌───────┐ パッション 2004年5月公開済み └───────┘ 以下、映画のストーリーも書かれていますが、「新約聖書」の映画化ですか 1 率直な感想 「手に汗握る」 まさに、この映画のためにあるような言葉だ。 「パッション」(メル・ギブソン監督)は、日本では2004年5月1日に公開された。私がシカゴに来たのは、4月26日。日本で見られなかったので、アメリカに来てすぐに見ようと思っていたのだが、アメリカでの公開は終わっていた。 2 映像での表現 映画とは映像で伝えるもの。 まさに、「パッション」は映像で伝えている。 また、回想シーンの入るタイミングも絶妙。 映像で伝えるということは、字幕だけ追っていても、内容は理解できないということ。まず、映像を浴びるように感じ取る。 3 アラム語の使用 「パッション」では、アラム語、ラテン語、ヘブライ語など、当時の人たちが喋っていた言葉が、そのまま使われている。イエスたちはアラム語を喋り、ローマ人同志はラテン語を話している。 アラム語は、現在は中近東の小数部族の間で話されているに過ぎない。 実際に映画を見ると、アッバ(わが父、アラム語)、エロヒム(神、ヘブライ語)、アドナイ(主よ、ヘブライ語)といったように、私でも知っている言葉も出ており、英語字幕の「My
God」よりも、これらの原語の方が、はるかに雰囲気を伝えていることは、素人ながらに理解できた。 アラム語の使用は、大成功であったと思う。 4 イエスを囲む人々の描写 「『パッション』の残虐描写は、見ていられない」 しかし、単なる映画の観客で非常につらいのなら、実の母の心情は、どれほどの 残虐描写に対する批判は多い。 5 聖書的事実と異なるという批判 映画は全てフィクションである。 その点において、映画においては真理なり事実というものは、歪められざるをえない。それが映画である。 逆に、映画作家の考えや主張が、強調される。 聖書的事実と異なる。 「パッション」は、メル・ギブソンという一個人の、「イエスの解釈」である。 「パッション」は、アンナ・カタリナ・エンメリックの幻視をもとにしているという指摘がある。 ゲッセマネの園のサタンの誘惑と連行場面 「聖書的事実と異なる」という批判が出る一つの責任は、監督のメル・ギブソン自身にもある。 確かに大部分は聖書に忠実に描かれているのだが、ディテールに関してはエメリッヒの幻視を採用している部分も多い。聖書に完全に忠実でないことは、監督のメル自身が一番知っているはずだが、彼のこの発言にマスコミの批判が集中した。 「華氏911」のマイケル・ムーアと同様に、マスコミでバッシングされることで、宣伝効果を得ようという、一つの作戦である。 以上、いろいろと「パッション」の魅力について語った。 日本人として、非クリスチャンとして、「パッション」をどう受け止めたらいいのか? クリスチャンとは、イエスを「子なる神」、救世主(キリスト)と信じる人のこと。 メルの描きたかったのは、「イエスは本物の救世主である」ということなのだが、クリスチャンではない我々には、当然それは受け入れがたい。 イエスに対する認識、イエスに対するポジティブな感情が、映画の見る前に比べて増えていたとしたら・・・。 7 聖書を読もう 聖書というのは、欧米人にとっての常識である。 少なくとも、「アメリカ映画を十分に楽しみたい」と思う人にとっては、キリスト教とユダユ教の最低限の知識は知っておいて損はない。 「パッション」はちっともわからない。おもしろくなかった。 これで終わらせてしまえば、これから一生の間に、あなたが見る何百本ものアメリカ映画も、同様に「わからない」「おもしろくない」にカテゴリーするだろう。それだけである。 聖書を読む。かなり大変に思える。 この「パッション」で描かれる部分。 たったの、7ページだ。10分あれば読める。 「パッション」を見たあなたであれば、海綿がワインを吸い込むように、聖書の言葉が、あなたの心に染み込むはずである。 別に、私はキリスト教の伝道師ではない。 崇高な意識を持って聖書を読め、とは言わない。 7 解説が必要な映画 映画批評など必要がない。そんな、極論もある。 「誰か、わかりやすく解説して!!」 どうして、アメリカではこれが大議論になってるの? 非クリスチャンにとって、「パッション」ほど解説なしで理解できない映画はない。 いずれしても、以下の三点について、きちんと理解する必要がある。 今後、「今週の映画分析」でとりあげていくので、お楽しみに。 お勧めする人 見ないほうがいい人 樺沢の評価 文句なし★★★★★ (★5個が満点) |
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「シカゴ発 映画の精神医学」 ●第10号● 2004年9月26日発行 ─────────────────────────────── ■ 今週の映画解読 ─────────────────────────────── ┌─────────┐ パッション └─────────┘ 第1弾 残虐描写に関する考察 << (1) 「パッション」は事実以上に残虐な映画か? >> 「パッション」は、あまりに残酷すぎる。 こんな、批判がたくさんあった。 「パッション」は残酷な描写がひどすぎる。たがら、ダメな映画だ。 「パッション」に描かれた残虐性が、聖書に描かれた残虐性と同等であれば、それは聖書を忠実に映画化しただけのこと。 まず、聖書には、イエスがどいう暴行をどの程度受けたのか、それがどう記述されていたかを、知る必要がある。 イエスが受けた暴行について聖書から、主なもの列挙してみる。 一同は、死刑にすべきだと決議した。それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った。 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。 また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。 これらの聖書の記述から、イエスが鞭打たれ、殴られ、唾をかけられたというのは、聖書的な事実であることがわかる。 イザヤ書(52:13−14)には、次のように書かれている。 イエスのまぶたが腫れ上がり、身体には無数の傷。 さて、鞭打ちの道具などが非常に残酷だが、これに関してはどうであろうか? 1メートルから1メートル20センチほどの皮紐に、鉄
や骨、ガラスなどが埋め込んだものを数十本まとめた鞭を使いました。さらに一時は、鞭
の代わりに、鉄棒で囚人を殴ることもあったようです。ユダヤ人の慣習によれば、囚人た
ちは、本来40回鞭打たれることになっていますが、そのうち1回は「ユダヤ人の情け」
として免除され、計39回打たれることになっています。この鞭打ちは非常に残酷な刑罰
で、受刑者の背中の皮膚は、ひきさかれ、めくれ上がり、皮下の筋肉や骨まで見えるよう
になります。 映画の鞭打ちの道具など、この記述にピッタリと当てはまる。 鞭うちのシーンで、イエスは何回鞭打たれていたか? 途中、ピラトの妻クラウディアがマリアに布を渡すシーンになるため、正確には数えられないが、60回くらいは鞭打たれている。 大枠において、イエスが殴られ鞭打たれのは聖書的事実であり、ローマ帝国が行なっていた鞭打ち刑に忠実に描いている、といえるだろう。 「華氏911」の中で、手足を失った米兵の無残な姿、爆撃を受けて血管や筋肉が露出した少女のひどい姿が映し出される。 一方で、聖書的、歴史的事実と違うと批判され、イエスが受けた虐待に関しては聖書的、歴史的にある程度忠実に、そしてリアルに描いているにもかかわらず、それが批判されるという。 << (2) 残虐描写が必要な理由 >> ハリウッド映画の鉄則。ローマ帝国は悪役でなくてはいけない。 しかしながら、メル・ギブソンはアイリッシュである。 「パッション」では、ローマ帝国の提督ピラト、そしてその妻クラウディアが良い人として登場している。ピラトがイエスに罪を見出せないという姿勢を貫き、自ら裁くことを避け、民衆に判断をゆだねた。 「戦場のピアニスト」を例に出そう。 残虐だから、これらのシーンはない方が良かったか? 全体のバランスをとる、ということが必要なのだ。 イエスの手に杭を打ち込むシーン。 「十字架刑は最も残酷で最も苦しい処刑方法である」と、いろいろな本に書かれている。 十字架刑とは、ただ十字架にはりつけにするだけではない。 そして、十字架刑を日常的に行なっていたのは、ローマ帝国である。 以上の理由において、ローマ帝国の手による残酷なシーンは、ある程度は必要であったと考えられる。 「プライベート・ライアン」の冒頭の30分。ノルマンディー上陸作戦。 しかし、「プライベート・ライアン」の冒頭シーンが残虐だから、この映画はダメな映画だ、という批判は聞いたことがない。 「パッション」の残虐シーン。 この残虐シーンによって、何が描かれていたのだろうか? 鞭打ちによって血まみれになったイエス。 このイエスの言葉は、こういう意味だったのか。 イエスの「痛み」が大きければ大きいほど、イエスが引き受けた責任の大きさを、ズシリと感じることができる。 |
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「シカゴ発 映画の精神医学」 祭司長たちや律法学者たちは、なんとかイエスを捕らえて殺そうかと考えていた。 (マルコ14-1) イエスが捕らえられ十字架にかけられた<責任の一端>が、カヤパ、最高法院、 律法学者などのユダヤ人にあることは、聖書に書かれている。 新約聖書に書かれていることをそのまま映画化しただけで、反ユダヤ的と言われて
しまうのか? 答は、「イエス (Yes)」である。 それが、ハリウッドである。
では、今までイエスの生涯を扱った作品では、イエスを殺した責任は、どのように 描かれているのか? <<ローマ帝国、そして提督ピラトの責任として描かれている。>> ピラトがイエスを殺した。ピラトがイエスを殺したくてしょうがなかった、と。 そして、ユダヤ人の責任は全くないかのような印象を与えるように、周到に作られ ている。イエスの受難を非常に詳しく描いている二本の作品を例に出そう。 「聖衣」(1953年) これは、初のシネマスコープ作品(通常の画面より横長のサイズで上映される)であ り、当時450万ドルという巨費を投じて作られた、大スペクタクル映画である。 イエスを殺した一人のローマ兵ガリオにスポットを当て、ガリオを主人公に映画が
描かれる。ローマからエルサレムに到着したローマ兵ガリオは、エルサレムに入城する
イエスの姿を見る。
その時ガリオは、イエスに対して何の感情も持たなかった。
しかしその晩、イエスは逮捕される。
そしてガリオは、提督ピラトよりイエスの処刑を言い渡される。 映画としては、スケールも大きく感動的。一見の価値はある。 しかし、かなり聖書的な事実とは異なる。 なにしろ、カヤパが全く出てこない。加害者のユダヤ人という視点は皆無である。 そして、ローマ兵ガリオが、「私がイエスを殺してしまった」という自責の念にさ いなまれる。聖書を知らない人がこれを見れば、「イエスを殺したのはローマ帝国 である」と100%確信するだろう。 「キング・オブ・キングス」(1961年)
これは、2時間45分の大作。イエスの生涯を詳しく描いている。
イエスの生誕、ヨハネによる洗礼、悪魔の誘惑、ペテロ入信、山上の垂訓と、かな
り詳しくイエスの重要なエピソードがもらさず描かれている。そして、イエスの入城
と最後の晩餐、そしてゲッセマネの園と、ここまでは全く聖書通りで、描写も細かい。
さらに「キング・オブ・キングス」には、バラバとイエスと、どちらを釈放
するか、民衆に問うシーンもない。突然、牢に入っているバラバにの前に、
ローマ兵が「お前は釈放された」と宣告するのである。
ピラトが、このバラバとイエスのどちらかを釈放するか、と問うことで、イエスを
何とか助けようとした。その場面がカットされているのだ。 さて、「聖衣」と「キング・オブ・キングス」に共通のテーマ。それは、イエスの生涯を描くこと……ではない。
「ローマ帝国=絶対悪」を描くことである。
丁寧にも、「キング・オブ・キングス」では、ローマ帝国がイスラエルに侵攻し、
ユダヤ人にとって最も神聖な神殿をぶち壊すのがファーストシーンになっている。
イエスの生涯を描いた映画は何本もある。 しかし、それは「ローマ帝国=絶対悪」をテーマとする<ユダヤ人のための映画> であって、<クリスチャンのための映画>ではないのである。 さて私が、かなり昔の作品、「聖衣」や「キング・オブ・キングス」の詳細な考察
を突然出してきたことに、多くの読者は驚いただろう。
樺沢の守備範囲は、どこまで広いのか・・・と。 私は「パッション」を初めて見たとき、メルの気持ちが非常によくわかった。 なぜ、彼が私財をなげうってまで、イエスの映画を作る必要があったのか。 ユダヤ人のための映画ではなく、クリスチャンのためのイエス映画。その必要性。 ハリウッドのキリスト映画の映画史を知らなければ、理解不能である。 私は、こうしたクリスチャンのためのイエス映画が、いつか作られないかとずっと 待ち続けていた。 あるいは、ハリウッドの現状を考えると、そうした映画を作るこ と自体が不可能だろう、とも思っていた。 しかし、「パッション」は登場した。奇跡である。
メル・ギブソンが私財をなげうって製作した作品であり、ハリウッドの影響を逃れ
ているからだ。
「パッション」は、私がずっと待ち望んでいた作品である。 さて、このような記事を書くと、私もギブソン同様、反ユダヤ主義思想の持ち主と
誤解されるだろう。 ナチス・ドイツのユダヤ人迫害。移民としてアメリカに来てからの差別待遇。「赤狩り」。ユダヤ人は、歴史上数えられないほど、痛い目にあっている。
そして、ことあるごとに、反ユダヤ主義が吹き荒れ、住んでいるところを追われ、
殺されてきた。 ユダヤ人のハリウッドが、イエス・キリストを題材にするとき、我田引水的に 「反ローマ帝国」を強調してしまうのも、しょうがない。 「ローマ帝国」と「ナチス」こそが、ユダヤ人を最も迫害し、最も殺した最大最悪 の加害者なのであるから。ユダヤ人にとって、この憎しみは計り知れない。 「イエスを殺したのは、ローマ帝国ですよ」「ローマ帝国ってひどいんですよ」 ユダヤ人以外のクリスチャンにこれをアピールするのに、キリスト映画は格好の道具 として機能するのだ。 「パッション」では、ユダヤ人が悪く描かれていると同じくらい、ローマ提督ピラ トが良い人と描かれていることに、ユダヤ人は耐え難い苦痛を感じているに違いない。 私の書く文章も相当に我田引水的だと思う。 でも文章も、映画も、テレビのニュースも、表現というものはすべてそういうもの。 だから、「ハリウッドでは、しばしばユダヤ寄りの映画が作られますよ」、という 事実を知って映画を見て欲しい、ということ。 「『パッション』のように、そうでない映画は叩かれますよ」ということ。 ただ、それだけである。 当然、ユダヤ人を責めたり批判したりするつもりは、全くない。 映画の背景を知っていれば、変に誘導されることも、洗脳されることもないだろう。
そして、映画をより深く理解できるし、何倍も楽しめるということである。
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続き 「第3弾」を読みたい方へ なぜ、メル・ギブソンは「パッション」を作ったのか? 「パッション」が作られた、本当の理由が「第3弾」で明らかにされます。 「第3弾」は2004年12月17日に、すでに配信されました。 しかし、「第3弾」がアップされている秘密のページのアドレスを、あなただけにお知らせいたします。 ここをクリック
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パッション オリジナルサウンドトラック
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