インランド・エンパイアの解読 第5章
統合失調症と「インランド・エンパイア」
「インランド・エンパイア」を一言で言えば、
「主人公ニッキーが、統合失調症を発症する話」と言えるでしょう。
ところで、「統合失調症」とは、どんな病気なのか?
「統合失調症」という名前はよく聞くと思いますが、その病気がどんな病気なのかを説明できる人は、非常に少ないと思います。
精神科医の私にとっても、統合失調症がどんな病気なのかを、わかりやすく説明することは非常に難しいのです。
が、それ敢えて、何とか説明してみましょう。
「統合失調症」の主要な症状は「妄想」と「幻覚(幻聴)」です。
これらの、幻覚や妄想が、本人にとっては、ありありとした現実として体感されます。
幻覚や妄想が、現実特別できないほどリアルに襲いかかってきます。
そして、その現実とは区別不能な幻覚や妄想が、想像を絶する恐怖を引き起こすのです。
「何者かに見られている」
「何者かに、つけ狙われている」
「何者かの声が聞こえる」
「世間に、自分の噂話が広がっている」
「何者かが、自分のいやがらせをしている」
「世界が破滅する」
こんな異常な考え(感覚)が次々と浮かんで来るわけですが、本人にとっては「妄想」だとか「幻覚」だとは、わかりません。
本人にしてみると、どれも明らかな「現実」なのです。
姿の見えない人の声が、どこからともなく、ありありと聞こえてくるのです。
まさにホラー映画の世界。
これほど恐ろしいことはないでしょう。
そこで夜も眠れなくなりなり、神経も衰弱していきます。
ナーバスになって、イライラして、怒りっぽくなることもあります。
人間不信のような状態になり、外界との連絡を一切遮断して、部屋に閉じこもってしまう。ひどくなると、そういう状態に陥ります。
「インランド・エンパイア」のニッキーの場合は、そこまでひどくはありません。
病気が発症するか、しないかというギリギリの境目です。
こうした統合失調症の初期に起こりやすいのは、
「必要以上に不安になる」
「いろいろな事柄に対して猜疑的になる(必要以上に疑り深くなる)」
「ちょっとした物音に過敏になる」
「いろいろな考えが勝手に頭の中に考えが浮かんでくる」
こんな症状が、統合失調症の初期ではよくおきるのですが、
これはニッキーの周囲で起きる出来事、ニッキーにみられる精神症状と非常に似ていると思います。
あと、統合失調症の重要な特徴として、「連合弛緩」というのがあります。
考えがまとまらず、話が飛び飛びになり、話に脈絡がなくなっていきます。
ただ、「連合弛緩」というのは、「話が滅裂」というのとは違います。
聞いている方にとっては滅裂に聞こえますが、本人の頭の中では一貫したものが存在しています。
ある種の法則性を持った滅裂さであり、話の飛躍や脱線にも、患者さんなりの法則性が存在しています。
「インランド・エンパイア」の後半のストーリー。
ある種、滅裂なストーリー展開ですが、そこには一定の法則性を見出すことができます。
これぞ、「連合弛緩」という感じがします。
あと、統合失調症の初期の症状の一つとして、「妄想気分」というのがあります。
これは、妄想の一歩手前の状態で、「周囲の雰囲気が奇妙に不気味に変わったと漠然と感じる」ことです。
映画の冒頭部から、ニッキーの周囲に立て続けに起こる「奇妙で不気味な出来事」は、この「妄想気分」をよくあらわしていると思います。
例えば、近所に越してきた女性。この女性の不気味さ・・・ですね。
テレビの芸能番組のキャスターも、独特の不気味さを持っています。
こんな風に、ニッキーが体感する外界というのは、まさに統合失調症者が感じている世界を非常によく表現しているように思います。
とここまで説明しても、「統合失調症」が何かは、よくわからないと思います。ですから、逆にこう見てはいかがでしょうか。
「統合失調症」の患者さんは、こんな風な世界に生きているのだ・・・と。
「精神病」といえば、「非常に異質な病気」「何を考えているかわからない」と思う人も多いでしょう。
でも、「統合失調症」の患者さんは、理解不能な異常な世界にいるわけではありません。
ニッキーのように最初は、「何かちょっとおかしい」という程度のことからはじまります。そして、どんどん神経質になるとともに、「理解不能な出来事や体験」がどんどんと増えていって、最後にはどこまでが現実なのかがわからなくなって、混乱した状態になってしまう・・・という。
おそらく、「インランド・エンパイア」を見た人は、ニッキーの行動(後半部分)の滅裂さに戸惑いを感じたでしょうが、最後まで見た瞬間に、ニッキーに共感できたはずです。
統合失調症といっても、非常に現実世界と近いところで苦しんでいるわけで、その気持や心理は、理解不能なものではありません。
十分に理解可能なんだ・・・ということが、「インランド・エンパイア」を見ることを通して感じていただければ、非常に大きな収穫と言えるでしょう。
次章、いよいよ「ロコモーション・ガールズ」について、解読します。
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